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「バットマン・ビギンズ」と「ダークナイト」

2009-05-06 08:16:59 | ビデオ・DVD・テレビ放映での鑑賞
個人的評価
バットマン・ビギンズ: ■■■■□□
ダークナイト: ■■■■□□
[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]

「バットマン・ビギンズ」と「ダークナイト」をつい先日になってやっと観賞。レンタルDVDで。

「ビギンズ」よりは「ダークナイト」の方が面白い。
「ダークナイト」が絶賛される理由はわかる。
でも個人的にはどちらも「すげーーー」とテンション上がるほど楽しんだり(アルモドバルやオゾンやギドクの映画みたいに)、「おぉぉぉぉ」っとズシリときた(イーストウッドやアンゲロプロスみたいに)りしたわけじゃない

一本ずつ感想
「バットマン・ビギンズ」
プロデューサの狙いにまんまとハマったように豪華キャストを楽しんだ映画であった。
マイケル・ケインとモーガン・フリーマンが同じショットに写るだけで少しテンションが上がる。
ルトガー・ハウアー閣下を久しぶりに拝見できて、クスクス
なんでゲイリー・オールドマンがあんな善人やねん
栗林中将がシンドラーを従えているぅぅぅ
ていうか、シンドラーVS太陽の帝国ジム少年のスピルバーグ対決じゃん・・・といった絵ヅラだけで結構楽しめてしまう映画であった。
しかしストーリー的にはヒーロー誕生話に重点を置きすぎて、強敵の不在により話が盛り上がらなかった感がある。それゆえのダークナイト制作だったのか、ダークナイトを見越してのビギンズ制作だったのか

「ダークナイト」
「ビギンズ」のラストでジョーカーの登場が示唆される。仮に「ダークナイト」が作られなかったとしても、かなり無理はあるがティム・バートン版「バットマン」の前日譚だったと言い張ることも可能だった。
しかし本作でジョーカーとトゥー・フェイスを登場させたことで、少なくともティム・バートンの「バットマン」とジョエル・シューマッカーの「バットマン・フォーエバー」は「無かったこと」にされたわけだ。
各方面で大絶賛された「ダークナイト」。
ヒース・レジャーはアカデミー賞はじめ多くの演技賞を故人で受賞。
そういう前情報をもってから観たが・・・「まあ期待に恥じないデキだった・・・とは思うけど」と、冷静に考えている自分がいた。話のテンポが悪く感じてあまりノレなかった。

そうは言ってもヒースの演技は流石に凄まじかった。
もともと「バットマンの宿敵ジョーカー」ってだけで固定イメージがあるのに、さらにジャック・ニコルソンのジョーカーが記憶に残っている。何をやってもジョーカーでしかなく、何をやってもジャック・ニコルソンと比較されてしまうという極めて不利な状況でありながら、見事なまでに新しいジョーカー・スタンダードを創出してしまったことはヒース・レジャーの偉業と認めざるを得ないだろう。
個人的にお気に入りは登場シーンのかっこよさと、病院爆破シーンである。
しかしジョーカーがあまりに魅力的すぎて、ジョーカーのいないシーンでは「早くジョーカー出てこないかな」と期待してしまい、そして思ったほどジョーカーの出番が少ないので間延び感があった。
とはいえこの映画の絶賛理由の恐らく8割以上は「ジョーカー」の存在感だろう。
平和=秩序だっている状態 → 悪=無秩序を呼ぶもの → 無秩序=組織が無く、ルールがなく、計画性が無い・・・という悪の理論に基づいて作られた悪役がジョーカーだったように思う。彼は支配より混沌を望む。金でも欲でもなく、ただ「悪」でありたい。そのような悪役キャラはあまり無かったのではないか。
正義の味方だったハービー・デントが本編開始後90分くらいたってから悪役トゥー・フェイスに変貌してしまうシナリオも何か掟破りだったが、ともかく正義と悪が表裏一体であることを印象づけ、純粋悪はあっても純粋正義が不在であることを本作は描く。
そしてバットマンは「正義の味方」ではなく、「悪の敵」として描かれ、それゆえに彼は勝利する。正義の不在をただ一人知る彼は悪と戦うために、正義に追われるヒーローであることを選ぶ。
やっぱり深い話だったんだなーーーと思うけど、脚本のアンバランスさがひっかかる。
たとえば香港のエピソードとか、携帯追跡装置を紹介するためには必要だったが、それ以外はエピソード的に重要でもないしやってることもつまらない。秘密アイテムの紹介なら、モーガン・フリーマンが007のQばりにささっと口で説明してしまえば事足りた感じがしなくもない。
そして前述のジョーカーのいるシーンといないシーンの明からさまな面白さの落差。2時間30分近い上映時間が普通に「長い」と思ってしまった。
しかも長い割には編集が荒く、「あれ?いつの間にそういうことになったの・・・」と頭の整理に時間を要する部分もあったりして。
いっそのこと構成を練り直して3時間くらいの尺にして、90分ずつ前後編に分けて公開した方がもっと面白くなったかもしれない・・・などと思ったりして。
いや全米大ヒットと日本での大絶賛を考えたらそのような自分の考えこそ間違っているのだということはわかっているのだけど

