原爆と戦争責任

なぜ核兵器はなくならないのでしょう?なぜ日本人は非常識なのでしょう?

2007年8月6日原爆への各新聞社説(2)

2007-08-08 16:10:37 | 原爆
【現状是認の外交では核拡散を防げない】(日経新聞・8月6日)

 ことしもヒロシマの日がめぐってきた。核の脅威はなお世界に広がり続けている。責任が重いのは、新たな核保有国を甘やかすかのような超大国、米国の対応である。これでは核保有への誘惑は止まらない。この1年間の核をめぐる状況で最大の変化は、昨年10月の北朝鮮の核実験だろう。国連安全保障理事会は、大量破壊兵器関連の禁輸、貨物検査を含む制裁措置を盛り込んだ決議を採択した。核実験発表からわずか5日後、全会一致の採択だった。北朝鮮の核実験に対する国際社会の厳しい反応を見せつけた。ところが今年1月の米朝ベルリン協議で空気は変わる。米政府は「制裁ではなく規則だから解除はできない」との理由で凍結してきたマカオの銀行の北朝鮮資金の扱いをめぐる交渉に応じ、最終的に解除した。

 制裁の代わりに報酬を与え、それによって北の核を管理する方針に転じた格好だ。核保有を狙う国や勢力は北朝鮮に続こうとする。特にイランに影響しても不思議ではない。制裁解除などを見返りにして核保有を断念させた「リビア型モデル」の実例もあるが、核開発の初期段階だったリビアと核実験まで実施した北朝鮮は同列には扱えないだろう。先月末に合意した米印原子力協定は、核拡散防止条約(NPT)に加盟していないインドにNPT上の核保有国とほぼ同等の資格を与えた。たとえインドの核関連施設の一部が国際的な査察の対象になるとしても、協定自体は核不拡散の枠組みを大きく揺るがす動きだ。インドの核保有はパキスタンに影響を及ぼし、さらなる拡散の危険をはらむ。

 米国は「テロとの戦い」で連携が必要なパキスタンの核保有も、事実上容認してきた。イスラム過激派は米国が支持するムシャラフ政権に揺さぶりをかけており、核が過激派の手に渡れば、テロの脅威は一段と高まる。世界で最も危険なパキスタンの核の廃棄への道筋は見えない。北朝鮮やパキスタンの核保有は、どんな国でも核を保有し、政治的な脅しに使いうる現実を示す。最も脅威を受けるのは最大の核保有国でもある米国だが、北朝鮮やインドなどに対する姿勢は、逆に地球規模の核拡散を促す結果になりかねない。

 日本でも原爆投下を「しょうがない」と述べた久間章生前防衛相の失言があった。ナガサキ出身でもある防衛相がこう語ったことは、核廃絶を求める被爆地の訴えを弱めかねず、国際的文脈でも不適切だった。きょうは核の惨禍と現在の危うい状況を改めて真剣に考える日である。

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【希望の種子を風に乗せ 原爆忌に考える】 (東京新聞社説・8月6日)

 六十二回目の八月六日。ヒロシマはまた、深い祈りに包まれます。でも、夕凪(ゆうなぎ)のあとの風に乗り、広島で生まれた希望の種子が、ほら、あなたの手元にも。落日の気配がほのかに周囲を染めて、夕凪が始まりました。昼間が夜に交代の準備を促すその間、太田川の川面を滑る風がやみ、せみ時雨もどこか遠くに聞こえます。「午後の三時をかなりすぎていた。この時刻にやってくる、この街特有の夕凪がはやくもはじまっている。風はぴたりととまっていた。一滴の風もなかった。蒸れるような暑さのために、手の甲にまで、汗の玉がふき出た」

■アカシアの木の下で
 東京から疎開中に被爆した作家大田洋子が、「夕凪の街と人と」で描いた通りの暑さです。広島は快晴でした。城南通りの空鞘橋から川上へ、葉桜の並木が縁取る堤防の緑地を歩いていくと、日傘のように形良く枝を広げたアカシアの木が立っています。公開中の映画「夕凪の街 桜の国」(佐々部清監督)の重要な舞台になった場所でした。文化庁メディア芸術祭で大賞を受賞した、こうの史代さんの同名漫画を原作に、被爆者三代の日常や生と死を映画も淡々と描きます。
 物語前半のヒロイン皆実は、父親と幼い妹を原爆に奪われました。 それから十三年、皆実自身も原爆症で若い命を失います。同じ職場の恋人と、疎開して被爆を免れた弟に見守られ、「原爆スラム」と呼ばれたバラック集落の前に立つ、そのアカシアの木の下で-。緑陰に腰を下ろして、ヒロインの最後のセリフをかみしめました。
 「なあ、二人とも、長生きしいね。ほうして忘れんといてえなあ…、うちらのこと…」
街角で偶然耳にした、観光ボランティアの女性の言葉がそこに重なりました。
 「父と兄が原爆の犠牲になりました。母は当時二歳の私を防火水槽に突っ込んで助けてくれました。母は七十歳を過ぎるまで、その時の模様をいっさい語りませんでした。私にも直接の記憶はほとんどありません。でも永らえた命に感謝を込めて、母の言葉を語り伝えねばなりません-」

