『知ったかぶり』これほど私と縁のない言葉も珍しい。誤解しないでくださいね。
けして私が物知りなのよーと言っている訳ではないんだから。実はまるで逆な
の。ホント。
ある日会社で、三十代の男性との会話。
私「昔よく社長に苛められて泣いていたの」
彼「いろんなこと、しっているから?」
ちがーうー!彼を含めて私の周りの人達は、完璧に私を誤解している。私は
そんなに色々なことを知っている訳ではない。まだ二十六の小娘、知らないこと
のほうが多いのが当然だ。
けれど、彼らが誤解をする理由は私の習慣にあるのだと思う。私は、自分の
興味のあること、しっていることは自分から話題にするし、会話にも参加する。
が、しらないことははっきりと「知らない」「説明してくれなきゃわからない」
と言う。そうすると大抵の人(特に男性)は丁寧に教えてくれる。(でも昔
「ニューはーフって何?」と聞いた私に友人は「エーッ、知らないのぉ」という
言葉と軽蔑の視線をくれただけだったという嫌な思いでもある。今はちゃんと
知っているけれど)
人にものを聞くことの大切さ、それを教えてくれたのは以前同じ職場だった男
性だ。彼は昔、年上の女性と交際していた。その頃まだ珍しかった『フォンデュ』
がふたりの食事のテーブルに運ばれて来た時、彼女がウェイターに聞いた。
「これは、どうやってたべるのですか?」その言葉を聞いた時、”カッコイイ”
と彼は思ったそうだ。
『聞くは一時の恥じ』などという諺もあるが、そんな諺よりも、かれの『知らない
と言えることはカッコイイ』という言葉のほうが私には大切と思えた。だからそれ
以来、私はその言葉を素直に受け入れ実行してきただけなのだ。
これからもこの方法は変えられないだろうな。だって、メッキがぬってある私
なんて、てんで私らしくないんだもの。
けして私が物知りなのよーと言っている訳ではないんだから。実はまるで逆な
の。ホント。
ある日会社で、三十代の男性との会話。
私「昔よく社長に苛められて泣いていたの」
彼「いろんなこと、しっているから?」
ちがーうー!彼を含めて私の周りの人達は、完璧に私を誤解している。私は
そんなに色々なことを知っている訳ではない。まだ二十六の小娘、知らないこと
のほうが多いのが当然だ。
けれど、彼らが誤解をする理由は私の習慣にあるのだと思う。私は、自分の
興味のあること、しっていることは自分から話題にするし、会話にも参加する。
が、しらないことははっきりと「知らない」「説明してくれなきゃわからない」
と言う。そうすると大抵の人(特に男性)は丁寧に教えてくれる。(でも昔
「ニューはーフって何?」と聞いた私に友人は「エーッ、知らないのぉ」という
言葉と軽蔑の視線をくれただけだったという嫌な思いでもある。今はちゃんと
知っているけれど)
人にものを聞くことの大切さ、それを教えてくれたのは以前同じ職場だった男
性だ。彼は昔、年上の女性と交際していた。その頃まだ珍しかった『フォンデュ』
がふたりの食事のテーブルに運ばれて来た時、彼女がウェイターに聞いた。
「これは、どうやってたべるのですか?」その言葉を聞いた時、”カッコイイ”
と彼は思ったそうだ。
『聞くは一時の恥じ』などという諺もあるが、そんな諺よりも、かれの『知らない
と言えることはカッコイイ』という言葉のほうが私には大切と思えた。だからそれ
以来、私はその言葉を素直に受け入れ実行してきただけなのだ。
これからもこの方法は変えられないだろうな。だって、メッキがぬってある私
なんて、てんで私らしくないんだもの。
今日も、それらの条件をみたしていて良かった、と思う。
ただ、今日の文の欠点は、ロジカル、という点で少しひっかかる。
一 書出し。「みんな私を物知りと誤解してい る」
二 そのあと「誤解の原因は私の習慣だ」
三 そのあと「私は知らないことは知らない。 という」
知らないことを知らないという。そういう人を、なぜ、皆は「物知り」と錯覚するのか?ありえないこと。
何でもしったかぶりをする。それが堂に入っていて、メッキがはげない。そういう時こそ、まわりは「彼女は物知り」と誤解するはず。
「知らない」といつもいう人を、「物知り」と誤解するはずがない。