院長室の窓

院長からのメッセージ

院長談話 2017年7月

2017年07月05日 | メッセージ
「戦いの鬨の声 ”ウォー三唱”」

             院長 橋本 大定

昭和37年、新設された東京大学理科Ⅲ類の激烈な入試勉強に体力を磨り減らした私は、合格直後、まずは自身の人体改造に取り組むべく、鉄門ボート部に入部しました。
 
ボートの合宿はこれまた激烈で、早朝主将の「モーション」の掛け声で目を覚ますやいなや荒川土手でランニング、朝食・朝寝後、戸田競艇場でボートの朝練、昼食・昼寝後、艇を荒川に浮かべて本格練習、夕食夕寝後はバーベル筋トレ・入浴・消灯と、「運動すること」「食うこと」「寝ること」以外は何もできない毎日が続き、その挙句、日本各地での大学対抗戦が続きます。
 
その間、仲間の食べ残しを片っ端から片付けていた私は「ディスポーザー」とあだ名され、その甲斐あってか、体重は1合宿ごとに5kgずつ上昇、大学入学時62kgしかなかった体重は、5合宿で87kgにまで急上昇しました。
 
脳までが筋肉化されたのではないかと思うほどに、当時の私は、例え自動車とぶつかっても負けないと錯覚したものです。

「“春は春は”」
    鉄門ボート部

春は 春は 桜咲く 向島
ヤッコラセー ヤッコラセー
オール持つ手に 桜花(はな)が散る 
桜花(はな)が散る
アウー アウー 
 
夏は 夏は 緑濃き 綾瀬川
ヤッコラセー ヤッコラセー
オール持つ手に 蛍飛ぶ 蛍飛ぶ
アウー アウー 
 
秋は 秋は 鷗(かもめ)飛ぶ 品川へ
ヤッコラセー ヤッコラセー
オール持つ手に 月がさす 月がさす
アウー アウー 
 
冬は 冬は 名に負(しお)う 坂東太郎へ
ヤッコラセー ヤッコラセー
オール持つ手に 雪が積む 雪が積む
アウー アウー 
 
勝った方がええ 勝った方がええ 
勝った方がええ 勝った方がええ
 

対抗戦直前には、先輩達が訪ねてきて、メシをハラ一杯ご馳走してくれる喜びはまた格別です。
そしてその折は、「春は春は」を皆で合唱、最後に主将が音頭をとって「ウォー!ウォー!ウォー!」と皆で叫び、祝勝会が始まります。
つまり、「ウォー三唱」は戦いの勝利を祈る鬨の声なのです。
 
 
ボートで培った体力は、医師になってずいぶんと威力を発揮してくれました。
先天性心臓中隔欠損症(VSD)やDouble Outlet Right Ventricleの乳幼児を、母親に替わって抱き連日病院に泊まり込んだ臨床では、自分の命を削っている分だけ患児を救っていると実感したものです。


責任者となった東京警察病院外科部長や埼玉医科大学総合医療センター外科教授時代には、万単位を超える輸血をしないことには助けられない大手術も重ねました。
特に肝胆膵外科手術の術後、ひとたび膵液や胆汁が漏れ細菌感染が加わると、出血が止まらない赤地獄となってしまいます。
深夜・土日を問わない緊急手術に、常時、耐えられたのは、ボートで身体を造り変えてもらったお陰と感謝しています。

佐野市民病院に着任して以来、私は、「一日一登」を心がけ唐沢山行を続けています。
社会人となってからは、ゲットした筋肉は知らず知らずのうちに脂肪化してしまい、減量しないことには自分の命も危ないと自覚しているのです。
 
早朝の唐沢山では、春夏秋冬、様々な生き物たちに出会うことができます。
早春は啓蟄の青大将、初夏には雉が畑を睥睨して走り回り、田圃ではアマガエル、トノサマガエル、ウシガエル、里山では、「コッチコイ、コッチコイ」(小綬鶏)、「ホーホケキョ」(鶯)、「トッキョキョカキョク」(不如帰)と鳥たちの大合唱が響きます。
昨秋は杉の木の天辺で2羽の大鷹のヒナが、「ピーヨ、ピーヨ」と巣立って行きました。

