自主映画制作工房Stud!o Yunfat 改め ALIQOUI film 映評のページ

映画作りの糧とすべく劇場鑑賞作品中心にネタバレ徹底分析
映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

【映評】あいときぼうのまち [監督:菅乃廣]

2014-11-08 22:47:25 | 映評 2013~
70点(100点満点)
2014年7月16日 テアトル新宿で鑑賞。

原子力国家日本の悲劇と希望をある家族の5世代にわたる物語で綴った野心作。反原発社会派映画には違いないけど、普通に家族の物語、女の子の青春物語としてキュンとくる。

----
原発事故後の日本で原発を扱った商業映画はあまり多くない。
別に陰謀論とかではなく政治的題材はヒットしないという商業的要因にすぎないとは思うけど、それでも少ない。
今この瞬間も放射能をまき散らし続けている原発を、そんなものは無いかのごとく原発もエネルギー問題も微塵も感じない映画ばかりが作られている。

そしてアメリカ版「ゴジラ」で日本の原発が爆発するトラウマシーンを先に描かれてしまう。しかもアメリカの核兵器開発は肯定して原発災害の象徴としての怪獣登場というちょっと、屈辱的ゴジラ映画だった。面白かったけど。
…って、ゴジラの評じゃないので、本題に戻る。

映画「あいときぼうのまち」では福島の人々の戦時中から続く原子力受難を、5世代にわたるある家族の受難で描くという壮大なスケールの物語である。
戦時中編、60年代編、2011年震災前編、震災後編の四つのエピソードをシャッフルして描く。野心的な脚本だ。複数の時系列、複数エピソードを並行して描くこと自体はめずらしくもない。最近の脚本家だとポール・ハギス(「クラッシュ」「サード・パーソン」)やギジェルモ・アリアガ(「バベル」「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」)が得意とする手法だ。ワンテーマを複数エピソードで描くのは何よりも脚本家の構成力が問われるわけで、単に原発反対とシュプレヒコールあげたいだけの映画ではなく、脚本家の野心が見えるところが楽しい。
野心といえば、最近のメジャーの日本映画は事務所の縛りで脱がない女優が多すぎるという批判を映画雑誌でよく聞くのだが、そうした映画界への嘆きに呼応するように、映画の冒頭シーンから全裸をさらす女子高生役の女優(千葉美紅)。無名な女優(失礼ながら…)を使ってでもメジャーにできないことを色々やってやろうという意図が見える。
「東京電力」としっかり実名を出すのもメジャーではやり辛いことだろう。
しかし、あくまでフィクションであって、脚本家も監督も社会性より登場人物たちに肩入れしすぎて、彼女ら彼らのココロを描くことに没頭しすぎた感はある。
だから原発を扱ったわりには、女の子の引き裂かれたココロが再生するまでを描いたほんわか青春ストーリーとしてうまくまとまりすぎた印象も。

四つのエピソードはそれぞれ印象深く、人物関係もどっかの映画評論家が言うように分かりづらいなんてことはない。キチンと時を経て再開する男女に感情移入できるよう、エピソードの時間配分には気を使っている。

個人的に一番印象深いのは原発誘致で揺れていた60年代の福島県浜通りを描いたエピソード。原発誘致に頑固に反対して町中から白い目で見られるの家の娘と、原発誘致のスローガン募集に応募して優勝してしまった男子との恋。
と書くとありがちなロミジュリ系恋愛だが、このとき結ばれなかった2人が震災前編で再会し再燃する過程とセットで見るから、そしてその60年代に恋に燃えた震災前編のおばあちゃんが不在の現代編とあわせて、我らはまだ見ぬエピソードの結末を思い悲しみとともに2人の恋を見送るのだ。

そして60年代に絶対安全だからと、町が潤うからと、未来のためにと国が進めた原発誘致について言及しているところがよい。

私たちは「ALWAYS三町目の夕日」を観て、あの時代の日本は良かったね~などと、お金や便利さには変えられない良さがあったんだね~などと感動している。
ご存知の通り山崎監督といえば美しい面をクローズアップすることに長けた監督で、反面意図的に汚い部分を映画から外す。批判しているわけではなく、映画の描き方として効果的だからそうしているということを言っている。
ある政治を生業としている人が、私はその人のことをよく存じ上げないが、ALWAYS三町目の夕日にたいへん感動されて、日本の欠点を語ることに生きがいを求めるのではなく、日本の明日のために何をなすべきかを語り合おうではないか、と語っておられるが、そういう映画を撮りたいというならともかく、政治の在り方において映画を真に受けて汚い部分はなかったことにしようとしているかのようだ。
このリンク先の人ですが有名な方なのでしょうか?
https://www.s-abe.or.jp/chapter7

