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a Lady men-ya ningyo Ⅱ

2011-01-15 | bookshelf
***箱入娘面屋人魚 2***
        
竜宮の世界で鯉と不倫した浦島太郎に捨てられた赤ん坊の人魚は、無事に成長しました。
ある日、神田の八丁堀辺りに住む漁師・平次が品川沖で釣りをしていると、舟の上に突然女の化物がなにやらムシャムシャ喰いながら乗っかってきました。
これが例の人魚。年のころは17,8歳で人間ならば色盛り。しかも路考や万菊・杜若にぐにゃ富(当代きっての若女形)を混ぜたように美しい顔だったので、たまげた平次もまんざらでもないなと思い、体は魚だけれども連れて帰りました。


 ここで、現実へ戻って現在位置を確認してみました。
     
物語の舞台となっている界隈は、江戸の町中央区日本橋の隅田川と箱崎川(現在首都高が走っている)と日本橋川に囲まれた処を1771年明和8年に埋め立てて作った町屋で、江戸有数の繁華街でしたが1789年寛政元年に取り払われました。地図上の日本橋中洲という場所ではないかと思います。京伝先生がこの戯作を書いた時は既になかったので、素人の売春宿も横行していた嘗て実存した歓楽地・中州新地を江戸湾(東京湾)に沈ませて竜宮城として甦らせたんですね。浦島太郎の不倫相手のお鯉(り)のは利根川屋の遊女で、利根川(旧江戸川)は鯉が名物だったそうです。
日本橋蛎殻町に水天宮というのがあるので、これを竜宮に見立てたのかな?と思い調べてみましたが、この水天宮(子授け・安産祈願)は当時はここにはなく、明治になって移転されたものだったので無関係でした。(1818年に九州久留米から分霊され、三田/赤羽橋付近から一時青山へ移され現地へ到る)
 漁師平次の住んでいる神田八丁堀は、弥次さん喜多さんが住んでいた場所。つまり架空の番地(当時本当の住所を教えたくない時に「神田の八丁堀ヨ」と使っていたそうです。)。
蛎殻町の上は人形町。察しの早い人はオチがわかります。

本文中では、人魚は大層美しいと書いてありますが、挿絵を見る限りそうでもなさそうに思えます。でも江戸時代の美人と今の感覚では違うので、美人の例として挙げられた歌舞伎の女形はこんな顔です。
     東洲斎写楽画
右が路考と言われた三代目瀬川菊之丞(きくのじょう)、左が初代中山富三郎通称「ぐにゃ富」(女性のしぐさに特徴があり、あまりにしなやかだったため)。
因みに写楽は八丁堀(実在する)に住んでいたそうです。
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