聖ピオ十世会 Society of Saint Pius X

キリストは勝利し給う、キリストは統治し給う、キリストは命じ給う

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我々の嘆き

2017-06-02 03:28:48 | エキュメニズム関連
我々の嘆き

 日本の司教様、神父様、また全世界の司教様、神父様、願わくは「私がまず最初に擁護しているのは信仰ではない、人間である」(1978年5月)などと言われないように。

「全ての国内・国際政治活動は“人間から”由来し、“人間によって”行使され、“人間のため”にある。全政治の存在理由は人間への奉仕である。」(国連にて1979年10月2日)などと言われないように。

 願わくは、聖ピオ十世の言葉に耳を傾けんことを。ピオ11世の言葉に耳を傾けたまわんことを。教会の聖伝の教えに耳を傾けられんことを。

 私たちはカトリック信者である。私たちの祖先が中国文化の影響の元に良く訳したように『天主公教会』の信者だ。天主教の信者であって、『自ら神となった人間』を信じる宗教の信者ではない。わたしたちの信じているのは、人類教でも、民主教でもない。

人類教・民主教の教えとはこれだ。

 人類教にとって、『天主公教会』のかわりに、『キリスト教世界』のかわりに、「人類」が、普遍的救いの社会である。「すべての人はある意味ですでにキリストと結び付いている」が拡大解釈され、「すべての人はキリストの御托身により既に救われている」となり、すべては知ると知らずとも、“人類教の教会”の一員である。

 人類教にとって、「人権宣言」が新しい良き便り、福き音ずれ、新しい“福音”である。この宗教は、天主への対神徳である信仰・希望・愛と教えるかわりに、天主なき「自由・平等・博愛」を説く。

 人類教にとって、『天主のみ国』とは、「全世界民主主義」を建設することである。

 しかし、私たちには『天主の天主による天主のための』唯一真理の宗教がある。この宗教は、「人間への信仰」ではなく『天主への信仰』を教えている。

 私たちは、人間を礼讚・賛美・礼拝するのでなく、天主を礼讚・賛美・礼拝している。 教皇レオ13世は、回勅 Humanum Genus のなかでこう言われた。

「人類は、2つの相対立する陣営に別れている。この2つのうち、一方は真理と徳のために戦い、他方はそれの反対すべてのために戦っている。一方はイエズス・キリストの本当の教会であり、…他方はサタンの王国である。」

「かくて2つの愛が2つの国を築いた。天主を蔑む自愛は地の国を、自己を卑しむ天主の愛は天の国を築き、前者は自らを誇り、後者は主において誇る。」(アウグスティヌス『神の国』第14巻28章)

 わたしたちは、イエズス・キリストの天主としての権利が国内、国際社会に承認され、高揚されるために、公教会の自由と栄えのために戦うべきであって、人権のために、人間の自由放埒のために戦うべきではない。

 私たちは超自然の徳とイエズス・キリストの御血の功徳、7つの秘跡の聖寵と天主の十戒への従順に期待する。私たちは聖寵なき人間からは、何を望むことができるだろうか。あたかも原罪がないかのように、あたかもこの世を悪魔が支配していないかのように、あたかも多くの犯罪と罪が日々犯されていないかのように、どうして現代人すべてがその本性上善良であると信じることができるだろうか。どうしてキリストなき「人間の良心の上に」新しい世界を建設しようとするのか。

 キリストのいない「国連」、ユネスコ、国連食糧農業機関などに、どうして何を期待せよと言うのか。カトリック教会のパロディーである国連、キリストを除外したうえで世界新秩序を建設しようとする国連、新しいバベルの塔である国連に、何を期待せよと言うのか。「人々は和合と平和の最終的な希望を[真の天主ではなく]国連においている」とか、「[国連の組織は]世界の人々の最も大きな希望です。それは、この地上の人間社会の発展のために、超越的な愛に満ちた神の計画の反映であるとさえ言えます。それは天上の福音のメッセージが地上のものになったものです。(1965年10月4日)」などと言わないでほしい。

 もし「どの宗教でも良い、世界平和のために協力しよう」といい、「自己の主観に安住または逃避」し、「真理の特徴である客観的妥当性は、宗教や信仰の領域では通用しないもの」とするとき、岩下壮一神父の言われたごとく、「近代社会において、自由主義的、個人主義的主観主義に堕して真理性の要求を放棄したキリスト教[プロテスタントのこと]は…社会生活の指導的地位を失い、その結果は今日見るような近代請った内部の一組織である以上の何物でもなくなってしまった」(半澤孝麿『近代日本のカトリシズム』思想史的考察1993年みすず書房242ページからの孫引き)ように、人類教は世界民主主義連邦の御用宗教に成り下がるしかないだろう。

 もしも聖福音のこの世における実現があるとしたら、それはカトリックの民だみの作り上げるキリスト教文明である。そこではすべてがイエズス・キリストの上に築き上げられ、公教会が社会面において延長されたのであり、聖寵と信仰の業の実りである。それが聖ピオ十世の教えである。それが、聖ピオ十世の書いたシヨン運動排斥に関する書簡である。

 キリストのみが私たちに本当の平和を与えてくれるだろう。キリストの与える平和はこの世が与えるような「平和」ではない。バベルの塔を作ろうとするものには平和も休みをないだろう。

 私たちは、ベトレヘムの羊飼いたちと共に私たちの主イエズス・キリストを礼拝しよう。このクリスマスに、善い決心を立てよう。天主に対して罪をもう犯さないと言う決心を。私たちにとって一番重要なことは、「これまで戦争や災害などで、多くのお友達が病気になって苦しみ、食べるものもなく、お腹をすかせながら亡くなりました。…みんなで心を合わせて、私たちのなかから戦争やいじめを亡くし、地球を大切にして仲良くしていきます。」(カトリック新聞1999年12月19日)というよりも、むしろ「これまで多くの兄弟たちが、罪のと誤りの闇のうちに、亡くなりました。世界中の兄弟姉妹たちが、罪の病から洗礼によって癒され、霊的な糧であるイエズス・キリストに養われ、天主と教会の掟を大切にして、天主への信仰と愛と真理の一致のうちに、生きることが出きる聖寵を求めるます」ということだ。

 願わくは、この新しい千年期の初めに当たって、司教・神父様がたが公教会の聖伝の御教えに耳を傾けてくださらんことを!

文責 トマス小野田神父
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