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創価学会は校舎なき総合大学 御書編⑧

2023年09月24日 | 妙法

ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史〉第36回 創価学会は校舎なき総合大学 御書編⑧ 2023年9月24日

 
朝の陽光が、鮮やかに色づく紅葉と山梨・河口湖を照らす。湖面には、うっすらと富士の姿が。古来、「富士」は「不二」とも記された。池田先生は詠んだ。「見るもよし 見ざるもよしと 我は立つ 不二の誓いを 貫く誉れよ」 ©Thatree Thitivongvaroon
朝の陽光が、鮮やかに色づく紅葉と山梨・河口湖を照らす。湖面には、うっすらと富士の姿が。古来、「富士」は「不二」とも記された。池田先生は詠んだ。「見るもよし 見ざるもよしと 我は立つ 不二の誓いを 貫く誉れよ」 ©Thatree Thitivongvaroon

 欧州広布の躍進の礎となった「ヨーロッパ会議」が誕生したのは、1973年5月のこと。
 同会議の設立を提案したのは、池田大作先生である。当時、各国がそれぞれの地域・社会に根差し、独自の活動を展開するなど、欧州広布は新たな段階を迎えていた。
 焦点は、各国の同志が孤立することなく、互いに連携を取り、応援し合う協力体制を築くことだった。小説『新・人間革命』第17巻「民衆城」の章には、こう記されている。
 「当時、ヨーロッパの統合化は、社会的にも、未来の大きなテーマとなっていた。したがって、人類の幸福と平和をめざす精神の結合ともいうべき『ヨーロッパ会議』の設立は、次元は異なるものの、時代を先取りする価値ある第一歩であったといってよい」
 同会議発足の場に集った13カ国・約300人の友は、「平和の先駆者」との誇りに燃え、広布拡大に奔走した。そして、50周年の節目を刻んだ今年5月、欧州SGI(創価学会インタナショナル)は「共同議長制」を敷いて、新たに出発した。
 同月、欧州SGIの代表のメンバーが来日。欧州中央会議などが開かれ、「佐渡御書」の講義も行われた。講義で強調されたのが、「師子王の心」と「宿命転換」である。
 
 佐渡御書には、「悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮がごとし。これおごれるにはあらず。正法を惜しむ心の強盛なるべし」(新1286・全957)と仰せだ。
 この御聖訓を拝して、池田先生は述べている。
 「『例せば日蓮が如し』――私を見よ! これは決して傲って言うのではない。『正法を惜む心』が強盛だから言うのである――」
 「この正義の大確信を、よくよく拝すべきです。わが命よりも『正法を惜む心』が強盛だからこそ、誰にも怖じることなく、堂々と正義を主張する勇気を持てるのです。ここに信心の極意があると言ってもよい」
 また、佐渡御書には、「鉄は炎い打てば剣となる。賢聖は罵詈して試みるなるべし。我、今度の御勘気は、世間の失一分もなし。ひとえに、先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし」(新1288・全958)とある。先生は強調した。
 「大聖人は、苦闘する門下の肩を揺さぶるように励まされているのです。
 『宿命を転換するのは自分自身だ。自分の中に、その力がある!』
 『苦難を避けるな。本当の勝利は、自分自身に勝つことだ!』
 『大いなる悩みは大いなる自分をつくる! 永遠の勝利者となれる!』と」
 
 先月、イタリア・ミラノの郊外で開かれた欧州青年教学研修会でも、佐渡御書を学び合った。
 先生は、佐渡御書について「師匠の勝利を宣言された一書」「弟子の勝利を約された一書」と記している。この重書の講義を、先生が高等部の代表に行ったのは、1966年のことだった。

ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史〉第36回 創価学会は校舎なき総合大学 御書編⑧(1面から続く)2023年9月24日

