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ロシアの核と村社会

2016-10-31 03:51:26 | Weblog
ロシアの核

ロシアが配備を計画している新型核ミサイルがやばい、と騒いでいるバカな記事が多い。

たかがSS-18の2倍の核出力程度で今更何であろうか。

その他の性能(飛翔速度、射程距離)も抜きん出てはいない。
最新のアルゴリズムで弾道弾迎撃システムに対抗する軌道を通過するというが、それぐらい予測の範囲内である。

新型核ミサイルの致命的な点は地上基地配備型である。

本来核ミサイルは潜水艦に搭載されることによりその効果を最大限に発揮できる。

地上基地サイロでの核ミサイル運用はもっとも核の効果を減じる愚手である。

何故なら、あらかじめ配備先が判っているのだから、最も核による先制攻撃で狙われやすく、脆弱で、抑止力としての効果は低い。

きっとプーチンもそんなに期待はしていまい。
唯一期待するとすれば、「ツァーリ・ボンバ」程度の「威示」くらいであろう。

それよりも我々は、ロシアのボレイ型原子力潜水艦に配備されたR-30に注意を払うべきである(今回発表された核ミサイルと同様、こちらも多弾頭型である)。


村社会

映画のネタバレについて、基本的に私は肯定的な立場である。
しかし、その立場について、法哲学専攻の友人から、「それを良しとしない人への配慮が足りない」と指摘された。
以下は個人的かつ稚拙な推論である。
その友人の格言は「可能性は多様性」である。
ならば、「映画のネタバレを良しとしない人を良しとしない」勢力に対しても、同様の配慮が必要ではなかろうか。

その配慮のどちらを優先するか、はいったいどうやって決めるのだろうか。
人の多少であろうか。
そのようなところでベンサム的な矛盾に突き当たるのはクソのような話である。

また、その友人自体、他人への配慮がもともと欠けるきらいがある。

約束の時間はまず守れず、私が野球が嫌いであり、かつ深夜までの遊びは現段階ではできないと普段から常々言っていても、野球観戦を会食で開催した挙句私に無断で延長を申し込んでいたりする。

その友人に文句を言えよ、という話であるが、きっと持ち前の営業トークで丸め込まれるのがオチである。
今後はその友人に関する接触頻度を下げてみようと考える。

このような他人に配慮を求めながら多数派をして身勝手な行動を取る時点で、法哲学、とくに自由主義の日本における学問領域の底は浅い。

あるいは、「学問と現実は違う」というかもしれないが、その場合は。法哲学修了した友人の大学での高いお金を払って「学んだ学問」は全く役に立たない机上の空論であり、ムダ金であるといえよう。そんな学部は潰して法学部は弁護士育成キットにでもして、その予算を理学へ充てよう。

全体から見た場合のはみ出者への「注意」は、くどいようだがシン・ゴジラの主人公の作戦決行時の演説を類推可能である。

庵野監督も、自由主義を専攻した友人も、きっと「村社会」が大好きに違いない。
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