すぷりんぐぶろぐ

陥穽から風穴をさがす

「神様除去」という境地

2016年12月20日 | 雑記帳
 封切りから一か月。
 まだ県内では上映されていないので、隣県まで足を伸ばし、映画『聖の青春』を見た。

 (映画予告編はこちら↓)
https://www.bing.com/videos/search?q=%e8%81%96%e3%81%ae%e9%9d%92%e6%98%a5%e6%98%a0%e7%94%bb&qpvt=%e8%81%96%e3%81%ae%e9%9d%92%e6%98%a5%e6%98%a0%e7%94%bb&view=detail&mid=70E8230F8CC75ED588B970E8230F8CC75ED588B9&FORM=VRDGAR


 原作のノンフィクションは、大崎善生の小説を読み始めるきっかけとなった一冊だ。
 もう十数年経つが、間違いなく名作だ。

 調べてみたら、2002年の11月に読んでいた。
 こんなふうにメモを残してある。

 話題になったノンフィクションの文庫化。
 400ページを越えるものだが、早朝から読み始め一気に読了した。
 引き込まれたのは、村山聖という強烈な個性とともに、筆者の文体の持つ魅力だった。将棋界を取り巻くドラマも垣間見た気がした。


 将棋自体にはほとんど興味はないが、映画化はなんといっても、主人公の村山聖を松山ケンイチがどう演ずるのか、非常に楽しみだった。

 全体的に抑えめ?の演技のような気がした。
 しかし「怪童」と呼ばれる迫力は十分感じさせてくれたし、本当に何気ない一言に、哀しみのこもる表情をよく出していたと思う。
 松山が「今までで一番役にのめり込んだ」とコメントしていたと記憶している。



 また東出昌大の羽生善治役は、ずいぶん研究されていたと感じた。
 ハイライトが羽生名人との対局であり、「戦い」の表現としてはある意味とても典型的な場面を見せつけてくれたように思う。

 つまり、相手と対しながら、常に自分の能力と戦っているというイメージだ。
 奨励会という制度の厳しさは話題になることが多い。
 そこを通過した者だけが、到達できる境地だろうか。

 まして村山聖のように難病を抱えていたときに、どんな力がそこまでを可能にさせるのだろうか。

 「神様に一つだけお願いするとしたら」という項目に対して、「神様除去」と記した村山の精神を、簡単に理解できるとは到底言えない。
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