聖ピオ十世会 Society of Saint Pius X

キリストは勝利し給う、キリストは統治し給う、キリストは命じ給う

15 メッセージ

2017-05-18 01:30:49 | 聖母マリアとその出現について
15 メッセージ

 ゴスパのメッセージには、異端的なエキュメニスムがあります。ゴスパは宗教相対主義と宗教無差別という全く新しい教えを説きます。幻視者によって何度も何度も言われたこのテーマを、順序を追って並べてみましょう。これらの教えには、論理的なつながりがあり、幻視者らの個人的な神学の知識を明らかに超越しています。

1)唯一の天主しか存在しない。天主には分裂がない。天主は全ての人々の天主である。彼は、人を全く差別しない。

2)多くの宗教の間の違いによって出来た分裂を作ったのは天主ではなく、人々、人間たちである。この地上で、信者たちが互いに分かれ別れになって、様々な宗教を作った。天主は唯一であるから、これらの多くの宗教は人間たちの作り事でしかあり得ない。様々な宗教を作ったのは人々である。

3)この地上での分裂は、全く人間臭く、天主はその作者ではなく、天主はこれを忌み嫌う。天主の目にとっても、ゴスパの目にとっても、意味をなさない。ゴスパの口から絶えずこの表現が聞かれる。「天主にとって、天主の目には」「あなた達人間にとって、この世界にいる地上のあなた達にとって」と。言い換えると、私たちを区別し、私たちをこの地上で互いに離ればなれにする宗教の境界というのは、天主にまでは遡らない。

4)従って、「天主にとって、全ての宗教は等しく、同じようなものである」(1981年10月1日)天主は全ての宗教を全く等しい善意で考えている。天主はそれらの違いを無視する。カトリックの宗教と、ギリシア正教とについて、ゴスパはこう宣言する。「私の目と、天主の目とには、全ては等しいのです。」(1982年8月18日)天主の前において、この2つの宗教のメンバーは等しい。彼らは全て、同じ資格で、ゴスパの子供であり、天主の子供である。

5)天主は全ての宗教を、一人の王がその家臣を指導するように、様々な宗教の牧者、役員を通して指導する。

6)そのために、全ての宗教は救いの手段である。人々は自分の宗教をまじめに実践するなら、その宗教によって、どの様な宗教でも救われる。

7)カトリック信者は全ての宗教を尊敬しなければならない。これは信仰に基づいた重要な義務である。他人の宗教、あるいは他人の持つ個人的な確信を尊敬しない人は、キリスト信者ではない。他人をその信念の故に軽蔑してはならない。「イスラム教の兄弟、ギリシア正教の兄弟、あなた達を統治している無神論者を、尊敬し愛する」義務がある。「宗教の一致の欠如」というのは悪である。サタンによって作られた分裂である。それを治すようにしなければならない。(ロランタンp226参照)

 私たちはこれに答えてこう言いましょう。ゴスパはカトリックの教える真理を良く知らず、軽蔑し、踏みにじっています。

1)についてはこう言いましょう。確かに、ただ唯一の天主しか存在しません。それは、聖三位一体であって、聖父と聖子と聖霊との唯一の天主、全能の創造主、救い主、人間の最高の審判者であり、報償者、全ての人々の救いを望む天主です。

 しかし、正にこの「唯一の天主しか存在しない」、と言う真理は、唯一の真理しか存在しない、ということを意味します。いかなる矛盾も対立も許容することの出来ない唯一の啓示が存在します。真理なる天主であるイエズス・キリストがなした啓示が存在します。この唯一の天主は、人となって、自らの口から、私たちに教えを垂れました。この人となった唯一の天主は、私たち人間を救うために、真の天主について、聖三位一体の天主について教えを垂れました。道、真理、命である天主なるイエズス・キリストは、私たちに聖父と聖子と聖霊との御名によって洗礼を受けなければ救われないことを教えられました。このご自分の教えられた真理と、ご自分の立てられた7つの秘蹟が世の終わりまで続くように、唯一の真の天主を信じる真の宗教が世の終わりまで継続するように、一、聖、公、使徒継承の教会、ご自分の神秘体であり、ご自分の染みも汚れもない花嫁である教会を、聖ペトロの上に立てました。

 天主は人をだれも差別しません。何故なら、誰でも差別無くこの聖なる信仰、唯一の真の天主を礼拝し、信じるようにと招くからです。天主は、ご自分の開いた啓示を信じるように民族の区別もなく血筋の区別もなく、全ての民を、遍く招いておられます。天主は、唯一の救いの箱船であるローマ・カトリック教会から誰かを、あらかじめ、前もって排除しようなどという、偏見も差別もなさいません。