 
イタリア文化会館で行われた「イタリア芸術音楽祭」の終了後、池田先生の姿を見つけた未来っ子たちが駆け寄ってきた。先生は「写真を撮ろう!」と声をかけた。撮影の折、先生はユーモアを込めて「チーーーズ」と「チーズ」の音を長く伸ばした。声を合わせて、「チーズ」と言う子どもたちの表情に、満面の笑みが浮かぶ。皆、かけがえのない使命の人。先生は、笑顔輝く幸福の人生をと祈りつつ、記念のカメラに納まった(1992年6月)
イタリア文化会館で行われた「イタリア芸術音楽祭」の終了後、池田先生の姿を見つけた未来っ子たちが駆け寄ってきた。先生は「写真を撮ろう!」と声をかけた。撮影の折、先生はユーモアを込めて「チーーーズ」と「チーズ」の音を長く伸ばした。声を合わせて、「チーズ」と言う子どもたちの表情に、満面の笑みが浮かぶ。皆、かけがえのない使命の人。先生は、笑顔輝く幸福の人生をと祈りつつ、記念のカメラに納まった(1992年6月)
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 1966年4月23日、高等部の代表への4回目となる御書講義が行われた。「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」の講義を終え、この4回目から「佐渡御書」に移った。
 講義の折、池田先生が特に力を込めて解説した御文がある。「悪王の正法を破るに」(新1286・全957)から「正法を惜しむ心の強盛なるべし」(同)までの一節だ。
 先生は「『佐渡御書』の肝心要はこの段です」と語り、こう続けた。
 「『師子王の如くなる心』とは困難にぶつかった場合に、題目を唱え抜いていく心です。しかし、題目を唱えることは、誰にでもできます」
 「本物の師子王の心とは、広宣流布という戦いの一念、戦いの信心がなくてはいけない。受け身ではなく、積極的でなくてはならない」
 「“よーし、やるぞ! 皆が退転しても、自分はやるぞ! 創価の主張を最後まで言い切るぞ!”――これがなくてはならない」
 この一節を拝読し、通解した高橋英明さん。「たとえ一人になっても、師子王のごとき心をもって、広布の使命を達成していく。その自覚が大事である」との師の言葉を心に刻んだ。
 高校卒業後、早稲田大学へ。学問に励みながら、学生部の活動にも率先。大学入学後の4カ月で30人と仏法対話を重ね、人生初の弘教を実らせた。
 大学院修士課程で学んでいた時、第4代の高等部長に。自らの高等部時代を思い返し、“池田先生が全精魂を注いで御書講義してくださったように、自分も全力で高等部員を励まそう”と決意した。全国を駆け巡り、後継の人材を育んだ。
 先生の御書講義から15年がたった81年、高橋さんは先生の海外平和旅に同行する。
 数年前から宗門僧らが、卑劣な学会攻撃を繰り返していた。狙いは、先生と学会員の絆の分断である。81年は、その謀略に対する本格的な反転攻勢が開始された年だった。
 同年1月、先生は北米を訪問。2月中旬には北・中米へ。さらに、5月9日からは、「海外から日本を激励するんだ」と、61日間で北半球を一周する平和旅へ出発した。その折、フランス・トレッツの欧州研修道場で行われたヨーロッパ代表者会議の席上、高橋さんは欧州書記長の任命を受けた。
 先生は高橋さんに色紙を贈った。「負けてはならない 二十年後が勝負 勝つためには 日々忍耐と題目で」とつづられていた。
 81年の20年後は、21世紀が開幕する2001年。高橋さんが高等部の時から、先生が指標として何度も示してきた年でもあった。
 “21世紀を目指し、欧州広布の発展に尽くそう”と決意し、激励に駆けた。「なぜ、広布の組織が必要なのか?」など、求道心が厚いメンバーほど、質問も多かった。だからこそ、“一方的な指導”ではなく、“双方向の対話”を心がけた。質問に次ぐ質問で、語らいは時に10時間に及ぶこともあった。
 欧州各地を歩く中で、何人ものメンバーが、先生の欧州訪問の折の出会いを原点として、奮闘している事実を知った。心血を注いだ先生の激闘ありて、欧州広布の基盤が築かれたことを心から実感した。師の戦いに続こうと、高橋さんも一人を大切にする行動に徹した。
 先生の欧州初訪問から45年がたった2006年、高橋さんは欧州議長に就任。そして、今年5月、欧州シニアアドバイザーに就いた。胸中に燃えるのは、高等部時代に学んだ「師子王の心」である。

 高等部の代表への佐渡御書の講義は、1966年5月14日にも行われた。同年6月11日には、受講生の第1期生に修了証書が授与。「鳳雛会・鳳雛グループ」として結成される。同じ日に、第2期生への「如説修行抄」の講義が始まっている。
 牧口先生が使用した御書には、随所に朱線が引かれ、書き込みがある。佐渡御書の「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(全957・新1286)の一節にも朱線が引かれている。
 池田先生は、佐渡御書について、こう強調した。
 「『佐渡御書』は、いわば『創価学会の御書』と申し上げても、過言ではありません。大聖人が、燃え上がる正義の炎で綴り遺され、弟子たちの心に打ち込まれたこの御書を、学会の三代の師弟は不惜身命の信心で、色読してきたからです」
 牧口先生は、「烏鵲が鸞鳳をわらうなるべし、わらうなるべし」(新1291・全961)を折々に拝して、折伏に邁進する学会の使命を宣揚した。
 戸田先生は、1956年の「大阪の戦い」の折、中之島の中央公会堂で佐渡御書を講義し、不可能を可能にする戦いに挑む友を励ました。
 池田先生が若き日、恩師の事業が苦境に立たされた絶体絶命の中、繰り返し拝読したのが、佐渡御書だった。
 戸田先生が1951年5月3日に第2代会長に就任する直前、池田先生は佐渡御書を拝読。同年4月27・28日の日記に、佐渡御書の一節を記した。
 池田先生は述べている。
 「私にとって、『佐渡御書』とは、恩師とともに拝して逆境を乗り越えた『師弟勝利の御書』となりました」
 「偉大な師弟の道を、師子王の心で語り抜いていく、一対一の正義の対話。ここに『佐渡御書』の実践があります」

