すぷりんぐぶろぐ

陥穽から風穴をさがす

乱読の秋、自省を込める

2016年10月12日 | 読書
 『仙台ぐらし』(伊坂幸太郎 集英社文庫)を再読した。
 エッセイ集だが一篇だけ「ブックモビール」という短編小説が収められている。
 そのなかで、被災地を見に来た映画監督を案内し、その発言に腹を立てた「渡邊さん」が放った一言は強烈だ。

◆「光景を見に来るんじゃなくて、人の心を見に来いよ」

 震災の年から何度か、かの地に足を運んだ自分だったが、どうだったろうと胸に手を当てさせることばだ。



 昨年の夏に話題になった『大放言』(百田尚樹 新潮新書)を読んだ。
 いやいや、まあ言いたい放題である。同い年の売れっ子作家には、何も怖いものがないようだ。
 もっとだと思うことも、一方的ではないかと感ずることもある。ただ結局のところ批判、非難と反論に終始する形になるので、読んでいて気持ちのいいものではない。
 しかし、次の言に対しては賛成である。「言葉狩り」の社会を続けてはいけない。

◆放言を笑って聞くだけの度量のある社会にしようではないか。

 そういえば、某合衆国の大統領選挙なんかも関係ありそうだ。
 けして無視するわけではないが、「放言」以上に大事なことがあると感ずるのは私だけではないだろう。



 浅田次郎の短編集『夕映え天使』(新潮文庫)を楽しんだ。
 年齢の近い男性が主人公の設定が多く、なかなか染み入る物語ばかりだった。
 「丘の上の白い家」という話の中で、主人公の友人清田が、教師らに交際について指導され、言い放った言葉が強烈だ。

◆「価値観のちがいというのは、階級主義の受容だと思います。先生方も教育長も、妙な言いがかりをつける親も、もういっぺん戦争をして、もういっぺんこてんぱんに負けてください。」

 おそらく昭和30年代の設定と思うが、世の中あまり変わっていない気もする。
 災難に遭っても学ばない日本人が多いのか。自省を込めて。
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