無言館のこと

信濃の丘の頂きにある遺された絵画の美術館です。60年前の若い画学生の青春と対話してみませんか?

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「東京ステーションギャラリー」のこと

2006年04月09日 | Weblog
 
東京駅赤煉瓦駅舎の「東京ステーションギャラリー」が、3月6日から休館に入った。5年にわたる丸の内駅舎復原工事のためだ。
1988年から18年間、105件の「小さくとも本格的な美術展」が開かれ、235万人が入場されたという。

「無言館 遺された絵画」巡回展も、2005年2月、ここがスタート会場であった。
成川主任学芸員の強い思い入れのもと、話題が話題を呼んでお客さまが増えつづけ、105件中、総入場者数6万人は4位、日平均入場者数1千6百人は2位を記録した。

このあとも汐留で美術館活動は続けた上、2011年春には、再オープン。
あの赤煉瓦壁を活用しつつ、広く合理的な文化活動拠点になるという。
楽しみで胸が高鳴るではないか。
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「無言館 遺された絵画」展の「彼ら」に、、、ありがとう!

2006年02月04日 | Weblog
 
あした2月5日が最終日ですね
~ちょうど1年続いた「無言館 遺された絵画」巡回展。

昨年の2月5日、東京ステーションギャラリーの赤レンガの部屋で、
「彼ら」に出合いました。

戦後60年の8月15日には、京都文化博物館で「彼ら」と対話しました。

あしたは、尾道市立美術館へ行って、
「彼ら」にお礼を言おうと思っていたのですが、
故あって残念ながら断念しました。

どなたか(おひとりでも多くの方)、
「彼ら」によろしくお伝えください;
たくさんたくさんの「こころ」と「ちから」をありがとう!!

それから、
野見山さん、窪島さん、無言館の皆さん、
全国巡回展覧会の関係者の皆さん、
ありがとう!


締めくくりも、やはりこの絵にします;
会場の玄関で出迎えて、
わたしに何かをおしえてくれた、
〝ばあやん〟
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終わってしまいます!~「無言館 遺された絵画」展

2006年01月27日 | Weblog
 
日本中の、「絵」を愛する皆さんに、お伝えします。

野見山暁治さんをして、「これが本当の絵っていうもんじゃないのか」と言わせた絵、
それを描いた「彼ら」と対話する展覧会が、
次の次の日曜日で終わってしまいます。

昨年2月5日から全国巡回してきた「無言館 遺された絵画」展が、
この2月5日日曜日で終わってしまいます。

最終会場は、尾道市立美術館です。

「絵」が大好きなのに見落としておられる皆さん、
急いで尾道へお出かけください。
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無言館・窪島さんの年賀状

2006年01月13日 | Weblog
 
  カ ネ な し、 ヒ マ な し、
  さ れ ど 夢 あ り。

無言館・窪島誠一郎館主の年賀状です。


窪島さん、
執筆に講演にと、実に精力的にご活動なさっています。
でもたいへんなのです。

画学生の遺族もかなり高齢になられました。
手元に置けなくなって新たに預寄託される作品は途切れません。
収蔵庫「時の庫」のローンが残っているのに、第二収蔵庫が要ります。
持ち込まれる作品の痛みはひどく、修復の費用も半端じゃありません。
なによりも、展示スペースが手狭すぎます。


2005年の無言館は、
戦後60年と全国巡回展(「無言館 遺された絵画」展 最終会場の尾道市立美術館が2006年2月5日まで)、
それに伴うメディア発信や菊池寛賞もあって、
全国から記録的な来訪がありました。

ただ、歓迎できない層や状況も増えました。
志納を避けるべく、出口手前でUターンして入口から帰る人、
グループや家族全体で1口で済ませる人も目立ったそうです。


シャイな窪島さんのあのギョロッとした眼の奥にある
〝 夢 〟
きっとかなえてください!!
みんなで応援します。



窪島誠一郎の主な近著;