ところで、つい先日のまだ薄暗い早朝4時半頃のことです。
登りとなっているカーブした演習林道を周った時、突然、真っ黒な大猪に出くわしたのです。
大猪は前足を突っ張り、上体をふんぞり返して、「ウオー!ウオー!ウオー!」と、肚の底から絞り出す恐ろしい叫び声をあげました。
私は咄嗟に襲われる!手に持つ柔なノルディックウォーキングポールで猪の突進を防げるかな?と訝しみつつも、大猪から目をそむけないで一歩二歩三歩とゆっくりと後退しました。
「熊や猪に襲われるのは逃げるからだ。獣には相手が後ろを見せると勝てると思い襲う習性がある。
獣に出会って怖くても逃げてはいけないよ!」と、山友「やまちゃん」のアドバイスが咄嗟に頭を過ったのです。
 
猪が前足を掻きいよいよ襲われるかなと覚悟したその瞬間、大猪が立つ足元で一匹のウリ坊のお尻が見え、直後、そのお尻が藪の中に消えるや否や大猪もウリ坊を追って藪の中に消えてくれたのです。
その後私は、獣の臭いの立ちこめる林道をおそるおそる登り続けました。
あの真っ黒な大猪の戦いの鬨の声、本物の「ウオー三唱」は、今でも僕の耳の底にこびりついて離れません。


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院長談話 2017年4月

2017年04月07日 | メッセージ
   これからの佐野市民病院

       ~ 予防医療センターの開設にあたって ~

                       院長 橋本 大定
 
                               
                    

私が着任して3年が経ちました。

振り返り見れば、病院経営はかなり改善をみてきました。

しかし、私が専門とする腹部外科の領域では、相変わらず、超進行がんの手術が大半を占めています。

こんな状態が続くようだと、手術に成功はしても、患者さんに自身の天寿を全うしていただくのは難しいと憂いています。

早期にがんを発見することさえできれば、今日、市民は自らの天寿を全うすることがるのです。

20%前後と全国的にみても低い佐野地区のがん検診率を、少なくとも50%以上に引き上げることが必要です。

指定管理制度の最終年度を迎えるに当たり、健康管理センターを改称し、大川智彦先生を長として予防医療センターを新設することにいたしました。
 
予防医療センターは、がん検診と臨床(二次精査・手術治療)とを統合し、佐野市の行政とも一体となって運営します。

アメリカの大統領は壁を造るのが好きなようですが、我々は、健診センターと各臨床科(内科・外科・整形・眼科・泌尿器科・耳鼻咽喉科・小児科・皮膚科)、更には、行政との壁をも取り払い、田沼・葛生地区を手始めに、日本一のがんの検診率100%を目指したい所存ですので、市民の皆様どうぞよろしくお願い申し上げます。

今年度は、大川智彦予防医療センター長が、がんの予防に関する市民講座をシリーズとして解説いたします。

多数のご参加をお待ち申し上げます。
 

       <平成29年度 佐野市民病院 市民講座>

         講師 予防医療センター長 大川智彦 
 
  4月 これからの日本の医療と予防医学の重要性について  
  
   5月 人間ドックへ行こう! ~ がん予防とがん検診 ~ 
 
  6月 医師が がんにかかったとき

  7月 健康寿命をのばそう ~ メタボ健診と我が国の医療 ~ 

  8月 がんに勝つために、まずがんを知る

  9月 患者さんを惑わせる「がんもどき」理論はここが間違い

  10月 特別講演会 がん大国 日本に住むすべての人へ
  「あなたも、あなたの家族もがんで死なせてはならない」

  11月 歴史から見た乳がん ~乳がんの基礎はがん治療の礎となった~

  12月 がんにならない がんで絶対死なない ~ 一次予防と二次予防のポイント ~

   1月 あなたや家族ががんになったとき ~ 医師にこれだけはしっかり聞いておこう ~

  2月 健やかに生き 健やかに老いる

  3月 わが国のがん対策


お申し込み  

    地域医療連携室 電話番号 0283-62-9024(直通)

        MAIL sanoshiminrenkei@sanoshimin-hp.net 


    みなさまのご参加をお待ちしております。




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院長談話 2017年1月

2017年01月18日 | メッセージ
    敬 頌 新 禧
                       
                      院長 橋本大定

 明けましておめでとうございます。
 
 皆様にとりましても、今年は素晴らしい年となりますよう心よりお祈り申し上げます。
 

 振り返り見れば平成19年、20余名もの医師を引き挙げ、市民病院は常勤医ゼロの非常事態を迎えました。

 病棟閉鎖に続き手術部閉鎖と、14億もの累積赤字で、病院崩壊の危機の真っただ中で、岡部市長は、指定管理制度(公設民営)による再建を選択されました。

 平成20年、たった一人の常勤医として着任された初代院長福光正行先生は、病院のIT化(完全電子カルテ化)、血液透析、糖尿病・腎センターの開設、地域医療連携室並びに健康管理センターの機能強化を図り、病院再建を着実に進められ、平成25年には日本医療機能評価機構の認定が取得されました。