「ビギンズ」と続けて観た人が誰しも思うだろうこと。
レイチェルが急にブスになったねえ
おそらく「ビギンズ」でレイチェルやってた彼女が悪いんじゃなく、あいつの彼氏がめんどくさい奴だからだろうな・・・と邪推。

音楽について
音楽は(こういってわかる人がどれほどいるか)ハンス・ジマーとジェームズ・ニュートン・ハワードの2人が手がけるという豪華さだ。
ジマーは「レインマン」あたりから頭角を表し始めたドイツ出身の作曲家で、最近は多くの手下を従えて、自分でテーマを書いて手下どもに細かい場面の作曲をさせて自分で手直しするという映画音楽量産体制を強いている独裁者である。ただしその手下たちの何人かはジマーの元をはなれ一枚看板で売り出し始めているので後進の育成に努めているとも言える。
たいしてジェームズ・ニュートン・ハワードは別にジマー門下というわけでなく、「サウス・キャロライナ」あたりから頭角を表し始めたハリウッド育ちの音楽家である。我の強い作曲家と我の強い監督が対立して作曲家がクビになったとき急遽代打に呼ばれることが多い[詳細は私の「ハプニング」映評を参照されたし]。最近では「キングコング」でピーター・ジャクソンにクビにされたハワード・ショアの代わりに見事な楽曲を披露した。公開直前まで「キングコング」のポスターには「音楽:ハワード・ショア」と記載されていたのだから、いかに土壇場での音楽差し替えだったのかがわかる。
そんなわけでこの作品におけるビッグネーム2人の表記は、「どーせジマーが監督とモメてニュートン・ハワードが代理で追加楽曲を書いたんだろう・・・」とろくに調べもせずに思い込んでいた。しかし「ダークナイト」も同じ2人が担当しているので、モメたとかでなく普通に2人で相談し分担して仲良くやっていたらしい。
ジマーはちょっと聴いただけでジマーの曲とわかる個性の強さがあり、反面ニュートン・ハワードはどんな音楽も書いてしまうよく言えば変幻自在、悪く言えば無個性の作曲家だ (「わかれ道」と「コラテラル」と「キングコング」が同じ人によるものだなんて信じられない)。
「ビギンズ」ではジマー・パートとハワード・パートの境目を見つけてやろうと意識して聴いていたが、全部ジマーの曲に思えてしまった。ただ恐らく・・・スケアクロウがらみの曲はハワードによるものじゃないかな???自信ない。
「ダークナイト」は調べてみたところジョーカーがらみの曲をジマーが、ハービー・デント=トゥー・フェイスがらみの曲をハワードが担当したらしい。
なるほど愛とか情熱とか絶望とかそうしたエモーショナルな部分はハワード、スペクタクルな部分はジマー・・・ってのは上手い分担の仕方だ。
ハワードはどんな曲も書けるがジャブばかり、ジマーはKOパンチのような曲しか書けないから繊細な場面は苦手なのだ。
とはいえジマー・パートもハワード・パートもメロディのたたないアンダースコアのような楽曲ばかりで印象は薄い。影でひっそり戦うヒーローだからそういう曲をこそ監督は求めたのだろうが

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