・鬼火の里 /集英社 2005/12
・雁と雁の子 父・水上勉との日々 /平凡社 2005/08
・京の祈り絵・祈りびと 「信濃デッサン館」「無言館」日記抄 /かもがわ出版 2005/02
・「明大前」物語 /筑摩書房 2004/08
・高間筆子幻景 大正を駆けぬけた夭折の画家 /白水社 2003/10
・「無言館」の坂道 /平凡社 2003/08
・石榴と銃 小説集 /集英社 2002/09
・「無言館」への旅 戦没画学生巡礼記 /白水社 2002/04
・信濃絵ごよみ人ごよみ /信濃毎日新聞社 2002/03
・無言館の詩(うた) 戦没画学生「祈りの絵」第3集 /講談社 2001/07
・無言館ノオト 戦没画学生へのレクイエム /集英社(集英社新書) 2001/07
・鼎と槐多 わが生命の焔信濃の天にとどけ /信濃毎日新聞社 1999/12
・無言館を訪ねて 戦没画学生「祈りの絵」第2集 /講談社 1999/07
・「無言館」ものがたり /講談社 1998/12

書店のほか、多くは「無言館 遺された絵画展」会場の尾道市立美術館や無言館、信濃デッサン館で購入できます。

もちろん、巡回展の図録で窪島誠一郎監修「無言館 遺された絵画」もあります。
「図録の域を超えて、繰り返し対話するためのバイブル」と、異例に高い購入率になっているそうです。
会場の尾道市立美術館か、発行元のNHKきんきメディアプラン(宅配 06-6945-7131)でのみ入手できます。
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野見山暁治さんの「無言館 遺された絵画展 に寄せて」から

2006年01月10日 | Weblog
 
 「無言館 遺された絵画」展の会場には、展覧会として異例の状況があります。
主催者・関係者の挨拶文の前にも人だかりができて、じっくり読んでおられる方が多いことです。
 中でも、画家で無言館顧問の野見山暁治さんの「展覧会に寄せて」は、メモをとられる姿が目に付きます;

 今から六十余年前・・(略)・・でもそれ以上に絵を描く情熱を持っていたのです。明日よりも今日、いま描きたいそんな思いでおりました。青春の一途さとはこんなものではなかったでしょうか。
・・(略)・・
 未熟な絵です。・・(略)・・こんな絵を展示してどうなるんだと、、、。
しかし・・(略)・・〝本当はこれが絵っていうものじゃないか〟と思いはじめたのです。・・(略)・・邪念がない。はったりもなければ、ひけらかすこともない。
・・(略)・・
 じっと彼らの絵を見つめていると何かが伝わってくる。漂ってくる。彼らの〝人〟が見えてくる。彼らがどんな気持で絵を描いていたか・・(略)・・。
・・(略)・・
 彼らと対話していただけたら幸いです。


 わたしもこれは「対話する展覧会」なのだと感じます。しかも、次代を担う世代のみなさんに訪れてほしい展覧会です。
 全国を巡回してきた「戦後六十年」展も、2月5日までの尾道市立美術館が最終です。県外から、見落とした方の来館も多いようです



野見山暁治;
 現代日本を代表する画家の一人。1920年に福岡県に生まれ、東京美術学校を卒業と同時に応召したが、肋膜炎を患ったために満州で入院生活を余儀なくされ、生きて日本に還る。
 戦後、「生き残った画家」の虚脱感のなかから再出発をはかった彼は、1952年に渡仏、1964年に帰国するまでの間にサロン・ドートンヌ会員となり、第2回安井賞を受賞。
 画家になることを一心に夢み、生きて帰って絵を描きたいと叫びながら死んでいった一群の亡き画友の遺族と作品を訪ねまわって、1977年に作り上げたのが『祈りの画集 戦没画学生の記録』(共著、日本放送出版協会)。
 1992年芸術選奨文部大臣賞、1996年毎日芸術賞を受賞し、2000年には文化功労者に選ばれた。
 2005年、「画学生の遺作を集めて展示、人々に感動を与えた野見山暁治、窪島誠一郎の戦没画学生慰霊美術館『無言館』」に第53回菊池寛賞。
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尾道で「無言館 遺された絵画」と対話を

2006年01月08日 | Weblog
 
尾道市立美術館で開催中の「戦後六〇年 無言館 遺(のこ)された絵画展」、
巡回した全国の会場の感想ノートには、「絵を遺した〝彼ら〟との〝対話〟から、力をもらった」という書き込みがたくさんあります。


ここにもそんなお一人がいらっしゃいます;

写真は、広島県神辺町出身で東京芸術大声楽科ソプラノ専攻・村上彩子さん(39)、尾道市立美術館でコンサートに立っています。
4度目の試験に落ち精神的に追い詰められた1999年、長野県上田市の「無言館」を訪れた。遺作の鑑賞で、「学生たちの無念さにくらべ、4年の浪人くらいで死にたいと思った自分が恥ずかしい。彼らの代わりに精いっぱい学ぼう」と誓い、2003年春、7度目の挑戦で合格を果たしたといいます。~中国新聞から~


