犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

犬と楽器と日々
ゲゲゲの調布住まいの須山。
雑種犬カバサ&ジーロと戯れ、
音楽をこねくりつつ、
鍼灸する。

プロってなんなんだ

2016年10月19日 | 椰子の実の中
[あらすじ] SNSなどに投稿された写真のほめ言葉でよく見かける
「プロみたい!」に違和感を抱く。
撮った人にプロの技術は当然無く、あるのはすばらしいスマホのカメラ機能だ。
プロという言葉でほめるのは、プロの技術の複雑さやプロの感性のこまやかさや
プロがそのことにかける時間の多大さを知らぬ、みっともないことだと思う。

そんな言葉を使うその人自身も、きっと何かのプロのはずだ。
自分の専門分野で誰かがちょっと器用そうなことをやっても、
何が欠けているか、すぐに見えるだろう。
自分の身に置き換えれば、スマホ写真なんてプロ級ではないことが
わかると思うのだがなあ。



売れ始めの芸人がこぼしているのをよく聞く。
今まではまるで見向きもしなかったのに、急にクラス会に呼ばれるようになって、
行ったら「何かちょっとやってくれ」と要求される、という話だ。
芸人だけでなく、歌手や芸事の人なら経験のあることだと思う。

芸をなんだと思っとんのじゃ。
見る人にとっては娯楽だろうけれど、やる側にしたら大事な仕事だ。
やるならやるで、綿密な準備をして、自分のスタイルを持って演じたい。
それを何年もかかって作りあげてきているのだ。

それを酒の席の乗りで「ちょっとやってくれ」とは、失礼な話だ。
タダ見しようてえ魂胆がいけねえ。



酒の席の話でなくても、芸事の話でなくても、同様のことはまだあるだろう。
それは、経験や技術を基礎にする、いわゆる手に職と言う仕事柄であればあるほどだ。

ちょっとここにかわいいイラスト描いて とか
さわりのとこだけでいいからさ とか
こないだのおいしかったあれまた作って とか
最近足がしびれるんだけどちょっと診てくんない とか

友達だから、母校だから、親戚だから、近所だから、同僚だから、ちょっとだけだから
無料でいいだろう、というのは残念ながらよくある話のようだ。



その人自身も何かのプロのはずだ。とさきほど書いたが、
そこが違うのかもしれない。
何かの技術を、時間をかけて、それも一生と言える時間をかけて
研鑽を積んで行くという仕事を、その人はしていないのかもしれない。
たとえそうであったとしても、そういった技術の仕事に敬意を払うことは
知らなきゃいけないとは思うけれど。
ジャンル:
文化
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