 全ての人々は、洗礼を受けることによってこの救いの箱船に入ることが出来ます。全ての人々は、差別無く、超自然の命に再び生まれ、天主の子となり、聖母マリア様の子となり、キリストの兄弟、聖霊の神殿になるようにと、招かれています。しかし、そのためには、イエズス・キリストを信じ、彼に従い、彼が、聖ペトロの上に立てた教会に入らなければなりません。

 イエズス・キリストは、「私は道、真理、命である。私を通らなければ誰も父のもとには行けない。」と言われました。しかし、ゴスパは、イエズス・キリストが唯一の道、真理、命であることを一度も言いません。ゴスパはこうして、唯一の啓示のこと、この啓示が誤ることなく教会によって私たちに仕えられていること、などについて、何も語らないと言う形で、暗黙のうちに実際的に否定しています。

2)こうして、唯一の教会によって伝えられている啓示について否定した後、ゴスパは、カトリック教会が、イエズス・キリストによって立てられ、御父によって望まれていること、カトリック教会だけが、イエズス・キリストの真の犠牲を完璧に保有すること、全ての真理を保有すること、聖霊がカトリック教会を指導していること、を否定するようです。ゴスパは、カトリック教会だけによって、聖霊が働くことを否定しているようです。聖三位一体によって、カトリック教会が、全ての人々を救うべき、唯一の、必要な、不変の手段として望まれていることを、ゴスパは否定するようです。

 この地上の分裂は人々が作りました。それは確かなことです。しかし、全ての人々が同様にその罪があるのではありません。この分裂は、天主に従おうとしない人々のせいです。この分裂の原因は、唯一の完全な天主の啓示をうち捨てることをあえて選んだ異端者たち、真の天主の建てた教会であるカトリック教会に入ることを拒む人々、天主の教会に自分の利益のために逆らい、対立し、攻撃し、犯罪的に分離し、この教会の他に、この教会と対立する別の諸宗教を作る人々、これらの人々のせいです。

 しかし、ゴスパは、イエズス・キリストに忠実にとどまった人々にも分裂の罪を押しつけようとします。

3)宗教の壁が天主までは至らないと言うのは誤りです。事実はその反対です。天主御父の目にとって、天主の子羊のいとも尊き御血によって塗られた霊魂は、エジプトを脱出しようとしたイスラエルの子らのかまちに塗られた子羊の血よりも雄弁です。天主の聖子の神秘体である聖なるカトリック教会に属するほど、救いに役立つことが他にあるでしょうか。「信じて洗礼を受けるものは救われ、信じないものは滅ぼされるでしょう。」(マルコ16:15)

4)「全ての宗教は天主の目にとって等しい」と言うことほど、躓きを与え、天主を冒涜するものはありません。しかも、ゴスパは、カトリック教会と、ギリシア正教会と、イスラムを全く同等に扱っています。ゴスパによれば、カトリックであるのも、離教者であるのも等しいと言うことです。ゴスパによれば、天主三位一体を信じ、イエズス・キリストを真の天主かつ救世主と信じることと、聖子の真理を否定し、頑固にも汚すこととが等しいことと言います。キリストの建てた教会によって、天主から罪の赦しを受け、天主の命をいただくことと、いかなる聖寵を私たちに伝えることの出来ない、力のない、或る「予言者」の弟子となることとが同じことなのですか???

 ゴスパによって、天主の十戒の第一戒は、踏みにじられ、無視されています。

 もしも、全ての宗教が同じだったら、全ての宗教は、等しく、必然的に、偽りでなければなりません。そうなら、もはや天主の建てた教会はないことになるでしょう。もしそうなら、一、聖、公なる、使徒継承の、天主の建てた教会は、存在しないことになってしまいます。人となった天主の御独り子、イエズス・キリストの唯一の花嫁、汚れ無き、完璧で、聖なる教会が否定されてしまいます。すなわち、これは、「カトリック教会の存在を知りつつ、この唯一の救いの箱船に入ることを拒むものにとって、永遠の滅びしかない」と言う教会の教義を否定することです。

