カトリック教会の問題

公会議後の教会の路線は本当に正しいのでしょうか?第二バチカン公会議後の教会の諸問題について、資料を集めてみたいと思います

第2バチカン公会議とは :2

2017-01-17 01:50:45 | 第二バチカン公会議
第2バチカン公会議とは(2)

 私たちは、今から第2バチカン公会議がこの2つの形態のどれにも入らないことを見てみます。そして、この2つの形態のどちらでもない場合の教導職の権威について検討してみます。

異論1:公会議は荘厳判断を下した

 あまり数は多くありませんが、公会議がドグマを公布したと主張している人々もいます。例えば、Sacerdotium誌や、Sub tuum praesidium誌がこの説を唱えています。

 もし私の理解が正しければ、この説を唱える人々によると、次のようにまとめることができます。

「まず、1964年11月16日の公会議事務総長の告知monitumにはこうある。

『公会議の慣習と本公会議の司牧的目的を鑑みて、この聖なる会議自身が明らかに信仰と道徳に関する事柄を教会によって保持されるべきもの(tenenda)として定義するとみずから明らかに宣言するときにのみ、そう定義する。』(DC, 1964, no 1438, col. 1633, nota)

 ところで、公会議の中に定義付けがなされたことが見出される。特に『信教の自由に関する宣言Dignitatis Humanae』に含まれている信教の自由に関する教えだ。[Sacerdotium誌は、次の個所を引用して、強調を付けています。]

『このバチカン教会会議は、人間のこのような熱望[信教の自由な実践に関する熱望]を注意深く考慮し、それが、どれだけ真理と正義とに合致するかを明らかにするため、教会の聖なる伝承と教説とを探求し、そこから、古いものと常に一致した新しいものを引き出す考えである。(1)

 このバチカン教会会議は、人間が信教の自由に対して権利を持つことを宣言する。…信教の自由の権利は、人格の尊厳に基づくものであり、天主の啓示の言葉と理性そのものとによって認識されることを宣言する。(2)

 …その上、自由に関するこの教えは、天主の啓示に基づいているため、キリスト者は他の人々以上に、この教えを忠実に守らなければならない。…特に、社会における信教の自由は、キリスト教の信仰の行為と完全に一致するものである。(9)

 福音の真理に忠実な教会は、新教の自由の原則が、人間の尊厳と天主の啓示とに合致するものと認め、それを促進する場合、キリストと使徒たちに従うものである。教会は、師と使徒たちから受けた教えを長い世紀にわたって守り、伝えてきた。…(12)

 この教令の中で公布されたこれら全てのことと、その個々のことは、諸教父の賛同したことである。私も、キリストから私に授けられた使徒的権能をもって、尊敬に値する諸教父とともに、これらのことを聖霊において承認し、決定し、制定し、このように教会会議によって制定されたことが天主の光栄のために公布されるように命ずる。…(15)』

[Sacertoium誌は、これらの表現が、第1バチカン公会議が宣言した教皇の不可謬権の定義と合致すると言い、第1バチカン公会議の定義を引用しています。]

「我々は、キリスト教信仰の初めから受けた伝え[traditio]を忠実に守りつつ、我らの天主なる救い主の光栄のため、カトリック教の高揚のため、キリスト教の民の救いのため、聖なる公会議の承認をもって、次のことを天主ら啓示されたドグマであると定義する。

すなわち、ローマ教皇が教皇座から(ex cathedra)話すとき、つまり、全キリスト者の牧者かつ教師としての権能を(munus)行使しつつ、その最高の使徒の権威をもって全教会が持つべき信仰あるいは道徳に関する教義を定義するとき、聖ペトロにおいてローマ教皇自身に約束し給うた天主の助力を通して、(天主なる贖い主がご自分の教会が信仰あるいは道徳に関する教義を定義するとき、教会が不可謬的に教えを受けることを望まれたが、)その不可謬性をローマ教皇が享受する。したがって、その同じローマ教皇の諸定義は、教会の同意から来るのではなく、ご自身からのものであり、改変できないものである。」

しかしながら、この第1の異論には、問題が多くあります。例えば、すでに引用しましたように、パウロ6世教皇自身が1966年1月12日にはっきりと、この公会議は、

「…教会の教導職の不可謬権を行使した荘厳な教義決定的な定義を避けました…。1964年3月6日の公会議の宣言を思い出しましょう。これは、1964年11月16日にも繰り返されました。すなわち、公会議の司牧的性格を鑑み、公会議は不可謬の印を伴うドグマの全ての特別宣言を避けました。」(DC, 1964, no 1466, col. 420)と述べているからです。