「佐渡御書」は学会の根本精神

 「佐渡御書」は、いわば「創価学会の御書」と申し上げても、過言ではありません。
 日蓮大聖人が、燃え上がる正義の炎で綴り遺され、弟子たちの心に打ち込まれたこの御書を、学会の三代の師弟は不惜身命の信心で、色読してきたからです。


EROES 逆境を勝ち越えた英雄たち〉第34回 アレクサンドル・デュマ

2023年09月17日 | 妙法

HEROES 逆境を勝ち越えた英雄たち〉第34回 アレクサンドル・デュマ2023年9月17日

あなたの人生はあなた自身のものだ。
「別の生き方もできた」ではなく、
「自分は生きた」といえる人生であれ。
デュマの小説『モンテ・クリスト伯』の誕生の舞台となった南フランスには、サント・ヴィクトワール山(聖なる勝利山)がそびえる。1991年6月、欧州研修道場を訪れた池田大作先生が名山をカメラに収めた(トレッツで)
デュマの小説『モンテ・クリスト伯』の誕生の舞台となった南フランスには、サント・ヴィクトワール山(聖なる勝利山)がそびえる。1991年6月、欧州研修道場を訪れた池田大作先生が名山をカメラに収めた(トレッツで)

 ルソー、ユゴー、ゾラ、キュリー夫人……。フランスの名だたる偉人が眠る霊廟・パンテオンに、生誕200年を記念して、ある人物の遺灰が埋葬された(2002年)。19世紀を代表する小説家アレクサンドル・デュマである。
 生涯で小説や戯曲、旅行記など600冊近い本を出版。中でも、世界的に有名な『三銃士』『モンテ・クリスト伯』は、今なお多くの人々に読み継がれている。
 1802年7月、パリ北東の町ビレル・コトレでデュマは生まれた。時はフランス革命直後の激動期。ナポレオン軍の将軍として名をはせた父は、後に冷遇を受け、3歳の頃に死別。デュマは貧しい生活を余儀なくされたが、無類の読書好きで『聖書』や『ロビンソン・クルーソー』などを5、6歳で読破したという。
 作家の道を志すようになったのは17歳の時。友人と観劇した「ハムレット」に魅了されたことがきっかけだった。
 4年後、パリにある公爵家の秘書室に就職。その傍ら、博学の同僚から文学と歴史の個人教授を受け、寝る間も惜しんで古今の名著を読み抜き、脚本の修業にいそしんだ。不遇の中で燃やした飽くなき向学心が、類いまれな才能を開花させたといえよう。
 29年、創作した演劇「アンリ三世とその宮廷」が大成功し、一躍人気作家に。44年には新聞連載小説という新たなジャンルで『三銃士』が空前のヒットを記録した。
 こうした目覚ましい活躍をねたみ、足を引っ張ろうとする者も現れた。金もうけ本位で作品を量産する“小説製造”との批判本が出され、デュマが黒人奴隷の子孫であることから、出生に対しても罵詈雑言を浴びせられたのである。
 しかし、彼は動じなかった。
 「もしぼくが、自分に投げつけられたあらゆる石を集めていたら、それだけで、昔から一人の文学者の名誉のために建てられた記念碑のなかの最大のものをもつことができるだろう」
 中傷をものともせず、小説家として不動の地位を築いたデュマ。晩年には、こんな言葉も残している。「あなたの人生はあなた自身のものであることを忘れてはいけない」「あなたが年寄ったとき、『自分は生きた』といえるようになるべきで、『別の生き方もできたのだ』と考えるようであってはならない」

HEROES 逆境を勝ち越えた英雄たち〉第34回 アレクサンドル・デュマ(1面から続く)2023年9月17日

 
トレッツの欧州研修道場で和やかに語り合う池田先生ご夫妻(1991年6月)。先生は同道場を舞台に文化祭や記念撮影会などを通して、同志と師弟の絆を結んだ
トレッツの欧州研修道場で和やかに語り合う池田先生ご夫妻(1991年6月)。先生は同道場を舞台に文化祭や記念撮影会などを通して、同志と師弟の絆を結んだ
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【「モンテ・クリスト伯」を語る池田先生】
「待て、しかして希望せよ!」
苦境にあっても「希望」を忘れない。
忍耐強く、祈りまた祈り、
未来への大道を切り開くのだ。
これが「巌窟王」の精神である。
 
