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現実と言葉を洗い直す

2017年01月17日 | 読書
2017読了3
 『定義集』(大江健三郎 朝日文庫)

 解説の落合恵子によると「上等で上品な大江さんの言葉」は、私には正直理解しがたい箇所が多かった。いわゆる教養がないことと同義だろうが、語彙をうまく消化しきれなかった。ただ、問いかける向きにはシンパシーを感じるし、一言にぐっと重みを感ずるのは、抑えた口調ゆえか。特に冒頭の一篇は心に残る。


 それは「注意深いまなざしと好奇心」と題され、障害を持つ長男との日課である歩行訓練の時のエピソードである。路上で倒れた長男の介助にあたっているとき、通りかかった壮年婦人と高校生らしい少女の対応を書いている。壮年婦人は手を出そうとして拒否され憤慨し立ち去り、少女はある距離を置いて見ている。


 障害者とその家族に対して、「(こちらが受け入れられないほど)積極的な善意を示し」た婦人と、離れた場所からケータイをちらつかせじっと「注意深くこちらを見ている」女子高校生の、どちらの対応がより望ましいか。「人間らしさ」という点でいえば、一般的には前者の方が評価されるかもしれない。が、しかし…。



 不幸な人間に、問いかける、手を差し伸べることが、人間らしい「資質」であることは間違いない。しかし、穿った見方をすれば「不幸な人間への好奇心だけ盛んな社会」という面も確かにあり、そこで著者は「あの少女の注意深くかつ節度ある振る舞いに、生活になじんだ新しい人間らしさを見出す」と書いている。


 「定義集」という名付けは、いわば目に見える現実とそこに現れる言葉とを洗い直していることだ。正確には読み取れなかったが、個々の題名を目にしただけで、問われている気がした。三つだけメモしておく。「書くという『生き方の習慣』」「余裕のある真面目さが必要となる」そして「自力で定義することを企てる」

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