あなたの大切な人を誘って尾道へ出かけられ、〝彼ら〟と〝対話〟されるようお奨めします。


◇村上彩子(声楽)、正木路子(ピアノ)のギャラリーコンサートは、最終回が1月9日(月・祝)18:00~。参加申込不要・当日の入館者を対象。
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「無言館 遺された絵画」との対面・・・尾道展での出会いから

2006年01月06日 | Weblog
 
尾道市立美術館(0848-23-2281)で開催中の、
「戦後六十年 無言館 遺された絵画」展・・・

全国の巡回先でさまざまな出会いを生んできましたが、
尾道でもこんな対面がありました。
中国新聞のHPをご覧ください。


〝勇気くれた戦没学生の絵画展で歌声〟
「戦死した画学生たちの芸術への思いが、心の大きな支えになった」と振り返る村上さん
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200601010088.html

〝戦死した上官の自画像と再会〟
「自画像」の久保さんと無言の対面をする池田さん
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200601060052.html


この展覧会は、
美術展であると同時に特に、
今を生きる若者が、絵と対話して、
生きることの意味を考える・・・
生きる勇気をもらう・・・
そんな場だと思います。

親子で、家族で、大切な人と、ごいっしょにお出かけください。
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『無言館 遺された絵画』展の最終・尾道会場・・・・1月3日にはギャラリーコンサートも

2005年12月30日 | Weblog
 
前回(12月29日アップ)に紹介した、久保克彦の「自画像」です。
彼の服飾デザイン作品(6月27日アップ)も、遺品として出展されています。

中国地方出身では他に、
小柏太郎のブロンズ「天女の像」(8月4日アップ)があります。


ところで、
『無言館 遺された絵画』展最終会場の
尾道市立美術館には、四国地方からの問い合わせも多いのだそうです。
しまなみハイウェイ・西瀬戸自動車道の起点からすぐですから。

愛媛県出身では、

宇和島市生まれの尾田龍馬、「宇和島の風景」(3月10日アップ)と遺品「芍薬のハンカチーフ」(3月3日アップ)があります。

東宇和郡明浜町生まれの中川勝吉、「高山風景」(3月9日アップ)もあります。
「高山」は明浜町の中心集落ですが、
向こうに豊後水道の島々、さらに奥に九州・大分の連山が描かれています。

「彼ら」にとって「風景画」といえばほとんどは、〝ふるさと〟の光景なのです!


尾道市立美術館の『戦後60年 無言館 遺された絵画』展、
2006年2月5日(日)までで、
月曜日と12月29日(木)~1月1日(日)は休館ですが、
1月2日(月)、3日(火)は開館してくれます。

◇村上彩子(声楽)、正木路子(ピアノ)のギャラリーコンサートが、
1月3日(火)14:00~と1月9日(月・祝)18:00~に2階ロビーにて。
参加申込不要・当日の入館者を対象。

◇ギャラリートークは、
1月8日(日)、22日(日)各14:00~に展示室で。


尾道市立美術館のある千光寺公園へのアクセスは、

初詣を兼ねてロープウェイでなら;
全国から新幹線で、新尾道駅へ。
広島・岡山県の方はJR山陽本線尾道駅へ。

クルマなら新春ドライブを兼ねて千光寺ドライブウェイへ向けて;
山陽自動車道の尾道インタから。
愛媛県の方、四国・しまなみ旅行の方は、西瀬戸自動車道の起点。
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山口県出身・久保克彦のこと・・・・「無言館 遺された絵画」展から

2005年12月29日 | Weblog
 
久保 克彦 「静物」

山口県熊毛郡平生町に生まれ、
東京で工芸図案を学ぶが、詩や散文ものこす。

S17.10.1. 繰り上げ卒業して入営。
S19.4. 中国へ向かう
S19.7.18. 中国にて狙撃され戦死。 享年 25。


この遺作にも、たばこ「ゴールデンバット」が描かれている。
別の遺作「自画像」の彼は、たばこをキザに咥えており、
なんともイケメンで素敵な男である。

その彼が出征前に愛を告白しようとしたのが、
親友・原田新の妹・千枝子さんだった。(当ブログ12/25)

「不本意な戦争の中に身を置かねばならない自分が、
なんとも言えず情けなく腹立たしかったのでしょう。
戦地で久保さんは、仲間と一言も口をきかなかったそうです。」
~親友・原田新の弟・茂さんの証言~