【アレクサンドル・デュマ】
何事であれ、いったん腹が決まると、
その時から、自分の力が十倍になり、
自分の世界がぐっとひらけていく。

 『モンテ・クリスト伯』は新聞連載小説として1844年から翌々年にわたって掲載された。日本では明治時代、黒岩涙香の邦訳により『巌窟王』との題名で発表。一世を風靡した。
 ――物語の舞台は19世紀のフランス・マルセイユ。主人公の若き航海士エドモン・ダンテスは大型帆船の船長への昇格と恋人メルセデスとの結婚を控え、洋々たる人生が開けるはずだった。しかし披露宴の最中に突然、逮捕されてしまう。ダンテスの出世をねたむダングラールと恋敵のフェルナンらの謀略で、ナポレオン派のスパイに仕立て上げられたのだ。
 さらに、取り調べに当たった検事代理の保身により、事実無根の罪で絶海の孤島・イフ島の牢獄に14年間もとらわれの身となる。
 婚約者と引き裂かれ、残された父は他界。奈落の底のような地下牢でダンテスは苦悩する。
 そんな時、政治犯として収監されていた老神父ファリアと出会う。わが身の不遇を嘆くダンテスにファリアは自らの経験を語る。
 「人智のなかにかくれているふしぎな鉱脈を掘るためには、不幸というものが必要なのだ」
 苦難こそ自身の可能性を引き出す鍵である――ダンテスはファリアを師と仰ぎ、万般の学問の個人教授を受けた。ファリアもまた、ダンテスを息子のように薫陶し、知性の闘士へと育てた。
 やがてファリアは重い病に倒れる。死の直前、最後の力を振り絞って語ったのは「信ずること、望むこと、これが青年の特権だ」との言葉であった。
 師の最期をみとり、奇跡的に脱獄を果たした弟子は、師から教えられたモンテ・クリスト島の莫大な財宝を手にし、悪人たちへの仇討ちに身をささげる。
 小説には、こう記されている。
 「何ごとであれ、すばやく腹をきめ、思いきってキビキビやって行かなければならず、自分の身をかばうというようなことだけが、じゃまになるものということを幾度となく思い知らされました。(中略)いったんこうした腹がきまりますと、その時から、自分の力が十倍になり、自分の世界がぐっとひらけたような気持になります」
 裏切り者はそれぞれに、男爵、貴族院議員、検事総長へとのし上がっていた。ダンテスは自らをモンテ・クリスト伯と名乗って社交界に君臨。知力と富の限りを尽くし、悪の正体を暴いていく。
 一方で、かつて自分を船長に推薦し、投獄中に生前の父を支えてくれた船主の一家には、惜しみない支援を施した。
 「仇討ち」と「報恩」――目的を果たし、新たな航海に出たダンテスは、親友に手紙を残す。
 ――人間の智慧は、ただこの二つの言葉にふくまれている。待て、しかして希望せよ!――
 ダンテスの波瀾万丈の生涯に、わが理想を託したデュマは1870年、68歳で人生の幕を閉じるまでペンを振るい続けた。 

 『巌窟王』を戸田城聖先生はこよなく愛し、男子部の人材育成グループ「水滸会」の教材にも選んだ。池田先生も青春時代から親しんだ一書である。
 牧口常三郎先生の十一回忌法要の折、戸田先生は先師の獄死を聞いた当時を述懐しながら語った。
 「あれほど悲しいことは、私の一生涯になかった。そのとき、私は『よし、いまにみよ! 先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、先生にお返ししよう』と決心した」と。
 ゆえに戸田先生は、聖教新聞創刊号から連載した小説『人間革命』の主人公の名を「巌九十翁」とした。
 1981年6月、池田先生はフランス・トレッツの欧州研修道場を訪問。懇談会の席上、求道の友に「巌窟王のごとき、信心と広布の執念の人に」と訴えた。
 そして、同志の激励の合間を縫ってマルセイユを訪れ、『モンテ・クリスト伯』ゆかりのイフ島を望んだ。
 小説『新・人間革命』には、山本伸一がイフ島を眺めた際の心情がつづられている。
 「巌窟王とは、勇気の人、不屈の人、信念の人であり、忍耐の人である。広宣流布は、そうした人がいてこそ、可能になる。ゆえに、いかなる困難にも決して退くことなく、目的を成就するまで、粘り強く、執念をもって前進し続けるのだ。そこに立ちはだかるのは、“もう、いいだろう”“これ以上は無理だ。限界だ”という心の障壁である。それを打ち破り、渾身の力を振り絞って、執念の歩みを踏み出してこそ、勝利の太陽は輝く」(第30巻〈上〉「暁鐘」の章)
 さらに先生は、創価の師弟を貫く“信心の巌窟王”の精神を幾度となく語ってきた。
 「仇討ちといっても、個人的な仕返しのようなものではない。血を流す復讐でもない。
 それは、戦時中、正義の師匠を迫害し、獄死させ、多くの人々を不幸のどん底に落としていった権力の魔性と戦うことであった。そしてまた、虐げられてきた民衆を目覚めさせ、民衆に力を与え、手と手を結び合って、真実の平和と幸福の社会を築いていくことであった。すべては、われらの広宣流布の運動に含まれているのである」
 「『巌窟王』の物語の最後の言葉は何であったか?
 『待て、しかして希望せよ!』である。どんなことがあっても、『希望』を忘れてはならない。どんな思うようにいかぬ苦境にあっても、忍耐強く、祈りまた祈り、未来への大道を切り開くのだ。これが『巌窟王』の精神である」(2008年6月7日、「広布第2幕 第9回全国青年部幹部会」でのスピーチ)
 さあ、巌のごとき不動の信心で誓願の「11・18」へ! その先に無限の「希望」が広がっていることを強く深く確信して――。