 すべてはこの街で現実に起きたことだと、念押しをするように。気が付くと、幹の途中から萌(も)え出たばかりの若い枝葉が小さく風に揺れています。映画の中のアカシアは、繰り返す死と再生の象徴なのかもしれません。夕凪が終わり、たそがれに街が沈んでいきました。

■被爆の木が伝えるもの
 広島は「被爆樹木」を大切にしています。旧中国郵政局から平和記念公園に移植された被爆アオギリは、爆風に深く幹をえぐられながら、手のひらのような青葉を毎年元気に翻し、童話や歌にもなっています。爆心地の近くで生きながらえた広島城二の丸跡のユーカリは、被爆後二十六年目に襲来した台風に倒されました。それでも根元から新たな若芽を吹いて、今ではすっかり元通りの姿になりました。原爆ドームに代表される「原爆を見た建物」が核兵器の悲惨を歴史に刻み、浄国寺の被爆地蔵や元安川の灯籠(とうろう)流しが鎮魂の思いを世界に示す一方で、被爆樹木は限りない命の強さ、希望の深さを象徴します。
 昨年の平和記念式典で、日米の小学六年生が「平和への誓い」を読み上げました。「一つの命について考えることは、多くの命について考えることにつながります。命は自分のものだけでなく、家族のものでもあり、その人を必要としている人のものでもあるのです」夕凪のように風のない、停滞した時間に紛れ、私たちは、今生きて、暮らしていることの尊さを、つい忘れがちになるようです。いたずらに日々を憂い、刺激を求め、美しい姿形や勇ましい言動に、魅せられてしまいます。

 「平和への誓い」は続きます。「『平和』とは一体何でしょうか。争いや戦争がないこと。いじめや暴力、犯罪、貧困、飢餓がないこと。安心して学校へ行くこと、勉強すること、遊ぶこと、食べること。今、私たちが当たり前のように過ごしているこうした日常も『平和』なのです」ヒロシマが、ナガサキが、本当に語り伝えたいものは、「日常」の中にたたずむ「希望」なのかもしれません。

■生きていてありがとう
 映画の前半で、ヒロイン皆実の恋人が愛する人を抱きしめながら、しみじみとつぶやきます。
 「生きとってくれて、ありがとうな」
ヒロシマが日本や世界に届けたい、「心」のようにも聞こえます。八月六日。それぞれの場所からヒロシマへ、鎮魂の思いに乗せて答えを返してみませんか。

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【広島平和宣言 なぜ北の核には触れない】 (産経新聞社説・8月7日)

 広島が62回目の原爆の日を迎えた。秋葉忠利市長は平和宣言で、「日本国政府は世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり『ノー』と言うべきです」と訴えた。だが、今年も昨年と同様、北朝鮮の核には言及がなかった。北朝鮮は昨年7月、計7発の弾道ミサイル発射実験を行い、10月には核実験まで強行した。日本にとって当面の最大の核脅威は北朝鮮であろう。秋葉市長の平和宣言はなぜ、北朝鮮の核の脅威には言及しないのだろうか。

 6カ国協議で、北は寧辺の核施設の稼働停止に応じ、非核化へ向けて第一歩を踏み出したかに見える。だが、核計画の完全申告や核施設無能力化などの問題は先送りされ、実施のメドすら立っていない。北は軽水炉をはじめとする要求を拡大することで、時間稼ぎを図る可能性も残る。そうした時期だけに、北朝鮮に対して完全に核廃棄を求める強いメッセージが必要だった。国際社会も日本国民もそれを期待していたはずだ。

 今年の広島の平和宣言は、4月に凶弾に倒れた伊藤一長前長崎市長にも哀悼の意を表した。伊藤前市長が昨年8月9日の長崎原爆の日に読み上げた平和宣言は、「核兵器保有を宣言した北朝鮮は、我が国をはじめ世界の平和と安全を脅かしています」と北の核の脅威にも触れていた。秋葉市長は伊藤前長崎市長から、現実を踏まえた平和宣言のあり方を学ぶべきである。6月末、久間章生前防衛相は千葉県内での講演で、米国の原爆投下について「しょうがない」と発言し、大臣を引責辞任した。日本は侵略したのだから原爆を投下されてもやむを得ないという考え方は、今も日本の一部の教育現場に残っている。

 だが、広島や長崎で原爆の犠牲になった人々のほとんどは、非戦闘員だった。米国でも戦後、アイゼンハワー氏やリーヒ氏ら元将校が原爆投下を疑問視する発言をしている。「原爆はソ連との政治戦争に使用された」(米の女性歴史家、ヘレン・ミアーズ氏)といった見方もある。現在も多くの被爆者が後遺症に苦しみながら亡くなっている。原爆の悲劇を繰り返さないためにも、バランスのとれた平和教育が必要である。