 更に、ゴスパの言うことは、全ての人々は、自分の宗教が、あるいは無宗教がどの様なものであれ、天主の目と、天主の御母の目にとって等しいと言うことです。しかし、天主に対立し、悪魔の側についた人々、天主を軽蔑するまで自分を愛しサタンの側につこうと決意した人々、真の教会を知りつつあくまでそれに入ることを拒み、それを攻撃する人々、彼らは、「悪魔の子ら」(ヨハネ8:42-44)であって、罪の汚れ無き聖母の子ではありません。

5)天主が全ての宗教を、等しくその「牧者」たちによって指導しているなどと言うこと自体、常軌を脱しています。ゴスパは全ての宗教の頭たちに、人間の作った全ての団体に、天主の権威を不当にも与えています。ユダヤのラビにも、イスラムの狂信的な指導者にも、チベットのラマたちにも、仏教の僧侶にも、プロテスタントの様々な分派の牧師らにも、英国聖公会の指導者たちにも、神道の神主にも、アフリカの悪魔教の指導者たちにも、オウム真理教の指導者たちにも、全ての淫祠邪教の指導者たちに、彼らはいかなる能動的な司祭職、秘蹟による司祭職を受けていないにも拘わらず、イエズス・キリストの代理者、そして、使徒たちの後継者としての高みにまで揚げるのです!

 いや、実に、このことは、同時に、唯一の正統的な真の天主の牧者たちを、罪深く卑しめることに等しいことです。キリストの「あなた達の言うことを聞く人は、私の言うことを聞く。あなた達をうち捨てる人は、私をうち捨てる、あなた達をうち捨てる人は、私を使わされた方をうち捨てる」という御言葉、また「まことに私はあなた達に言う。あなた達が地上で繋ぐものは天でも繋がれ、地上で解くものは天でも解かれる」と言う御言葉は、キリストの使徒たちの正統な後継者たちに与えられたのです。カトリック教会の正統な牧者だけが、天主の権威を与えられているのです。カトリックの正統な牧者たちだけが、天主の羊の群を牧する権能と権威を持っているのです。

6)どの様な宗教でもいいから熱心に実践すれば救われる、というのは、全く劣悪な誤謬です。もしそれが本当なら、何故使徒たちは命がけでイエズス・キリストの御名を宣教したのでしょうか。何故、聖フランシスコ・ザビエルは、今から450年前に全てを捨てて、東洋の野蛮な人々のところまで来たのでしょうか。もしも、どの様な宗教でもいいから熱心に実践すれば救われる、というのならば、アジアの人々が、自分たちの淫祠邪教に熱心に従って、淫祠邪教の教えの通り人身御供を捧げ、呪いを掛け合い、憎しみ合い、魔術を掛け合い、殺し合い、敵討ちをし合っていれば救われたのではなかったでしょうか?

 ゴスパの言葉は明らかに、汚れ無き聖母、天主の御母聖マリアの御口から発したものではありません。聖母マリアは教会の輝かしき最も素晴らしいメンバーであって、唯一の教会と分かち難く結ばれておられます。聖母は、全ての人々がこの教会のメンバーになり、ご自分の子となり、イエズス・キリストの兄弟となることを、取り次ぎ給います。聖母マリアは、イエズス・キリストの共贖者であり、天と地の元后です。その聖母マリアが、天主の真理を冒涜するようなことを話し給うはずがありません。

 ファチマでは聖母は、全ての人々がなるべく多く教会に立ち戻るように、信仰を持つように、祈りと犠牲を捧げるようにと招かれました。「かわいそうな罪人たちのために」多くの祈りと犠牲を捧げることを要求されました。ファチマの聖母に先立つ天使の出現では、子供たちに「私は御身を信じ、礼拝し、希望し、愛します。」そして、天主を「信じない人、礼拝しない人、希望しない人、愛さない人のために赦しを願います」と言う祈りを教えました。

 ファチマのメッセージの核心は明らかです。真の信仰、真の天主の礼拝、真の天主への希望、真の天主への愛です。ロシアのなした、公式な立法化された天主への挑戦、すなわち無神論を償うために、聖母はギリシア正教会の指導者には何も要求しませんでした。離教の位階制度は何をやっても聖母の目にとって、天主の目にとって、公式に天主をなだめる力を持たないからです。聖母は、彼らの代わりに「教皇とカトリックの世界中の司教たちが」ロシアを聖母の汚れなき御心に奉献することを要求されたのでした。

 メデュゴリエのゴスパは、その反対に、罪にとらわれ、離教と異端にとらわれたかわいそうな霊魂たちが真の宗教に回心する恵みを勝ち取るために、償いをすることを語りません。ゴスパは、イスラム教徒や無神論者、異教徒らが、真の天主を知ることが出来るように、特別の恵みを得るように、償いをしなさいとは言いません。いや、かえってそれらの誤謬に熱心に留まれというのです!

