もずの独り言・goo版

半蔵ともず、gooでも独り言です。『もずの独り言』はこれからも戦い続けます。

【みんな生きている】北朝鮮人権侵害問題啓発集会・国民大行進編/KBC

2015-06-17 04:42:29 | 日記
《拉致は人権侵害の総本山!天神で拉致被害者の早期救出を訴える集会》

6月14日、福岡市で北朝鮮による拉致被害者の早期救出を訴える集会が開かれました。集会には九州各地から約350人が参加し、山谷えり子・拉致問題担当大臣や拉致被害者「家族会」のメンバーたちが挨拶しました。
家族会代表の飯塚繁雄さん(田口八重子さんの兄)は、

「今この時期、一番大切なのは被害者の帰国そのもの。これは絶対に譲れない。」

と語りました。
拉致問題に関しては、北朝鮮が特別調査委員会を立ち上げて7月で1年になるものの、いまだ具体的な進展はありません。
山谷大臣は

「厳しい意見があって当然。しっかり受け止めながら、解決のために強く進んでいきたいと思う」

とあいさつしました。
集会後、参加者たちは天神をデモ行進し、拉致被害者の早期救出を力強く訴えました。

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮の南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
(拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙(シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員・辛光洙(シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)

◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:松木 薫さん(拉致被害時26歳)
被害者:石岡 亨さん(拉致被害時22歳)
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

◆昭和53(1978)年8月12日
アベック拉致容疑事案
被害者:増元るみ子さん(拉致被害時24歳)
被害者:市川修一さん(拉致被害時23歳)
「浜に夕日を見に行く」と言って出かけたまま失踪。
北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

《福岡県警公開特定失踪者・石坂美智子さんについて》
◆氏名:石坂 美智子
(いしざかみちこ)
◆当時の年齢:25歳(昭和54年当時)
◆当時の住所:福岡県直方市
◆当時の職業:飲食店従業員
◆身長:150㎝
◆体重:48㎏
◆特徴:
1)丸顔
2)浅黒

【失踪状況】
石坂美智子さんは昭和54年秋頃、当時勤めていた飲食店を休み、一人で外出したまま行方不明となっています。

《福岡県警公開特定失踪者・三國雅三さんについて》
◆氏名:三國 雅三
(みくにまさぞう)
◆当時の年齢:20歳(昭和54年当時)
◆当時の住所:福岡県福岡市城南区
◆当時の職業:大学生
◆身長:172㎝
◆特徴:痩せ型

【失踪状況】
三國雅三さんは昭和54年6月30日、福岡市城南区友丘所在の知人宅から、自宅に向かってバイクで帰宅中、行方不明となっています。

《福岡県警公開特定失踪者・濱野喬一さんについて》
◆氏名:濱野 喬一
(はまのきょういち)
◆当時の年齢:44歳(昭和54年当時)
◆当時の住所:兵庫県神戸市
◆当時の職業:調理師
◆身長:165㎝
◆特徴:痩せ型

【失踪状況】
昭和54年10月、熊本市内で兄に「福岡に行く」と言って別れたまま、以降音信不通となり、行方不明となっています。

《福岡県警公開特定失踪者・平峰久志さんについて》
◆氏名:平峰 久志
(ひらみねひさし)
◆当時の年齢:35歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:大阪府大阪市八尾市
◆当時の職業:土木作業員
◆身長165㎝
◆特徴:痩せ型

【失踪状況】
平峰久志さんは昭和60年5月17日、自宅(大阪府八尾市)から自転車で外出したまま行方不明となっています。

《福岡県警公開特定失踪者・西田智一さんについて》
◆氏名:西田 智一
(にしだとしかず)
◆行方不明当時の年齢:29歳
◆当時の住所:福岡県福岡市東区
◆当時の職業:無職
◆身長:170㎝
◆特徴:
1)右手小指湾曲
2)軽度の脳性麻痺
3)身体障害者3級
4)足を引きずる歩き方

【失踪状況】
西田智一さんは昭和61年2月1日、友人のところに行くと言って車で外出したまま行方不明となっています。

《福岡県警公開特定失踪者・谷口修也さんについて》
◆氏名:谷口 修也
(たにぐちしゅうや)
◆当時の年齢:47歳(昭和61年当時)
◆当時の住所:福岡県北九州市門司区
◆当時の職業:港湾労働者
◆身長:170cm
◆特徴:痩せ型

【失踪状況】
谷口修也さんは昭和61年3月2日、「港湾職業安定所に行く」と言って自宅を出たまま行方不明となっています。

《福岡県警公開特定失踪者・中武慎也さんについて》
◆氏名:中武 慎也
(なかたけしんや)
◆当時の年齢:21歳(昭和63年当時)
◆当時の住所:福岡県福岡市城南区
◆当時の職業:大学生
◆身長:170cmくらい
◆特徴:中肉

【失踪状況】
中武慎也さんは昭和63年1月5日、福岡県福岡市内の下宿先に荷物を置いたまま行方不明となっています。

《福岡県警公開特定失踪者・池永三和子さんについて》
◆氏名:池永 三和子
(いけながみわこ)
◆当時の年齢:38歳(平成2年当時)
◆当時の住所:福岡県北九州市八幡西区
◆当時の職業:中学校教員
◆身長:155㎝
◆体重:48㎏
◆特徴:
1)丸顔
2)浅黒
3)下腹部に15㎝手術痕

【失踪状況】
平成2年8月4日、池永美和子さんは家族で屋久島まで登山に赴いた際、登山の途中で家族と別れ一人で宮之浦岳に向けて出発した後、行方不明となっています。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。
この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【みんな生きている】北朝鮮... | トップ | 【みんな生きている】北朝鮮... »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事