犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

犬と楽器と日々
ゲゲゲの調布住まいの須山。
雑種犬カバサ&ジーロと戯れ、
音楽をこねくりつつ、
鍼灸する。

勢い余って

2016年10月11日 | 日々
やりたいと思いながら、後回しにしてきた事がたくさんある。
習い事をあれこれやって、曜日ごとにあちこち飛び回る、
なんていうお子様がいらっしゃるようだが、
私は至極のんびりと子供の頃を過ごした。

それでも興味はあちゃこちゃに散らかっており、
十代の頃にもなるとやりたいことだらけになっていた。
それが今も続いている。
しかし、二十代はバンドで音楽をやることに集中した。
昼間外で軽労働をして、夕方に高校のオーケストラの指導をして、
夜にバンド活動をしたら、もう体力は残っていなかったからだ。

中学三年生の時の担任が、面接で言ったことが忘れられない。
「音楽部、まだやってんすか。」
まだとは何だ。と思った。
たかだか中学三年生だ。中高一貫教育の学校で、
あと3年は部活動を楽しむつもりだ。

「何かをやるためには何かをやめなければいけない。
捨てることも必要すよ。」
というようなことをその先生は言った。
あんたなかなか成績が良いのだから、音楽部に現を抜かしてないで
もうちょっと勉強なさい。
という意味だった。

あほかい!
私から音楽や絵や、昼間外に出て芋虫をじっと見ることを剥ぎ取ったら、
どんなつまらん人間になることか。

なぜ中学三年の面接でそんな話になったかと言うと、
中高一貫教育で、高校一年から進路によってクラス編成をするためだった。
文系か理系かで、受ける授業が分けられる、そのために
どちらかを選択しなければならなかったのだ。

私は文系理系どちらとなく好きな教科はあったし、
美術も音楽も好きだった。
結局、学校の方針もあって、ひとつに絞って大学を受験した。

最近、同窓の先輩に再会してあれこれ話をしていたら、
その人は、何校か受験したが、すべて異なる学科にしたそうだ。
先生には反対され、親にも呆れられたそうだが、
自分の興味の趣きに従ったのだそうだ。

十代の私に、そこまでの意志の強さは無かった。
自分というものが強くありそうで、
大人のやり方に反抗的でありそうに見えるかもしれないが、
そうでもなく、流されていた。

そしていつも、取捨選択という言葉が頭にあり続けていた。
しかしそんなのはつまらんし、生きている時間は限られている。
根気無いし、ひとつことに集中して大成する、ってタイプでもなさそうだ。
あれこれ興味のあるものを食い散らかしていこう。
「多才ですね」なんてほめていただくこともあるけれど、
その分「これ」ってほど安心して売れるものは一つも無いんですよ。



書道もやっておきたいことのひとつ。
と思って、図書館から現代書道全集の一、楷書、なんてのを借りてきて
しっかり読んでいると。
臨書、つまり、古典的な名書をかたわらに置いて
じろじろ見ながら書いてみるという練習方法。

右が、唐の虞世南(ぐせいなん)の書。
左がエラいセンセの臨書。
碑文の拓本なので、黒地に白抜き、なんとなく輪郭が甘い。
そういう文字を見て、このように真似て書くことができる。
なるほど、勉強になる。

けど、先生、
点が・・・・・
勢い余ったんでしょうな。

先生もこんなことあるんだから、勇んで進もうっと。
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