ロード・マーシャル時事報告場

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情報の氾濫

2017-11-24 04:17:34 | Weblog
生活においても、インターネット等において情報の氾濫が起きていると言われている。

これは実は、科学の世界にも当てはまる。
少なくとも生物学には。

一つの事柄に対して、いくつもの説(例えばうつ病の原因等)が提唱され、それを裏付ける論文が出ている。
これらの論文は、端的に言えば、「部分的には正しい」。

生物学は(他の学問も同様に)恐ろしく複雑であり、複合的要因が大きい。
従って、確かにそれは「部分的」には正しい側面もあるのだ。

生物学を応用する薬学・農学・工学等でもこの事象は観察されている。
新しい技術により新しい切り口により事象が観察できるとなると、それぞれの切り口ごとに新しい「解釈」は可能である。

「一酵素一遺伝子説」はもはや過去のものと言えるかもしれない。
いや、厳密に言えば「一酵素一遺伝子説のモデル選びが正しかった」というべきか。

このように日々複雑化していく昨今、最もやってはいけないのが、一つの解釈・説に固執することである。
民間企業について言えば、「トクホ」に代表するように、市場・ニーズ・販売に合致する研究「のみ」がなされることが多い。
またそれらの企業へ原料を供給するメーカーもそれを支持する研究をせざるを得ない。

結論ありきの研究ほど無意味なものはあるまい。

前回の日記では「受け取り手」についての問題を提起したが、「発信する側」についても、皆が同じ方向を向いていれば、思わぬところから足元を掬われるかもしれぬ。

バスに乗り遅れるな→三国同盟→敗戦&「国民は騙されていた」という名の責任逃れ

同じ流れが観察できるかもしれない。

同様の理由で、国が「役に立つ研究」を選び積極的に「仕訳け」することは、自ら鉢の木の根を切る行為に等しいともいえる。
役に立つ、を追及してばかりで足元が疎かだから、日本は科学的に(ついでに言えば社会的にも)後進国なのだ。
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