 西暦1989年、我が国では、昭和時代が終わり、平成の世が始まりました。
ちょうどその時期を境として、世界の外科学は「大侵襲手術」から「低侵襲手術」へとコペルニクス的転回を遂げたのです。
以来、有り体に言えば、「大きくは切るが確実に治す手術」から「小さな傷で危険ではあるが痛くない手術」への追求が、わが国でも怒涛のように進んでいるのです。
 
 私は昭和43年、大学紛争の最中に医学部を卒業し、今日まで、都会の一勤務医を続けてきました。
前半四半世紀は、「大侵襲手術」の修業を重ねましたが、平成の四半世紀は、「大侵襲手術」から「低侵襲手術」へのコペルニクス的転回の狭間で、「低侵襲手術」の安全性と確実性を高めるために、機器の開発と術式の考案を進めてまいりました。
欧米式の「腹腔内を高圧に保つ気腹法による腹腔鏡手術」を否定し、「平圧下で行う安全で安心な腹腔鏡手術」を構築、「小切開・鏡視外科学会」を創設し、代表理事も務めてきました。

 爾来、「大侵襲手術」と「低侵襲手術」の狭間に生きた経験の全てを活かし、手術のプロとしてだけでなく、病院そのものの手術にも取り組む中で、ついに今年度、我が市民病院が、全国的にみて、極めて稀な、奇跡の病院再生を迎えることになると密かに矜持を禁じ得ません。

 さて、私の専門とする消化器外科の分野では、食の欧米化に伴い、大腸がんが胃がんを抜き死亡率の第1位を占めるようになりました。
また、高齢になるにつれ身体のあらゆる部位から様々ながんが発生し、その発生頻度も高まります。
一方、佐野地区の大腸がん検診率は20%前後と全国的に見ても低く、5人中4人は、大腸がん検診を受診していない状況の中で突然患者が市民病院を訪れ、進行がんの手術を受けることになるのが多いのが問題なのです。
苦労して切除手術に成功しても、長期的には再発してしまうことも少なくないので、是非ともがん検診を受けていただきたいと思います。
がんを早期に発見し、早期に手術しないことには、みなさんの健康長寿をまっとうするのは難しいのです。


 栃木県南の佐野北部には、都市部の数倍の面積に及ぶ広大な山間の無医地区が広がっています。
5か所の僻地診療所では、自治医科大学卒の義務年限内の先生方を中心として、尊い医療奉仕がなされています。
市民病院はへき地診療拠点病院として、5僻地診療所との間にさのまるネットを構築、日常診療の支援をしてまいりましたが、昨年の10月からは、医師の相互交換診療を始め、義務年限の先生方のスキルアップにも取り組んでいます。

 民設民営と異なる公設民営と称される指定管理制度とは、土地の固定資産税、病院の建て替え費用、医学の進歩に合わせ新規購入を重ねざるを得ない大量の各種高額医療機器の更新費用などは市が負担し、医師やパラメディカルの経費は指定管理者が負担する仕組みです。
勠力一心努力を重ねてきた結果、病院はここ数年、1億円/年のペースで経営改善が進んでいます。
ところで、佐野市民病院のA棟は築21年でまだ使用可能ですが、BC棟は築45年を経て、大雨では天井のみならず壁からの雨漏りが常時発生しており、震度6の地震では倒壊の危険があります。
老朽化した病院の再建が急務であると考えます。


 日光の三猿は、人の世を生きていく叡智として、徳川三代将軍家光が考えついたものと言われています。
しかし、「見るべきものを見ず、聞こえているのに聞かないふりをし、言うべきことを言わない」のでは、組織の再生はできません。
組織が再生できる条件は、その逆で「まずは現場をつぶさに見て、周囲の話もよく聞き、言うべきことを言う」という三猿が必須ですが、それに加えて「対策をよく考え、自らやって見せる」という二猿を加えた五猿が重要なのではないでしょうか。
 

 なにはともあれ、職員一同、今後とも、「市民のみなさまから必要とされる価値のある病院」としてありたい所存ですので、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。



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院長談話 2016年10月

2016年10月15日 | メッセージ
 
  内視鏡手術の光と影

   ~胸腔鏡手術と分離肺換気麻酔~



 腹腔鏡手術には、「気腹法」と「腹壁吊り上げ法」の2種類があることはすでにお話しました。
「気腹法」では、腹部を高圧にすることによって手術空間が作成されるため、腹部高圧に起因する死亡例を含む重大な合併症の発生を防ぐことができないのに対し、平圧下で手術を遂行する「腹壁吊り上げ法」では、高圧に起因する合併症は原理的に発生しないのです。(2015年春号 佐野市民病院だより;院長室の窓)