 【引用・参考】『モンテ・クリスト伯』全7巻・山内義雄訳(岩波書店)、辻昶・稲垣直樹共著『アレクサンドル=デュマ 人と思想139』(清水書院)、ガイ・エンドア著『パリの王様』河盛好蔵訳(東京創元社)ほか


第15回本部幹部会、SGI青年研修会

2023年09月03日 | 妙法

第15回本部幹部会、SGI青年研修会〉 池田先生のメッセージ2023年9月3日

  • 幸福と平和の創価の大王城を 世界の“山本伸一”の熱と力で
2007年11月、大阪市の関西池田記念会館で行われた本部幹部会で、来日したSGIのリーダーと関西の同志らを全力で激励し、常勝のVサインを掲げる池田先生
2007年11月、大阪市の関西池田記念会館で行われた本部幹部会で、来日したSGIのリーダーと関西の同志らを全力で激励し、常勝のVサインを掲げる池田先生

 一、世界広宣流布の若き誉れの指導者たちを迎えて、本当に嬉しい。

 御本仏は、数々の艱難を突破して来日した遠来の宝友を、一人一人、御照覧でありましょう。

 とともに、送り出してくださったご家族や同志の方々のことも、必ずや「大地よりもあつく、大海よりもふかき御心ざし」(新1742・全1314)なりと御賞讃であります。

 それぞれの国・地域の広布前進、和楽安穏、平和繁栄へ祈りを込めて、異体同心の大拍手で包みたいと思うのであります(大拍手)。

師弟の殿堂に集った世界の若き指導者を、未来部の代表らが盛大に歓迎(東京戸田記念講堂で)
師弟の殿堂に集った世界の若き指導者を、未来部の代表らが盛大に歓迎(東京戸田記念講堂で)
若き門下よ「新時代の青年室長」と光れ!
池田先生がかつて揮毫した「大光」の書。壮大なる「人間革命」の光の連帯を結びゆけ――と
池田先生がかつて揮毫した「大光」の書。壮大なる「人間革命」の光の連帯を結びゆけ――と

 一、本日は、広宣流布大誓堂の完成10周年に際し、大誓堂の「大」の文字を冠した三つの書を通して、地涌の世界市民にエールを送りたい。

 まず、「大光(大いなる光)」であります。

 1954年(昭和29年)の3月、戸田先生は、青年室を新設し、私を室長に任命されました。創価の若人が「太陽も月も星々も己心(わが心)にあり」という「宇宙即我」「我即宇宙」の生命哲理を掲げて、境涯を大きく開き、広宣流布の一切を構想し推進する原動力となれ、と託されたのです。

 この師匠の信頼に、断じて応えゆかんとする不二の弟子の闘争から、新たな価値創造の光が生まれ、大法弘通の威風堂々の大行進が加速しました。

 明年で70年――。私は、日本と世界の愛する若き門下に、君よ、新時代の青年室長たれ! そして、いよいよ壮大なる「人間革命」の光の連帯を結び、青年の熱と力で世界の民衆の生存の権利を守り抜き、照らし晴らせ! と申し上げたいのであります。

創価女性よ「勇気」と一体の「慈悲」の対話を
御本仏直結の大いなる慈悲を体現する、創価の女性たちへのエールを込めて紹介された「大慈」の書
御本仏直結の大いなる慈悲を体現する、創価の女性たちへのエールを込めて紹介された「大慈」の書

 一、次の書は、「大慈(大いなる慈悲)」であります。

 「報恩抄」には「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」(新261・全329)と断言され、「御義口伝」には「『大悲』とは、母の子を思う慈悲のごとし。今、日蓮等の慈悲なり」(新1005・全721)と仰せです。