会場では、克彦の「自画像」と、新の「妹・千枝子の像」とが、
並んで展示されている。


さまざまなブログなどの「2005年の展覧会回顧」にも多く取り上げられている「無言館 遺された絵画」展ですが、
巡回はまだ続いています。

最終会場の尾道市立美術館展が、2月5日(日)まで。
年始も2日から開いているそうです。
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竹原市出身の手島守之輔のこと・・・・「無言館 遺された絵画」展から

2005年12月28日 | Weblog
 
手島 守之輔 「吉名岬風景」

広島県竹原市に生まれ、県立広島第二中学校を卒業。
東京で油絵を学び、結婚し、アトリエを持つ。

開戦後、竹原に戻り、中学校の美術教師。

S20.8.1. 臨時召集で広島連隊に入営。
S20.8.6. 原子爆弾に被爆。
S20.8.7. 父親が竹原から歩いて広島へ守之輔を探しに行き、
      大町陸軍病院で対面。
S20.8.16.戦病死。 享年 31。


彼の遺作もまた、“故郷の風景”である。

「吉名岬」は、竹原市の南西端にあり、
海に囲まれた岬状の丘陵地という絶好のロケーションで、
対岸の大崎上島をはじめ瀬戸内海の多島美を眺望でき、
現在はシーサイドゴルフリゾートになっている。


「無言館 遺された絵画」展の最終会場、尾道市立美術館は、
2月5日(日)まで。年始も2日から開く。
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周南市出身・原田 新 のこと・・・「無言館 遺された絵画」展から

2005年12月25日 | Weblog
 
 原田 新 は、山口県徳山(現・周南市)に8人兄弟姉妹の長男として生まれました。

この絵は、原田 新 の作品「妹・千枝子の像」です。
もちろん、かわいくてしょうがない妹さんへの思いを描いたのでしょう。

ただ彼は、千枝子にかかわる「あること」も知っていて描いたのではないか、という気がするのですがいかがでしょう? ;

 原田 新 の親友に、同じ山口県出身の久保克彦がいます。彼の作品も、「自画像」などが出展されています。

実は「久保が、原田のこの妹・千枝子さんを深く思っていた」ことが、千枝子さんの証言から判ったのです;
「久保さんは出征される時、私にある告白をされたのです。まだ歳ゆかぬ小娘だった私は、その時は大して心を動かされず、いいかげんな答えをしてしまいました。
 もしあの時、久保さんの心を真正面から受け止めていれば、久保さんだって戦地であんなにさみしく最期を迎えることはなかったのではないかと、、、、わたし、それが切なくて、、、、。」

久保克彦 享年25
原田 新 享年24


「無言館 遺された絵画」展は、開催中の尾道市立美術館が全国巡回の最終、2月5日までです。正月2日と3日も開場されるのはうれしいですね。
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「戦後六〇年 無言館 遺された絵画展」で窪島さんが記念講演

2005年12月24日 | Weblog

中国新聞12/24から転載させていただきます(写真とも);

 尾道市西土堂町の市立美術館で「戦後六〇年 無言館 遺(のこ)された絵画展」が開幕した二十三日、「無言館館主の窪島誠一郎さん(64)が記念講演し、約百五十人が熱心に聞き入った。

 講演のテーマは「無言館のこと―生と死の画家たち」。十年前、作品の寄贈を受けるため洋画家野見山暁治さん(85)と全国行脚をするようになった経緯や、大切に作品を保管してきた遺族のエピソードを紹介した。

 窪島さんは「あと五分、あと十分描かせてくれ」と軍服姿で恋人を描いた若者、戦地から日本にいるわが子の寝顔絵を軍事郵便に託した若い父親らの思いにも言及。「反戦平和のために描いた絵は一枚もない。作品に満ちた生きる喜びを感じてあげて」と語った。

 福山市の児玉憲宗さんは、「無言館にいつかは行きたいと思っていた。描かれた背景を知ると、通常の絵画展と違い考えさせられる」と話していた。
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「戦後六〇年 無言館 遺された絵画展」尾道展が開幕

2005年12月24日 | Weblog

中国新聞の記事を転載させていただきます;