 腹腔の後方の腸管表面を覆う臓側腹膜と、前腹壁下面を覆う壁側腹膜の間には、通常、潤滑油に相当する体液(リンパ液)が少量存在するだけで、ほとんど隙間はありません。
 臓側腹膜と壁側腹膜との間に充分な隙間を作らないことには腹腔鏡手術を遂行することはできません。
 その狭い隙間を穿刺し、高圧の気体(炭酸ガス)を注入する方式として、気腹法下腹腔鏡手術が、1980年代の終わり頃、欧米で始まりました。
 我が国では、平圧下で、より安全に手術ができる「腹壁吊り上げ法」が創案されていますが、未だに、日本の多くの施設では、危険な「気腹法」が主流であり、引きも切らず、腹腔鏡手術の犠牲者が出続けているのは憂うべき現象です。

 ヒトの身体には、腹部と胸部に二つの大きな閉鎖空間が存在しています。
 腹膜に包まれた閉鎖空間を腹腔、胸膜に包まれた閉鎖空間を胸腔と呼びます。
肺、心臓、縦隔などの胸腔臓器の表層を覆う臓側胸膜と、胸隔下面を覆う壁側胸膜との間にも、潤滑油に相当する体液(リンパ液)が少量存在しています。
 腹部と同じように胸腔に気体(炭酸ガス)を注入するとどうなるのでしょう。

 ヒトは、横隔膜と肋骨筋の収縮により胸腔を陰圧にして、大気を胸腔に流入させ、血液を酸素化して生命が維持されています。
 本来、陰圧に保たれている、臓側胸膜と壁側胸膜との間隙に高圧のガスが注入されると、最初に、患側(病変のある側)の肺が気圧で縮みます。(緊張性気胸) 
 次いで、縦隔が健側肺(病変のない反対側の肺)方向に圧排されます。(縦隔動揺) 
 最後には、健側肺までもが押されて縮み、呼吸が出来なくなってしまうのです。 
 そこで、縮ませてはいけない側、つまり、健側の肺換気を確実に確保しつつ、患側肺を選択的に虚脱させる「分離肺換気法」が、胸腔鏡手術の普及とともに進歩してきました。

 分離肺換気は胸腔鏡補助下で患側肺を縮小させ手術野を確保するために行われることが第一義の目的ですが、同時に術中の換気を担当している健常側の気管支に、術野側の気管支から分泌物や出血した血液が流入することを防ぐことも従たる目的です。
 そのためには、確実に術野側の気管支をブロックすること、及び術野側・健常側の気管支内腔を個別に吸引できることが必要であり、適切な位置にバルーンを固定でき、かつ、術野側気管支の内腔を吸引できる専用の分離肺換気器具(ブロッカー気管チューブ)が、2歳以上の小児、成人対象に保険診療が認められています。

 私が埼玉県医療安全委員会の委員長を務めていた頃、下肢の血栓除去に用いるフォガティカテーテルを、小児用気管チューブ(直径4mm)の狭い内腔に挿入、術中バルーンが気管に逸脱し換気不全(窒息)を来たし、重篤な脳障害を受けてしまった乳児分離肺換気麻酔の症例(臨床試験に相当)で裁判となってしまったケースがありました。
 特にその際、麻酔を従圧式(肺胞にかかる圧力で制御する方式)で換気管理していると、バルーンが気管に落ち、送気がショートカットされ、酸素が肺胞まで届いていないにもかかわらず、呼吸器の数値だけを見ていたのでは換気不全が発生しているのがわからない場合があり、麻酔医からも恐れられているのです。

 換気不全を防止するためには、健側肺の呼吸音を常時聴診することに加え、やや専門的になりますが、手術中、EtCO2(呼気終末炭酸ガス濃度)や、動脈血酸素濃度をチェックしつつ、適宜、分離肺換気を両肺換気に戻し、安全な全身麻酔の管理が必須です。
 胸腔鏡手術と分離肺換気とは一体なので、内視鏡外科医と麻酔医は、共同で患者の安全に取り組む必要があるのです。
 胸腔鏡手術は、通常、健側肺を下とし、患側肺を上とした側臥位で行ないます。手術が遂行される上側の胸腔は、いわば回転楕円体となっており、大血管を損傷してしまった場合、大出血につながり、底部に溜まった血液が鏡面を形成(ニボーブリディング)、その鏡面が急速に上昇してきます。
 胸隔を大きく切開している場合(大開胸手術)には、すかさず、出血点を手で抑え込むのですが、それでも、うまく抑え込むのは容易ではありません。
 まして、開胸しない胸腔鏡手術では、とっさに手を胸腔に挿入することはできないことに加え、貯留した血液の吸引中、さらに出血が増悪してしまいます。
 胸腔鏡手術のプロの内視鏡外科医ですら、10リットルをも超える大出血で、辛くも、心停止から免れることができたなどという話が少なくないのです。