その「ALWAYS」の時代に原発が作られ福島の3.11が始まっていたことに目をつぶってはいけないと思う。
綺麗なとこだけ見て汚いところに目をつぶる人たちによって原発が作られ、戦争が進められたのだ。
あの時代の綺麗なところを追うのも映画の役目だが、汚いところを追うのもまた映画の役目であり、映画作家の原動力である。
そんな映画作家の「時代」に対する思いに、「日本」に対する思いの強さに強く感じ入るところのある映画だった。
などと映画評でなく社会批判になってしまったが、内容が内容なだけに、批評なり感想なりに社会性が出てくるのはしかたあるまいと開き直る。

まあ、色々と政治発言の一つもかましたくなる映画で、褒めるにせよ貶すにせよ、そういう面だけで語るのは映画に対して失礼だろう。
複雑な構成で原子力国家日本の悲劇と希望を語った脚本家と、2人のヒロインを演じた三人の女優の素晴らしい演技を讃えよう。

最後に演出的に非常に気になったこと。
なぜ登場する女の子たちはみんないつも同じ服を着ているのか?
60年代編は貧乏で服が少なかったからで通るかもしれんが現代編の女子高生の服やタイツがいつも同じなのは、気になって仕方なく意図があったにしても効果的だったとは思えないが…

「あいときぼうのまち」
監督:菅乃廣
脚本:井上淳一
出演:千葉美紅、大池容子、夏樹陽子

---以下、鑑賞直後のTwitterフラッシュ映評---
新宿のチケット屋を歩いてゲットしたチケットもって映画館行ったら今日は1100円均一の日だった。情報戦に敗北した気分。ちなみに観た映画は「あいときぼうのまち」でした。
脚本を書いた井上淳一さんと、あの荒井晴彦さんのトークセッション付きの会。お得。荒井さんのイメージと違ういい人っぽさ

「なんで映画は監督ばかりが語られるんだ!」とさかんに荒井さんをけしかける井上さんに「だってテレビは脚本家でしか語られないだろ。進む道間違っただけだよ」ってニコニコ語る荒井さん。
「政治的な売り方するのはいいけどお客さん入らなきゃさぁ」とか「折り合いつけていこうよ」と、優しいトーク

でもゲストなのにサービストークなしで「あいときぼうのまち」のホンの構成とかラストとかへの批判をぶつける荒井さんはかっこよかった。

原爆原料のウランを掘っていた大戦末期の福島。原発誘致で揺れる60年代。津波直前の2011年と現在。四つの時代で原子力に翻弄された四つの恋。
反原発映画には違いないけど、一人の女の子の壊れたココロが再生する話として単純に感動。五世代かけてやっとたどり着いた希望

この時代に映画とか演劇とかの作り手を自認する人なら観て欲しい映画。フクシマは終わってない。
震災後の人たちだけでなく、原発災害の原因ができていたころの人たちを描いている点も重要だ。災害は日本人みんなで作り込んでいたと思った。

********
自主映画制作団体 ALIQOUI FILM

最新作「チクタクレス」

 小坂本町一丁目映画祭Vol.12 入選 (2014/5/4 愛知県刈谷市 刈谷総合文化センター)

上映
 富山短編映画祭 招待上映 (2014/11/3 富山市フォルツァ総曲輪)
 KINEMICAL VIRTUES 招待上映 (2014/6/23 大阪市難波ROCKETS)
 アプラたかいし映画祭 招待上映 (2014/3)
 商店街映画祭ALWAYS松本の夕日 招待上映 (2014/1)
 MATSUMOTO INDEPENDENT MOVIE PARTY (2013/12)
 日本芸術センター映像グランプリ ノミネート(2013/11)

「チクタクレス」予告編

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小津安二郎監督のお墓参り…多... | トップ | ジョン・ウィリアムズの音楽... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映評 2013~」カテゴリの最新記事