「戦後六〇年 無言館 遺(のこ)された絵画展」が二十三日、尾道市西土堂町の市立美術館で始まった。

 中国地方の関係者では、竹原市出身の手島守之輔氏▽周南市出身の原田新氏▽山口県平生町出身の久保克彦氏▽笠岡市出身の画家小野竹喬の長男の春男氏▽出雲市出身の小柏太郎氏―らの作品が含まれている。

 同展は、戦後六十年の今年、東京や京都など全国六カ所で巡回展を続け、中国地方で唯一開催する尾道市が最後となる。
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『無言館 遺された絵画』展の尾道市立美術館って、、、、

2005年12月22日 | Weblog
 
「覚悟して会場に入ったが、
最初に対面した『ばあやん』(『祖母の像』、写真は前出)、もうここでダメ!
体を縛られたようで動けない。

父、母、、、、さらに『姉妹』のコーナーへ。
興梠武が妹を描いたという『編み物する婦人』(写真)、
この憂いと優しさは何なのか、、、。

コーナーは『妻』へと続く。
『妻』になるはずだったヒト の絵は、さらにつらい。

人物画がこんなにモノを言い、心を打つ経験ははじめてだ。

あらためて『家族』を深く深く思いつつ、帰途に着く。」


~ こんな記述を感想ノート等にたくさん残しつつ全国巡回してきた

    『無言館 遺された絵画』展

も、尾道市立美術館が最終会場となります。

2005年12月23日(金)~2006年02月05日(日)で、月曜日と12月29日(木)~1月1日(日)は休館ですが、1月2日(月)、3日(火)は開館してくれます。

◇初日の12月23日(金・祝)14:00~は、窪島誠一郎(無言館・信濃デッサン館館主)の記念講演会:「無言館」のこと―生と死の画家たち― が、尾道市立美術館2階ロビーにて、参加申込不要・当日の入館者を対象。

◇村上彩子(声楽)、正木路子(ピアノ)のギャラリーコンサートが、1月3日(火)14:00~と1月9日(月・祝)18:00~に同上。

◇ギャラリートークは12月25日(日)、1月8日(日)、22日(日)各14:00~に展示室で。


尾道市立美術館のある千光寺公園は、中四国からの交通アクセス至便なのですね。

初詣を兼ねてロープウェイでなら;
全国から新幹線で、新尾道駅へ。
広島・岡山県の方はJR山陽本線尾道駅へ。

クルマなら新春ドライブを兼ねて千光寺ドライブウェイへ向けて;
山陽自動車道の尾道インタから。
愛媛県の方、四国・しまなみ旅行の方は、西瀬戸自動車道の起点。


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「無言館 遺された絵画」展 ~ 最終の尾道会場へ!

2005年12月19日 | Weblog
・うまく書けませんが、ほんとうに色んなことを考えるきっかけを与えてくれた展覧会でした。出張してきてくれてありがとう。(17才)

・来たくなかったけどお母さんに連れてこられました。来てみたら、「遺された絵画」が大好きになりました。また見たいです。感動をありがとう!(小学5年生)

・やっぱりナマの絵が見たくて、こどもを幼稚園へ迎えに行くまでの間に来ました。図録を購入し、子どもがもう少し大きくなったら話をして、無言館へも行きます。

・今までいろいろな展覧会に行ったけれど、こんな印象深いものは、この先ももうないような気がします。この企画に心から感謝しています。

・知人に券をもらったから来てみたのです。こんなにも良い、すごい展覧会だったのですね。この思いをまず絵にしたいです。(18才)

・本当の絵を見た感じです。数ある展覧会の中でもとても素晴らしいものだと思いました。もう一度、尾道でも見ます。(22才)

 「無言館 遺された絵画」展・京都会場の感想ノートに記された言葉です。


 全国巡回中の作品は、上田の無言館に展示されている80余点とは別なのです。その後に預託されたけれど、展示し切れなくて「時の庫」に眠っていた中から、「祖母の像」はじめ130点です。構想中の分館ができるまで、上田へ行っても何時見れるかわからないそうです。

 その巡回も、この尾道会場が最終となりました。見落とした人、もう一度「彼ら」に会いたいという人、自分は対話したがこどもに対話させたいという人、、、全国から問合せが相次いでいるそうです。


尾道市立美術館 0848-23-2281
  JR尾道駅からバスとロープウェイで「千光寺公園」へ。
  12月23日~2月5日 (年始は2日から)

写真の通り、展望も抜群です。
冬休みのお子さんと? 初詣を兼ねて? 帰省の途中下車で? しまなみドライブに? ぜひ立ち寄られるますことを!
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