 この御本仏に直結する大いなる慈悲を、わが学会の母たち・女性たちが誰よりも深く温かく体現しているゆえに、慈折広宣流布の流れは決して行き詰まりません。

 人々の心が暗く淋しく凍てつく社会にあって、“白ゆり”と“華陽”のスクラムを中心に、「智慧」の源泉である「慈悲」の祈り、そして「勇気」と一体の「慈悲」の対話で、創価家族の明るく希望に満ちた「平和の文化」の世界を広げていただきたいと思うのであります。

世界の“山本伸一”たちと共に、創価の城を勝ち栄えさせる誓いを象徴して、「大王城」の書が披露された
世界の“山本伸一”たちと共に、創価の城を勝ち栄えさせる誓いを象徴して、「大王城」の書が披露された

 一、最後の書は、「大王城(大王の城)」であります。

 大聖人は、熱原の法難の渦中、迫害の矢面に立って、師匠をお守りし、同志を守り抜いていた若き南条時光に「金色大王(黄金に輝く大王)」という、釈迦の過去世における修行の物語を示されました。

 すなわち――金色大王は、長い長い大干ばつで飢えに苦しむ民衆を救うために全てをほどこし、最後にわずかに残った米まで、分け与えました。そして天に向かって、「一切衆生の苦しみに代わって、わが命を捧げよう」と叫んだのです。すると、ついに天も甘露の雨を降らせ、万民が蘇ったというのです――。

 ただただ民衆のため、正義のため、妙法とともに不惜身命を貫く「師子王の心」ほど、強いものはありません。

 「諸天舞え」と天をも動かし、一人一人の生命を蘇生させて、立正安国の宝土を創りゆく力があるのです。

 この金剛不壊の信心を燃え光らせて、尊き父母が築き上げてきた庶民の幸福と平和の「常勝の城」を厳護してまいりたい。

 そして、限りなく伸びゆく世界の“山本伸一”たちと共々に、地球民族の宿命転換を断固として成し遂げる、創価の金色の「大王城」を勝ち栄えさせゆくことを約し合って、私のメッセージとします(大拍手)。

創価グロリア吹奏楽団、創価シャイニングスピリッツが、発表55周年の「今日も元気で」、40周年の「21世紀のマーチ」の軽快なサウンドを響かせた(同)
創価グロリア吹奏楽団、創価シャイニングスピリッツが、発表55周年の「今日も元気で」、40周年の「21世紀のマーチ」の軽快なサウンドを響かせた(同)

マレーシアで晴れやかに

2023年08月25日 | 妙法

創価インターナショナルスクール・マレーシアで晴れやかに第1回入学式 9カ国・地域から112人2023年8月25日

  • 創立者・池田先生が祝福のメッセージ 地球民族の希望の光に
私たちは国も言葉も超えた縁深き兄弟姉妹!――栄光の第1期生が希望に満ちあふれて船出した創価インターナショナルスクール・マレーシアの入学式(同校の多目的ホールで)
私たちは国も言葉も超えた縁深き兄弟姉妹!――栄光の第1期生が希望に満ちあふれて船出した創価インターナショナルスクール・マレーシアの入学式(同校の多目的ホールで)

 【クアラルンプール】「創価インターナショナルスクール・マレーシア(SISM)」の第1回入学式が24日午前、マレーシア・ヌグリスンビラン州の州都スレンバンにある同校で晴れやかに行われた。創立者の池田大作先生はメッセージを贈り、マレーシア、日本、韓国、インド、タイ、シンガポールなど9カ国・地域からの第1期生112人の船出を祝福。地球民族の希望と喜びの光を放つ世界市民に成長をと呼びかけた。SISM最高顧問の原田会長、同理事の谷川主任副会長ら訪問団が出席した。(記事=田代貞治、板子太陽、写真=梅津賢太郎)

原田会長ら訪問団が出席

 真新しい制服に身を包んだ新入生が会場に入場すると、割れんばかりの拍手が起こった。会場いっぱいに、栄光の第1期生を祝福する真心があふれていた。
 
 クアラルンプールの国際空港から車で約45分。生徒たちは入学式の2日前、期待と不安の入り交じった気持ちで正面ゲートをくぐった。初めて本物の校舎を目にする海外からの生徒も多い。
 
 ゲートを抜けると、まず天然芝の美しいグラウンドが目を引く。建物に入ると、自然光をふんだんに取り入れた、明るくカラフルな空間が輝いている。ここから新たな青春の旅路が始まることを誰もが実感し、希望に満ちた笑顔に変わった。
 