 ゴスパはある時一人のイスラム教徒の女性に現れ、「彼女の敬虔は、全ての人々の模範である」と褒め称えるだけでした。1988年にはシヴィリッチ神父P. Sivricはこう書いています。「ギリシア正教会とイスラム教徒のかなりの人々がメデュゴリエを訪問しました。私たちの知る限り、その後にカトリック教会に入った人は一人もいません。」ゴスパによれば、この回心は必要など無いのです。ゴスパによれば、自分の宗教の中で、一人一人その宗教を深めればそれでよいのです。

7)カトリック信者には、使徒となり、宣教師となり、イエズス・キリストを知らない人々に私たちの主を知らせ、福音を知らせ、聖父と聖子と聖霊との御名によって洗礼を授けよと言う代わりに、ゴスパは、全ての宗教を尊敬せよと言います。そして、他の宗教の人々の改宗を勧めることを論外におきます。ゴスパにとって、キリスト者の第一の義務、主要な義務は、全ての宗教をカトリックと同じものとして尊敬することです。ゴスパは言います。「もしあなた達がその他の宗教、イスラム教、ギリシア正教を尊敬しなければ、あなた達は信じていません。もしあなた達がこれらの宗教を尊敬しなければ、あなた達はキリスト者ではありません。」ゴスパの言葉は、これに関しては厳しいものがあります。ゴスパの言葉が厳しければ厳しいほど、この言葉は危険であり、誤謬に満ちています。

 もしカトリック信者がイエズス・キリストを知れば知るほど、主を愛すれば愛するほど、イエズス・キリストがその御血を流して贖おうとした霊魂の救いを望むものです。イエズス・キリストが啓示し、カトリック教会が忠実にその遺産を保っている真理を愛すれば愛するほど、誤謬を忌み憎むものです。天主を愛するが為に、隣人を愛すれば愛するほど、人間の作った誤謬を忌み憎むものです。我が隣人が真理に至ることを望むものです。そして、偽りの宗教によって不幸にも闇の中にとどまる、哀れな霊魂らのために、この誤謬と、嘘と、偏見とを憎むものです。

 ゴスパの言葉、「その他の宗教を尊敬しなさい」や「諸宗教の一致が欠如している」というのは、全くフリーメーソンの汚いスローガンに他なりません。このような言葉は、サタンからのものとしか考えられません。天主からの使者は、常に真理を愛し、偽りを憎めと語りました。他の宗教を信じている人々と、他の宗教それ自体とは区別すべきです。人は憐れんでも、罪や嘘は憎まねばなりません。ゴスパは、その他の宗教それ自体を尊敬せよと言うのです。

 エリアは偽りの神バアルの司祭を、カルメル山の上で皆殺しにしました。天主の使者は、“世のはじめから人殺しであり、うそつきの父である「闇の君主」の支配”から人々を解放しようと努力します。

 天主の聖子イエズス・キリストは、ファリザイ人の偽善に対してどれ程残酷な呪いをかけたことでしょうか!初代教会の使徒たちは、教会を引き裂く異端に対して厳しく戦いました。異端を異端として排斥しました。殉教者聖イレネオから、聖フランシスコ・ザベリオ、聖ピオ十世、聖マクシミリアノ・コルベに至るまで、全ての聖なる証聖者、殉教者は、真理を愛し、偽りの憎みました。

 しかし、メデュゴリエのゴスパの態度はこれらとは全く反対です。

 もし、メデュゴリエの全ての幻視者たちが、ルルドの聖ベルナデッタのようであり、ファチマのヤシンタやフランシスコのようであったとしても、ゴスパのものとされる言葉は、明らかに悪魔からのものです。汚れ無き童貞聖母が、このようなイエズス・キリストの立てた唯一の真の宗教を破壊させるような危険な誤謬を言うはずがないからです。聖母は、信仰の砦、ご自分で全ての異端を滅ぼされた方です。この教義上の正しさは、私的啓示を判断する上で絶対のものです。

 アビラの聖テレジアはこう言っていました。「このただ一つの印だけで、悪しき霊の邪悪さが明らかにされますので、たとえ全世界がこれを天主の霊からのものだと言ったとしても、私はそれを信じません。」
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