 教皇が、あるいは公会議が荘厳判断を下すためには、その最高権威に訴えなければなりません。それは、第1バチカン公会議で述べられているとおりです。ところが、教皇聖下と公会議当局は、公会議が教導職としての教えではあるけれども、不可謬の印を伴うドグマの全ての特別宣言を避けた、と言っているのですから、最高の教導権の行使(公会議に教皇と司教たちが集ったこと)にもかかわらず、これはその最高の度合いでの行使ではなかったと言わねばなりません。なぜなら、教皇と司教たちは荘厳判断によって、特別教権の様式で教えることを望まなかったからです。この公会議では、「通常教権の権威を伴う教えを提供し」(パウロ6世教皇1966年1月12日)ているに過ぎなかったのです。

このことは、教会高位聖職者たちが公会議中と公会議後にどのような用語を使ったかということからも分かります。すでに申し上げましたように、パウロ6世は1963年9月12日に、枢機卿の長であったティスラン枢機卿に

公会議は、すでに宣言され、あるいは定義された(declarata vel definita)教義を、ただ単に示す(exponatur)だけなのだと言っています。まったく疑いなく、教皇はここで今度の公会議が荘厳宣言を避け、いかなる新しい教義決定もせずに、教会の通常教導権のみを行使するという意向を表明しています。実に、教義を示すことは、通常教導権に属し、判断することは荘厳教導権に属しています。

ドン・ポール・ノー師(Dom Paul Nau)によると、

「第1バチカン公会議の際に、ガッサー司教(Mgr. Gasser)によって、「荘厳教導権の行為は、決定的な断定と言う性格をもつのみならず、その特別な本性によって判断の断定であり判決を言い渡すことである」と説明されました。…

 判断を下すということは、聖座からのex cathedra定義決定における荘厳教導職固有の行為であり、通常教導職の教えと異なります。通常教導職は、ある知識の原理の中に、あるいは信仰の知識のための啓示の中に含まれていることを知らせることを目的としており、弟子の知性がそれを把握することができるようにそれをほぐして教える[ex-poser, ex-pliquer]ことです。数世紀も前から、説教者たちは信者たちに聖母が天に挙げられたことを啓示の中に含まれている真理として教えてきました。神学者たちはこの真理を、信仰箇条として御托身と聖母が天主の御母であることから引き出していました。」

[Paul Nau, "Le magistere pontifical ordinaire", Revue Thomiste, juillet-septembre 1962, p.358.]

 以上の理由から、第2バチカン公会議が教会の専門用語としての「定義」を含んでいないことは明らかではないでしょうか。このことは、1917年の教会法にも明言されています。Can.1323.§3. Declarata seu definita dogmatice res nulla intelligitur, nisi id manifeste constiterit.(いかなることも、明らかにそうであると言われていない限り、教義的にあるいは宣言され、あるいは定義されたと知解されてはならない。)この条項は、1983年の新しい教会法典にも採用されています。Can749.§3. Infallibiliter definita nulla intellegitur doctrina, nisi id manifesto constiterit.(明らかにそうであると言われていない限り、いかなる教えも不可謬的に定義されたと知解されてはならない。)

 教皇パウロ6世も言うように、公会議は教義決定を避けるためにdeclarataとかdefinitaと言った用語を使うことを避けているではないでしょうか。

 第1の異論を唱える人々は、「定義する」と言うことをよく理解していないように思われます。この人たちは、公会議を開催した当局が明らかに教義決定を避けたと言っているのを聞こうとしません。

 更に言えることは、もしも公会議が何らかの教義決定を下そうとしたのなら、公会議の宣言を、かなり重要な決議について訂正する必要があると考えたことでしょう。(例えば、信教の自由には制限があって、それは共通善bunum communisであるなどと、共通善の概念を再導入するなどして。)また、公会議の信教の自由に関する宣言に公に反対し、これをあからさまに拒否していた人たちを、例えばルフェーブル大司教とかデ・カスロトメイヤー司教などを異端者として断罪しなかったのでしょうか。パルミエリPalmieriは、De Romano Pontifice (Thesis XXXI)の中でこう書いています。(quoted in DTC, "ordre", 1317)

「もし定義された教えが、その瞬間から教会において効力を持ち、またそれ以外の定義が無かったとしたら、これは信仰の定義付けだと言うことができます。しかし、これに反対する教えが教会の中に存続しつづけ、ローマ聖座がこれを知りつつそれが存続するのを許すのなら、そしてそれを認めるのならまして、この教えは信仰の定義付けではなかったと言うことが許されています。」

万が一、第2バチカン公会議の信教の自由に関する教えが信仰のドグマであったとしたら、バチカン当局は聖ペトロ会にこの教義の点に関する反対をその会員に取り消すようにと求めなければ、聖ペトロ会が教会法的に創立され得なかったことでしょう。しかし、実際はバチカン当局は信教の自由に関する宣言をドグマとして受け入れることを要求せずに、聖ペトロ会の設立を教会法的に認めました。


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