blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルを意味する)
日々のあれこれをランダムに綴ります。
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7月16日の行状

2017-07-23 22:58:14 | 旅行
日程的に実質真ん中にあたるこの日は、伊豆半島の最も深いところを目指した。
こういう時はまず「遠いところから」つぶして、帰りの道中で他の目的地に行くのが気分的にも楽である。
距離的に近い目的地で予想外に時間を取られると、遠い目的地での時間がなくなってしまい不完全燃焼になりがちである。

とはいえこの日は最初の目的地である石廊崎まで行くのにずいぶん時間を食った。
伊豆半島の東を通る国道135号線の景観はそれはそれは素晴らしいものだったが、3連休の中日、特に下田市の白浜海岸など海水浴場の周辺ではクルマの流れが悪かった。
人の集まるところは当然ながら駐車に手間取るクルマや道路を横断する歩行者が多くて、お世辞にもスイスイと交通が流れてはくれない。
下田市の中心部を抜けると一気にクルマはハケたので、後はひたすら半島の突端を目指した。

看板に従って入って行くと突き当たりは湾になっていて、駐車場や観光船の乗降口や売店などがあった。
水上スキーなどアクティブ系の人々も集まっていたが、この日あたりは天気も最高だったのではないか。
私は船には乗らず遊歩道を通って岬の先端に向かうことにした。
暑い中ではあったがそれほどハードな道でもなく、20分ほどすると突端部に着く前に石廊崎灯台のほうが見えて来た。



灯台の真近は柵があって行くことができないので、写真の右側にある道をさらに進むと「これぞ太平洋」という迫力のある景色が広がっていた。





石廊崎を後にし、今度は下田市の市街地を散策することにした。
もちろん黒船来航の地であり、ペリー提督の胸像が下田漁港のかたわらに飾られてはいたが、観光の中心は「唐人お吉記念館」であった。



開国前夜の時代、下田で芸妓をしていたお吉は鶴松という恋人がありながら、当時の米国総領事であるハリス氏に見初められたことで、国の命により氏の愛人として仕えることを余儀なくされる。
当時としては法外な報酬を手にしての任務であったこと、また外国人アレルギーがまだ根強い時代背景もあり、お吉は理不尽としか言いようのない民衆からの批判にさらされ続ける。
ハリス氏の死後は髪結いや小料理屋を開業するなど細々と生計を立てていたが、周囲の目は時が流れても厳しく、ついにお吉は世をはかなみ入水自殺という悲しい最期を遂げるに至った。
今では当たり前のように外国にも出荷されている静岡のお茶もお吉の犠牲なしでは成り立っていない。
日米の貿易が始まった影の功労者でありながらあまりに切ない人生を生きたお吉については、私が好きなサザンオールスターズも「唐人物語(ラシャメンのうた)」という楽曲をアルバム「さくら」の中に収めている。

この後、下田では寝姿山ロープウェイにあわただしく乗り込み地平からは見えない絶景を楽しんだ。



そのまままっすぐ帰るにはまだ時間があり、やや天城峠に向かう形で河津町の山間部に進路を取った。
観光地というよりは一つの道を見たかったのだが、その看板がコレ。





高低差の激しい地形をカバーするため、ここではループ橋という方法を採っていて、私が見た中では今までで最もスケールの大きなものである。





いい加減運転にも疲れたので、峠越えの道は探さないで再び国道135号線に戻って帰ることにした。
やはり温泉地や海水浴場の近くでは流れが悪かったが、それほど遅くもならず、国道沿いのお寿司屋さんで地のネタも少々混ぜながら早めの夕食となった。

伊豆半島の突端から、我が国の歴史の一端を担う悲しい物語など、天気にも恵まれ2日目の中身も濃いものになった。
次の日はクルマは休め身軽に動く計画で、しかし宿の周りには何もなくこの日も早めの就寝となったのであった。

<おまけ>
国道135号線のそばを通る地点で撮影した伊豆急行の電車。

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