 ここは、「創価」の名が付いた世界初のインターナショナルスクール。日本の中高一貫校に当たり、国際水準のカリキュラムに沿って、外国語の授業以外は全て英語で行われる。
 
 施設は「生徒第一」。広々とした教室に加え、科学実験室や音楽スタジオ等を備える。50メートルプールもある。
 
 寮は24時間体制のセキュリティーで守られ、看護師が常駐。カフェテリア(食堂)では、管理栄養士のもと朝・昼・夜の3食が提供される。学校全体の電力を太陽光でまかなうなど、環境にも配慮した最先端の学舎だ。

広大な緑に包まれた創価インターナショナルスクール・マレーシア。太陽光発電のパネルや、雨水を活用する循環システム等が設置され、環境に配慮したキャンパスになっている
広大な緑に包まれた創価インターナショナルスクール・マレーシア。太陽光発電のパネルや、雨水を活用する循環システム等が設置され、環境に配慮したキャンパスになっている
世界市民育む国際水準の中高一貫校

 7~11年生(日本の中学1年~高校2年に相当)は、英国中等教育プログラムの国際版「IGCSE」を採用。英語力や学習姿勢などの能力・識見が総合的に認められれば、早期進学も可能になる。
 
 その後、12、13年生(日本の高校3年以降に相当)は大学予備教育として国際バカロレア(IB)機構の「ディプロマ・プログラム」と、ケンブリッジインターナショナルの「Aレベル」プログラムから選択。それぞれ所定の成績を収めると、高い英語力と学力を有する証明となり、欧米をはじめ世界の大学への入学に有利となる。いわば“世界共通のパスポート”である。
 
 初年度の本年は第1期生として7~9年生が入学。来年度は7~10年生を募集し、以降は順次、募集対象の学年を追加する予定だ。

 ――充実した施設と学習内容がそろった、理想の“全人格的な教育の園”。入学式では、郭福安学園長が、保護者など全ての支援者への謝意を表し、余美婷校長が祝辞を述べた。
 
 次いで、谷川主任副会長が創立者のメッセージを代読。マレーシアのジーニー・ルイさん(9年生)、インドのダエルヤ・ケーラーさん(8年生)が誓いの言葉を発表した。
 
 来賓のマレーシア創価学会・許錫輝理事長は、建学の精神を胸に、学業に励みながら、「智慧」と「勇気」と「慈悲」を備えた優れた世界市民に成長をと語った。
 
 原田会長は、創価教育の発展に心血を注いできた創立者・池田先生にとって、SISMの生徒一人一人は生命そのものであると強調。今日よりは、初心を忘れず、どこまでも自分らしく、伸び伸びと、学び抜いてほしいと励ました。

期待に胸を躍らせて、世界市民の“学びの門”をくぐった新入生たち
期待に胸を躍らせて、世界市民の“学びの門”をくぐった新入生たち

 式典終了後、新入生の瞳は輝きを増していた。
 
 「きれいなグラウンドで友だちとスポーツがしたいです。英語の勉強も頑張ります」(タイ、7年生)
 
 「宇宙飛行士になるのが夢です。たくさんの国の人と友だちになることも楽しみです」(インドネシア、8年生)
 
 「池田先生の真心を実感し、涙が出ました。将来、国連で働き、創立者の平和思想を広げていきます」(韓国、9年生)

生徒第一の教育環境が整ったキャンパス。寮と教育棟の間にある50メートルプール
生徒第一の教育環境が整ったキャンパス。寮と教育棟の間にある50メートルプール
科学実験室
科学実験室
図書館
図書館
クラスルーム
クラスルーム
音楽スタジオ
音楽スタジオ
カフェテリア
カフェテリア

共に喜び 勝つ人生を・ラダクリシュナン博士

2023年08月06日 | 妙法

Seikyo Gift〉 共に喜び 勝つ人生を 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2023年8月6日

 【写真説明】天が織り成す“光の芸術”。青空に、鮮やかな二重の虹が懸かった。2000年(平成12年)4月、池田大作先生が八王子市の東京牧口記念会館から撮影した。
 かつて、先生は詠んだ。「わが友と 親しく語り 見上げれば 友情の虹 天下に微笑む」と。
 目の前の一人に寄り添い、真心で語り、励ましの光を送る。それが創価の生き方である。「人のために火をともせば、我がまえあきらかなるがごとし」(新2156・全1598)との御聖訓のままに、我らは「自他共の幸福を築く生き方」を、地域に世界に広げているのだ。その頭上には、人間王者の虹の冠が燦然と輝いている。(4月23日付)
 

池田先生の言葉

 人は、
 人の絆のなかで育まれ、
 成長し、学び合い、
 助け合って
 真実の人間となる。
 ゆえに、自分一人だけの
 幸せはない。
 自他共の幸福の
 なかにこそ、
 本当の幸福もある。
  
