先日ボスが、ジャパネットタカタの電子辞書の話しをしておられた。
「今なら20000円」の電子辞書にいったいどれだけの情報量が入っているのか???と。
百科事典、英和和英諺辞典、家庭の医学に電子書籍etc.
とにかくその情報量はハンパないですよね。多分一生かかっても読みきれないでしょう。
「もう知識は金で買える時代だよね」とおっしゃっていました。
でも実際は、買って手に入れたように見えるその「知識」が、実はリアル書籍1冊ほども手に入ってないケースが多いのではないかしら。
私が小学生の頃、両親が買ってくれたジャンルジャポニカの百科事典。確か25冊くらいだったように記憶しています。頒布会形式で、月1冊2000円くらいだったかな。
合計すると当時の金額では結構な額だったと思います。
私は一人っ子だから、「これって両親が私の為に買ってくれたってコト?…だよね?」と、娘に教養をつけさせたくて一生懸命だった親の「思い」みたいなものを嗅ぎ取りました。
特に母は、勉強が好きで進学校に行ったのに、弟や妹の為に経済的理由で大学進学を諦めたという母親の無言の「思い」は、しっかりと受けとめなきゃと思ったものです。
そういったストーリーを載せたあの分厚い百科辞典たち。簡便な電子辞書と比べてなんとも「重い」ことでしょう。
両親がせっせと頒布回形式で集めて並べたその分厚い書物はなんとなく神聖な存在で、開くときはきちんと座って背筋を正してそーっとめくって見ていたっけな…と思い出されます。
そしてそのうちに私は百科事典を眺めるのが大好きになりました。
「自然科学」「世界歴史」「日本歴史」「絵画・芸術」の巻が特に好きだったな…。あと、世界の民俗衣装や日本の風俗・習慣・服飾が大好きでした。絵を描くのが大好きだったので、良く民俗衣装の絵を描いていたっけ。
知識をインプットすること、それもとても大事なんだと思うし、そもそもではあるけれど、
実社会で役立つのはインプットよりもアウトプットする力。
検索力やタイミング、どのシーンでどの引き出しをどのようにして開くかを判断する洞察力。そこがもっとも重要だったりしますよね。
それは「知識」ではなく、まさに人間の経験や思考から積み上げる「叡智」。
100の知識を持っていても、10しか活用orアウトプットできない者もいれば
20しかない知識を最大限に絶妙なタイミングで活用し倒す能力のある者も。
表層の「知識」のインプットと、真の「叡智」、そのアウトプットについて考えさせられた午後でした。
|