著者 : SeeCore 物事の本質を考えています。

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哲学:人を助けるということ。2/2

2017年05月05日 | 哲学
ソクラテス:ここまでは、理想論的な議論であるが、現実問題となると、事情は違う。助けを必要としている人々は、現実に存在しているのであるから、現実の問題として取り扱うことは、当然必要である。だって、現実の人々を助けるための議論がなければ、この議論そのものが非利他的であり、利他を扱うことが理不尽であろうからだ。

著者:はい。もちろん、現実を見ます。

ソクラテス:うむ。じゃあ、端的に言う。純粋な利他で利他を行っている人は、どれくらいいるだろうか。

著者:え。たぶん、多くの人は、自利で行動しているのではないでしょうか。人間の本質ですし。それは、しょうがないです。

ソクラテス:うむ。わしもそう思う。意識調査して、割合を出していないので、定かではないが、まあ、人間である以上、自利がほとんどだろう。

著者:はい。

ソクラテス:とすると、君が先ほど指摘したように、自利ならば、自利というべきだと。利他の顔をするなと。

著者:はい。

ソクラテス:例えばこうか。我々は、アフリカ諸国の資源が欲しいのであって、あなた達のことなどこれっぽっちも考えていません。でも、一時的には、衣食住はあてがいますので、我々の援助を受けてください。または、私は、自分探しのためにカンボジアに来ました。だから、一つの経験として表面的に利他的な援助をさせてください。

著者:あ、え?

ソクラテス:このような宣言をして、多くの困っている人々は、援助を受けるかね。

著者:はい。受けると思います。彼らは、困窮しており、自利と分かっていても、わらをもつかむ思いで、受け入れると思います。

ソクラテス:うむ。しかし、彼らとて、知性がある。自利と分かっている人々の援助を信頼して受けるだろうか。または、継続して多くの援助を受けるだろうか。

著者:さあ、どうでしょうか。信頼がなければ、一時的、限定的な援助に留まってしまう可能性はありますね。

ソクラテス:一時的、限定的。困窮している人々には、そぐわないフレーズだね。

著者:あ、ええ。だって、しょうがないです。せっかく、自利とは言え、援助しているのに、向こうが受け入れないというのであれば、それはそれで、向こうの責任というか、こちらにできることにも限界があります。

ソクラテス:どうだろう。たとえ、自利だとしても、利他であると信じて援助をしようとして、信頼を得たならば、どれだけ多くの人々に援助が行き渡るだろうか。

著者:信頼が十分にあれば、継続的、全般的に行き渡るものと思います。

ソクラテス:それは、より善なことではないかね。猫を被っているところは、不実かね。不善かね。

著者:善だと思います。実際に、援助が多くの人々に行き渡るのですから。

著者:でも、自利であることは不変であるのですから、いつか、相手に利益より、自分の利益を優先するときが来るのではないですか。いつかは分かりませんが、自利を内包している以上、それは、無意識的に、自然と、ギトギトした自利が、相手を不利益にするのではないでしょうか。そしたら、今までに行ってきた利他の意味、意義、成果など消し飛んでしまうのではないでしょうか。それは、ひどいだましではないですか。だったら、だまさず、最初から自利であること言った方が、よっぽど、善ではないでしょうか。

ソクラテス:うむ。その通りだ。

ソクラテス:では、より多くの人々に善を行き渡らせ、かつ、その行動が不善とならないためには、どうしたらよいのか、を考える必要がある。

著者:はい。行った利他的行動が、その後、自利によって、不善とならないためにはですね。

ソクラテス:そうだ。

ソクラテス:そして、この回答は、あくまで、利他であろうとする人々を対象にするのであって、相手をだます気である人々は対象にしていない。

著者:はい。がっつり自利であり、利他のことなど、相手を信用させるための自利のための道具としか思わないような人々のことは対象にしていないということですね。分かりました。

ソクラテス:さて、どこまで行っても、自利は根底にあり、いつか、行動に反映され、利他が阻害されるということを認識することである。

ソクラテス:人間というものの本質は、やはり、利己的である。最初は、自利が根底にあるとは言え、利他の気持ちをいっぱいにして、相手の利益となることをする。しかし、ある程度長い時間が経過すると、自分がこんなにもいいことをしてきた、自分と言うものは、素晴らしい人間であると思うようになる。無意識も含めてだ。

著者:はい。その気持ちは分かる気がしますし、実際、その人のしたことは、自利とは言え、利他であり、それが長年続けば、素晴らしいこと、素晴らしい人だと思います。

ソクラテス:だが、ここで、深海にいた自利という気持ちが浮上してくる。強まると言っても良いだろう。自分はこれだけ多くの利他をしているのだから、何らかの恩恵があってもいいはずだ。または、自分は素晴らしい人間なのだから、自分が思ったことは全て正しい、やって良いことのはずだ。とね。

著者:はい。それも自然なことだと思います。結局、自利であるならば、利他を通して、自利の気持ちがより肯定、強まるということは有り得ることだからです。

ソクラテス:うむ。そして、ここで利他と自利の逆転現象が起きる。今までは、自利があるにしても、利他の気持ちが優先していたが、皮肉にも、利他によって自利が強まり、自利が利他を凌駕するのだ。
ソクラテス:この段になると、横暴に振舞ったり、相手のことなどそっちのけで、自分勝手で自己満足的な行動を取るようになる。

著者:え、でも、最初は利他心にあふれる人だったのですよね。急変してしまったのですね。全く別人じゃないですか。

ソクラテス:そうだ。でも、決して別人ではなく、このような振る舞いの変化は、ごく身近にもありがちな現象だと考えておる。

ソクラテス:これは、自利から抜け出せない生命が背負う、自然な状態変化なのだよ。

著者:では、どうすれば、不善を防ぐことができるのですか。

ソクラテス:一つの方法としては、人間は神でもあるまいに、決して、完璧に優れた生命ではないということを常に肝に銘じること。利他をすることは、ひょっとすると最終的に大きな不善をなしてしまうかもしれないというリスクがあるということを想定しておくこと。

著者:何か。修行みたいですね。せっかく、利他をして良いことをしても、自分をすごく誇ることができないなんて、少し、かわいそうな気がします。

ソクラテス:もしかしたら、利他を長年し続け、大いなる利他をやり遂げている者達は、自己を戒め、自利を常に抑え、修行者のような、何ものにも左右されない、不動の心でいるのだろう。

著者:はい。とにかく、どんなに優れた気持ちの持ち主でも、人間である以上、自利が表に出て、不善となってしまう可能性があるということを、肝に銘じる、認識するということすることですね。

ソクラテス:うむ。

ソクラテス:その戒めがあるならば、自利による利他が最善であろう。先ほどの例で言う、困窮者に対する援助も広く行き渡り、かつ、不善になることは大変に少ないだろう。

著者:はい。

著者:本当に利他をするとなれば、相手のことを考えて行動して、かつ、自分のことも抑制しなければならないなんて、利他って骨の折れることですね。(ボソッ)

ソクラテス:報酬と言っては、自利過ぎる表現であるが、このようなことを通して、人間性が一段上昇することは間違いなく、人生において大いなる満足感、充実感を高いレベルで感じることができるだろう。
自利を最大限に高めても、満足感や充実感は、劣ると断言しよう。

著者:はい。そう信じたいです。

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