アベノミクス経済政策での最大の欠陥は、「働く人への投資」に対する重要性の認識が全く欠けていたことにある。
お金の流通を増やしさえすれば、大企業が儲けたお金は、社員の給与増額に回り、そのお金を消費回すことで、順番に周辺の企業に儲けが行き渡る。
こんな甘い想定しか描けない政治家が、日本の政府を構成していること自体が、自民党の政治家のレベルが低いことの証明でもある。
その上に、待機児童問題に対する危機感も全く欠如している。
共働き世帯や、ひとり親世帯にとっては、小学校入学前の子育てに大半の時間を取られる悩みは、生活者感覚があれば、切実さがわかる筈だ。
【保育園また落ちた、活躍できねーじゃねーか。日本死ね!】の悲鳴に対して、匿名だからと聞き捨てる感覚は、すでに国民意識から遊離している。
自民党の政治家たちは、【子育ての苦労などは、政治的重要度は低いもの】との認識しかない低次元の頭なのだ。
だから、当面の待機児童の削減に「保育所の受け入れ人数を便宜的に緩和する」政策を打ち出すような、お役所仕事の典型しか頭に浮かばない。
こんなレベルの政治家ばかりだから、日本の人口減少が止まらない、【国家的な危機が進行】してしまうのである。
国の長期的な繁栄は、『国民意識の品格』と、『安定した経済力』が基本である。
その認識のもとで、人口規模も安定させる政策が、成熟した資本主義国として進化させていくことが、選ばれた政治家の役割である。
長期的な人口減少社会への流れを、転換させる目標として「一億総活躍社会を目指す」とした、安倍政権の2016年の施政方針演説は、2013年4月の「超金融緩和によるアベノミクス」の3本の矢が酷すぎたのを、反省した成果であろう。
野党の4党は、経済政策の批判ばかりで、「長期的な国創りの目標」を国民に示すことができなかった。
その入り口の政策目標の保育所の増設、保育士の待遇改善の具体策を、「日本死ね!のブログ」が公開されるまで、真剣に対応しなかったのは、同罪である。
また、人口減少社会に歯止めをかけると同時に、『教育機会の不公平の是正』も必須であるが、与野党共に最新の教育の現状を、怠惰にも放置している。
経済低下の影響で、教育機会の公平性が損なわれて、奨学金の負担をあとあとまでも負わされる不幸な環境を、改善することが国家としての責務である。
アメリカ社会は、教育機会の不平等と【奨学金のローン返済地獄】が、大きな問題となって、【格差拡大社会の大きな不満の代表】に浮かび上がっている。
日本の社会も、幼児期の不平等や、青年期の不条理を放置していたら、人口減少社会の中で、「品格の高い国民」層を厚くすることができなきなる。
一億人の、教育水準が高く、見習うべき品格の国民が、国の基本であろう。(続)