 他人のために尽くす、
 慈悲の行為に
 励む人の胸中には、
 仏の命が涌現する。
 その境涯が、
 すべてを変えていく。
  
 同じ状況にあっても、
 ある人は、
 生き生きと進む。
 ある人は、
 嘆き、悲しむ。
 喜びというのは、
 心が感じるものだからだ。
 この人生を、喜んで、
 楽しんでいければ、
 その人は「勝ち」である。
 ゆえに、大事なのは、
 心を変革することだ。
  
 いつかではない。
 今、この瞬間である。
 今日、この一日である。
 今、この時に
 全魂をかたむけていく。
 その「今」に
 勝利の未来が
 含まれている。
  
 皆さんは、
 学会の広宣流布の闘争に
 勇んで参加された。
 その福運は、
 永遠に続いていく。
 財力よりも、権力よりも、
 名声よりも、
 信心は百千万億倍、
 偉大である。
 広宣流布という
 大目的のために
 戦っていくことは、
 仏にしかできないことだ。
  
 私たちはどこまでも、
 「人のために」
 灯をともしていく。
 目の前で悩んでいる人、
 苦しんでいる人のもとへと
 足を運び、
 妙法の光で、
 自他共に
 無明という生命の闇を
 晴らしていくのだ。

 小説『新・人間革命』起稿から30周年 記念インタビュー インド・ガンジー研究評議会議長 N・ラダクリシュナン博士2023年8月5日

平和こそ人類の根本の第一歩
5:25
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 あす8月6日、池田大作先生が小説『新・人間革命』の執筆を開始してから30周年を迎える。起稿の日(1993年8月6日)、先生はガンジー研究の第一人者であるニーラカンタ・ラダクリシュナン博士と長野研修道場で会見している。インド南部・ケララ州のガンジー記念館で、平和活動家・教育者としてガンジー研究を主導する博士を訪ね、会見当時の印象や現代における創価学会の役割などをインタビューした。(聞き手=小野顕一)

 ――30年前、池田先生が小説『新・人間革命』を執筆開始された、まさにその日、ラダクリシュナン博士は先生と会見されています。
   
 あの時のことは、鮮明に覚えています。
 私は、広島に原子爆弾が投下された8月6日を、「人類の歴史における一番の暗黒の日」と認識していました。池田先生との会見では、そのことについて、何か大切なお話をいただけるのではないかと期待していたのです。
 まず思い出されるのは、お会いした瞬間から、先生が私を事細かに気遣い、緊張を解きほぐそうとされたことです。
 日本へのフライトは快適でしたか? 昨日はよく眠れましたか? 朝食はおいしく食べられましたか? 車窓からの景色はどうでしたか? ご家族と連絡はとられましたか?
 ――質問に答えるうち、池田先生のことが、まるで実の父のように感じられ、とても安心した気持ちになりました。
 そうしたやり取りを重ねながら、ガンジーの戦争観や平和の信念などについて、意見を交換していったのです。
 ふと、先生は一枚の原稿用紙を手に取り、私に尋ねました。
 「博士、私が何を書いたか、お分かりになりますか」
 通訳の方が、内容を翻訳して教えてくれました。
 そこには「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」と――。
 そうです。それは、小説『新・人間革命』の冒頭の一節だったのです。
 先生は、この小説が、全何巻・何章で、どういった構成になるのか、具体的な考えを話してくださいました。驚いたのは、創価学会の歴史や登場人物の詳細を、あたかもコンピューターがデータを読み出すように、明瞭によどみなく記憶されていたことです。
 私が「人類の暗黒の日」と考えていた、この8月6日に、いわば、民衆一人一人の人生の軌跡をもって、創価学会の真実の歴史をとどめようとされていることに深い感動を覚えました。

非暴力の覚醒

 ――この日、博士は、ガンジーの“「魂の力」は原子爆弾よりも強い”との信念に触れ、語られています。「誰もが持つ『魂の力』を引き出し、平和を生み出していく――これこそ池田先生が世界に広げている運動です」と。
   
 創価学会三代の会長は、信仰を人生変革への希望の力とし、民衆を勇気づけてきました。一人一人が「生きる喜び」を得て、人生はより良く変えられるという実感を持ちながら、正義と平等の価値を周囲に広げていく――。そこに、持続可能な平和への道筋が、人間絵巻のモザイクアートのように現れているのです。
 ガンジーが亡くなって、今年で75年がたちました。インドも世界も劇的な変化を続けています。ですが、人間の基本的な性質は変わっていません。もし、ガンジーが2023年という今日に生きていたとしたら、全ての戦争や不平等に反対し、人間の尊厳を掲げて、あらゆる腐敗に挑んだに違いありません。もちろん、権威主義的なアプローチではなく、どんな他者からも学び、人と人との間に調和をもたらしながら、です。