アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

月島と東京タワー

2012年06月22日 | Tsushimi Takashi
約三年半のニューヨーク生活を終えて帰国したのが
確か1981年あたりだったろうか。

成田に着いた日、東京は雨で
久しぶりに嗅ぐ懐かしい日本の匂いが
体全体の毛穴から自分の五感のすべてを
一瞬にして癒してくれた。

とりあえずではないけれども、住むところが必要だからと
知り合いの紹介でいくつかの物件を当たってもらい、
最終的に決めたのが月島だった。

10階の部屋の窓を開けると
すぐ真下に運河のような水路があり
当時はそこに何台ものヨットが停泊していて。
都会の雑踏より時間が穏やかに流れている空気と
近くの月島商店街。
そんな理由だけでそこに決めた。

18歳で上京し、住んだのが四谷三丁目だったので
結局、東京のどのエリアに住みたいなどという
土地の知識やこだわりも無かった。
いつも川の向こうの遠くに東京タワーが見えていて
いつか曲で儲けて絶対にあっちのエリアに住むぞと
そんな目標を持つにも絶好の場所だったかもしれない。

さあ、ここから再スタートという気持ちで一杯だった。

当時は最寄りの駅が築地で、
勝どき橋を渡ってマンションまでたっぷり15分の歩きだった。
現在は大江戸線の勝どきという駅があるらしく
かつてのマンションは目と鼻の先らしいが。

先日、渋谷で飲んだ後輩が近々そちらの方に引っ越すという事で
そんな月島界隈の懐かしい話題に花が咲いた。

当時は片手にギター、片手にエフェクターラックを抱え
渋谷のリハスタまでよく通った。
とにかく築地駅までの15分の歩きが地獄のような辛さで
両手に抱えた荷物のおかげで、肩と腕と指先が当分の間
感覚がなくなる程だった。

早いものだ。あれから30年が過ぎた。
ふとグーグルで調べてみたらそのマンション、
色やエントランスの材質に違いはあれど
未だに存在していた。

一度、大江戸線であのあたり、ぶらり一人旅してみるか。

さて、私が帰国した年、
オギャアと産声を上げてこの世に舞い降りた人も
沢山いるだろうがその81年生まれの一人に
斉藤工くんという役者がいる。

2008年に中村雅俊さんが唄った「涙」という楽曲が
主題歌であったNHKの土曜時代劇「オトコマエ」に主役として
出演していた一人が工(たくみ)君であった。

メーカーやディレクターとの
いろんな繋がりで彼にも曲を書かせて頂く流れになり
今度のシングルの二曲目に入れて頂いた。



スタジオで初めて彼に会ったときは見上げた。
私が東京タワーなら、彼はまるでスカイツリーだ。
長身で甘いマスクと低いトーンの声。
色んな役での演技とは違った彼の生々しさが
逆に自然体で素敵だ。
飾り気のない唄い方と普段の素朴な笑顔が
とてもいい。

彼が2007年にインディーズとしてリリースした
「ココロノグルリ」というアルバムを資料として聴いた。
いっぱいいい曲が詰まってた。

一年以上も前になるが楽曲提出の際に
一度ディレクターからダメ出しを食らった。
「なんか…迷ってます? メロディー多くないっすか?」
「…確かに…」

スーツの下のクタビレたシャツを見破られた気分だった。
襟元に職業作家の長年の垢とエゴがべっとり丸見えやないか。
毎度の事ながら、何年やっても学習せんのう。
月島時代を思い出せ、このあほんだら。

襟を正し気持ちを入れ替えて、言葉と一緒に作ってみた。
少しはマシになった。
彼が唄った。
思った通りの作品になった。

「ずっと… 」 って曲。

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