「ふきぼこ通信」

北アルプスの麓「安曇野松川村」から、季節の風にのせて発信していきます。

弥勒菩薩(奥原國乗氏の研究)

2017-06-14 21:25:25 | 松本糸魚川連絡道路
黄金の観松院弥勒菩薩半跏思惟像

 夢殿で聖徳太子が瞑想していた時に現れたという金人とは、黄金の菩薩像だったのだろうと思う。このくらいの大きさ(30cm)ではなかったか。

 670年火災によって跡形もなく燃え尽きた法隆寺西院が再建されたのは710年である。また東院の夢殿が再建されたのが739年。...

 聖徳太子が生きていた時代は574から622年の間なので焼失したのは蘇我入鹿が山背大兄皇子を襲った時643年と中大兄皇子が称制を執った時代で白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れ、世の乱れが続いた670年という事になり、聖徳太子はその時は既に伝説の人となっていた。

 ただ聖徳太子が夢殿で瞑想し、法華経の難解な仏典を解読しようともがいていた時に金人が現れたという言い伝えがあって夢殿再建時に僧行信はその黄金の仏像をを探したのではないだろうか。
 大化の改新645年によって、蘇我氏が所持していた仏像は甘粕の丘で災禍にあっている。それ以前の蘇我氏がバックアップしていた司馬達人の子孫善徳や止利仏師達は時代の舞台から去り、その後に力を得た船氏達一族が中大兄の王子たちの庇護のもとに仏教は発展してゆくことになる

観松院の弥勒菩薩も大化の改新以前の蘇我氏の庇護の下ではまだ黄金の仏像であった可能性があるのではなかったか。そして653年中大兄皇子のご落胤の稚児が形印として弥勒菩薩像念持仏を持たされて仁品の地を踏んだのだろう

 
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