聖ピオ十世会 Society of Saint Pius X

キリストは勝利し給う、キリストは統治し給う、キリストは命じ給う

蔓延する典礼崩壊

2017-06-14 16:46:38 | 公開書簡
蔓延する典礼崩壊

 しかしそんなことは些細な改革に過ぎません。このごろではもっと頻繁に普通の発酵菌のはいったパンの聖別の話を聞きます。それは「評価を絶する賜物(Inaestimabile Donum)」という教皇様の指導書の中で最近、純粋な無発酵の小麦粉から作られたパンだけを使用しなければならないといわれているにもかかわらずです。全ての制限はこれられています。アメリカの司教様は牛乳と卵とイーストと蜂蜜とマーガリンから作ったケーキをホスチアに作ることを勧めているのも見ました。非神聖化は、天主の奉仕に身を捧げた人々にまで広がりました。司祭は司祭服を着ずに、修道者は修道服を着用していません。敬称抜きのファースト・ネームで呼ばれ、「君(tu)」と相互に呼び合い、新しい原則として世俗化した生活様式を取り入れていますが、それは一生懸命そう信じ込ませようとしはしているものの、必要上に迫られたからではありません。その証拠に町中のアパートを借りて住み、修道院の囲みの外に出ている修道女たちがいます。こうして二重の経費がかかっているのです。彼女たちはもうベールを被っていませんので美容院に通いその費用もかかります。

 聖なるものの喪失は、涜聖へとつながっています。フランスの西部の新聞によると、1980年バトンガールの全国コンクールがヴァンデ地方で開かれたそうです。その時にミサがありました。そのミサの最中にはバトンガールが踊っていたのです。そのバトンガールの幾人かはその次ぎに御聖体を授けました。さらに、儀式は演舞で締めくくられました。そして司祭は祭服を着たままその演舞に参加したのです。私はここで私たちが目にする乱用の一覧表を示すつもりはありません。ただこうしていくつかの例を見せて何故今日のカトリック信者がどこででも困惑し、さらには躓いているかを示したいだけです。別にこれは秘密の話でもありませんでした。日曜の朝には、テレビが全ての家庭に司教達がキリストの御体に対して公になす許されない無遠慮とぞんざいな態度を放送しているのです。例えば1981年11月22日のテレビ放映されたミサでは、チボリウムの変わりにかごを使って[御聖体を入れ]信者は次から次へとそれを回して最後にはそのかごを聖変化した御聖体のはいったまま床においたのです。

 ポワチエでは、同じ年の聖木曜日に共同司式があり、その見物は複数のテーブルに置かれたごちゃ混ぜのパンとぶどう酒のはいったいくつかのピッチャーの聖別でした。そして各自はそのテーブルに来て自分で取って食べたり飲んだりするのです。
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