Stahlgewitter2016

ベルリンでの日々

共産主義の過去にいかに対峙するのか⑤

2017-02-24 01:24:13 | 忘却の政治
 チェコスロヴァキアは、旧東欧諸国の中で最初に浄化法を制定した国であった。そのチェコスロヴァキアは1992年末をもって解消され、1969年以来の連邦共和国はチェコ共和国とスロヴァキア共和国の二つの国家に分裂した。興味深いことに、40年以上にわたって一つの国家であり続けながら、移行期正義の実現度の観点からすると、チェコ共和国はその最先進国の一つであり、スロヴァキア共和国はその最後進国に属する。この違いはなぜ生じたのだろうか。
 最も注目すべきなのは、「プラハの春」の挫折の翌年に導入された連邦制の下で、チェコ共和国とスロヴァキア共和国とでは、共産主義体制に対する評価がかなり異なっていたという点である。より具体的には、体制の抑圧度はチェコ共和国の方がスロヴァキア共和国よりも高く、それがチェコにおける共産主義体制への批判や体制改革の志向を高める一方、スロヴァキアにおいては、共産主義体制はチェコよりもはるかに高い支持を確保し、安定した体制への正統性を維持していたのである。その共産主義体制に対する高い支持のために、スロヴァキアでは体制移行後も国家分裂後も、旧共産主義勢力を浄化するという移行期正義の追求に対する関心が高まらなかったのである。
 実際、旧共産党の性質についてみれば、チェコではイデオロギー的に頑迷で反民主的、有権者に対するアピールも積極的ではなかった。これに対してスロヴァキアの場合、より柔軟で、民主化したスロヴァキアの新体制への適応性に富んでいた。これは依然として共産党が住民の支持を確保し有効な政治主体たり続けていることの証左であろう。
 有権者の姿勢の違いからもスロヴァキアの旧共産党が、国民の支持を背景に浄化の圧力をかわしているという状況が理解される。1992年のある調査によれば、共産主義体制の時代の政府よりも体制崩壊後の政府の方がよいサービスを提供していると回答したのは、チェコが63%であったのに対して、スロヴァキアは41%にすぎなかった。37%のスロヴァキア人が共産主義体制の支持者であったのに対して、チェコにおける旧体制の支持者は15%しかいなかった。失業の増加に関しても、スロヴァキア人は新体制の失政にその責任を帰し、逆にチェコ人は共産主義体制下の諸政策の帰結であると考える傾向が明らかであった。そして1995年の調査が示すところでは、脱共産主義が党派間の争点になる度合いは、チェコの方がスロヴァキアよりもはるかに高かった。換言すれば、スロヴァキアの諸政党にとっては、脱共産主義はさほど意味ある争点ではなかったのである。
 チェコスロヴァアとその二つの後継国に限れば、抑圧的な共産党の存在が結局は共産主義の「過去の克服」を導き、逆に国民に対して親和的な共産党が浄化に代表される非共産主義化(移行期正義の追求)を妨げたと言える(その際、抑圧的ではない共産党だからそもそも裁かれるべき厳しい諸措置をとらなかったのか、体制と国民との共犯的あるいは非敵対的関係が共産主義の過去の清算を滞らせているのか)。抑圧的でない共産党がいた国ほど「過去の克服」が妨げられるという意味で「忘却の政治」に陥りやすいと言えるのだろうか。
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