 本年の6月、第29回日本小切開・鏡視外科学会が開催され、東海大学呼吸器外科教授岩崎正之先生の会長講演で、完全鏡視下手術を目指さず、胸腔鏡手術においても、適切な小切開を設けた胸腔鏡手術の方が、患者の安全のため望ましいと注意が喚起されました。
 手術を受ける前に聞く、担当内視鏡外科医の合併症や死亡率が、いくら低い値であったとしても、事象が発生してしまった患者家族にとっては、とうてい、確率事象の問題として済まされなくなってしまうことを自覚すべき時代となっているのです。



   

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院長談話 2016年7月

2016年07月13日 | メッセージ
  奇跡の回復を遂げた市民病院 
    

 「臨床医から見たこの国のかたち」の特別講演をいただいた矢作直樹先生は、1978年8月、北アルプス穂高屏風岩東壁の岩盤を約400メートル転落、次いで、翌1979年、北アルプス冬山単独縦走の最中、雪庇を踏み抜き、今度は約1000メートル滑落されました。

 先生は、滑り落ちた雪の斜面を谷底から這い登り、そのまま山行を続けられました。

 「どうして、落ちた場所に留まって、助けを求めなかったのですか?」という問に、「厳冬の雪山で、少しでも歩みを止めると助からないのです。」と笑いながら答えられた先生は、山の神に守られた不死身の人と言うべきでしょう。

 大阪の国立循環器病センター集中治療科医長を経て、2001年、先生は東京大学救急部教授に就任されました。

 東京大学病院には、日夜、市井の中小の病院のみならず、大病院で手に負えない救急患者が、次々と担ぎ込まれます。

 入院後、夜間休日を問わず急変する患者を救命するためには、一刻の油断も許されません。

 若いレジデントに任せきりとせず、指揮官として、先生自身が連日病院地下の狭い宿直室に泊り続けられたことを教えてくれたのは、同じく、地下を住処とした病院機械係の親友佐藤君です。


 ところで、我が佐野市民病院は、平成19年3月、常勤医師がすべて退職となり、常勤医ゼロの非常事態に追い込まれたため、平成20年10月1日、指定管理者を指名、その後、医療法人財団青葉会のもと、病院再生が着々と進められてきました。

 平成26年、私が着任してからは、各種消化器病手術、中でも、私の専門とする腹壁吊り上げ法による内視鏡手術を軸として、病院再生が進められています。

 ちなみに、消化器外科手術件数は、平成25年は158件、平成26年は180件、平成27年は214件と増加、質的にも、高度に困難性の高い肝胆膵系手術が急速に増加しています。

 市民病院の安定した経営のために佐野市から支出いただいている「地域医療維持交付金」については、平成25年度に約3億6000万円、私が着任した26年度には約2億6000万円、27年度には約1億6200万円と、毎年約1億円ずつ順調に低下しています。

 このままの調子で医業収入が順調に増え、医業費用が水平に経緯すれば、平成28年度には更に改善されることが見込まれているのです。

 病院経営の黒字化には、優れた医師の招へいが不可欠です。

 地理的にハンディのある当院で働いてくれる医師を全国から集め増やすには、病院を魅力のあるものにする以外にないと、着任以来、私は考え続けています。

 全職員がそれぞれに責任を持ち良い仕事をすること。

 この点は、私がこれまで働いてきた経験からすると合格点だと思います。

 私自身も、とても気持ちよく仕事ができており、職員の方々には感謝しています。

 そして、勤務する医師にとって、勉強になり、社会的にも意義のある仕事だと思える職場であること。

 幸い、当院には世界に通用する卓抜した技量を持つ医師が何人かいらっしゃいます。

 私が着任してから、今や、消化器外科手術では日本有数の施設になりました。

 その実績をもとに、可能性があればどこへでも駆けつけ、着実に常勤医が増えてきています。

 今後とも、市民にとって価値のある病院として存続できるよう、市民の皆様の一層のご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。




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