子どもの頃から、自分というものはどうして自分なのか、という疑問があった。
ごく親しい友達であっても、まるで別の存在である。
何か共通の体験をしたり、共感することがあったりしても、
それは所詮、ある物とまた別の物との間の、ほんの一部がたまたま重なり合っただけだ。
私はあの人ではあり得ないし、あの人は私の経験を知らない。
他人にもぐり込んだら、どんな感じだろう。
※
だから、映画『マルコビッチの穴』は衝撃だった。
私が、あの映画は面白かった、と言うと、
女性が男性の肉体に乗り移ってセックスをすることについて面白がっている、
という誤解を受けがちだ。
だが、そこではなく、自分と他人を隔てているものや、
その自分という意識を作っているものについて描いているところを面白がっているのだ。
※
子どもは率直に聞く。
「ねえ、男?女?どっち?」
どっちだと思う?
「うーん、わかんない。」
正解!
※
[あらすじ]
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/1e56d3061c3bdabd52c0fe84da5e3a0b
聖人ぶっちゃってるおまえは一体誰なんだ。
と梁の武帝に聞かれて達磨は、
「知らね」
と答えた。
本人だってわかんない。
自分が誰かなんてわかんない。
自分と他人の違いなんてわかんない。
※
達磨さんの目のところに、キリで小さく瞳孔をあける。
その穴から覗いて見てみよう。
達磨さんの心で、世界を見てみよう。
そういう趣向の団扇に作ってみた。