いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

「君が代」の由来

2012年01月03日 10時02分03秒 | ハマ風は踊る
 それは横浜! 1859年以降文明開化に彩られた横浜には、ビール、アイスクリーム、ガス灯など70種を超える発祥地とするものが記念碑とともに存在する。
 その内の一つに薩摩藩軍楽隊の寄宿舎だった妙香寺(中区)境内には、「日本吹奏楽発祥の地」と「国歌君ケ代発祥之地」の石碑がある。
また同山門前には「国歌君が代由緒地」との碑もおかれている。
 その由来は、横浜居留のイギリス軍楽隊長フェントンの「日本も国歌を持ったらどうか」との提言に薩摩藩歩兵隊長大山巌(西郷隆盛のいとこ)は平素愛唱していた蓬来山にある『君が代』がいいだろうとなった。
 歌詞「君が代」の初見は古今和歌集にある。
この歌集は905年に紀貫之らによって編まれ次の一首が収められている。
 わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで(詠み人知らず) この歌は、平安時代の頃から普及した祝い歌である。中世に第一句「わが気味」は「君が代」へと変転しながら全国に広がり、謡曲や神楽歌そして小唄・浄瑠璃・薩摩琵琶などに取り入れられ、貴族だけでなくあらゆる階層の人々に身近な祝い歌として親しまれてきた。
 薩摩琵琶の名曲とされる「蓬来山」は、島津家中興の祖、戦国武将島津忠良(日新公~じっしんこう・・1492~1567)によって作詞された。

「目出度やな 君が恵みは久方の 光り長閑き春の日に 不老門を立ち出でて 四方の景色を眺むるに 峰の小松に雛鶴棲みて 谷の小川に亀遊ぶ 君が代は 千代に八千代にさざれ石の 巖となりて苔のむすまで 命ながらえて…千草万木花咲き実り 五穀成熟して…」

と薩摩藩では賀歌として祝の席でよく歌われていた。また、薩摩藩士の郷中教育の基本書となる「いろは歌」や戦国時代の武士たちを弔うための六地蔵塔などを残している。
 加えて日新公いろは歌は「いにしえの道を聞きても唱えてもわが行いにせずばかいなし」に始まる47首の歌で、薩摩藩士に人としての儒教的な心構えを説いた忠良は明治6年に竹田神社に祭神として奉られている。
 「君が代」は、国連参加193ケ国中で最も短い歌詞であり平成年に法律で国歌と定められた。曲はフェントンが命じ年に作曲したが曲調に違和感があり明治13年に現在のメロディーとなった。毎年10月に妙香寺本堂で「初代君が代(横浜うた物語CDに収録)」を含む吹奏楽の演奏会が行われている。因みに昨年は、大西学園中学校・高等学校吹奏楽部と海上自衛隊横須賀音楽隊による「吹奏楽発祥の地」記念演奏会が行われた(横浜市中区妙香寺台8所在)。 
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