“微風の栞”
|
*
||| =☆= Welcome to My Blog =☆=
|
|
*
||| =☆= Welcome to My Blog =☆=
|
**
※- 水戸の「偕楽園・梅まつり」始まる 2012年02月18日

偕楽園・ホームページから
2月18日、「梅の名所」として知られる水戸市の偕楽園で、恒例の「梅まつり」が始まりました。
**
「日本・三名園」の1つとされる水戸市の偕楽園(13万平方メートル)の敷地に、およそ100種類、3000本の梅の木が植えられています。
「偕楽園・公園センター」によりますと、今年は寒さが続いたため例年より開花が遅く、花が咲いた木は50本ほどに止まっている ・・・ とか。
「梅まつり」初日に訪れた人達は、日当たりの良い場所で僅かに咲いた花を見つけ、近寄って見つめたり写真に撮ったり。
偕楽園は去年の東日本大震災で、斜面が崩れたり、園内にある水戸藩ゆかりの別荘の土壁が崩れたりするなどの被害を受けました。
その為、今月初めまで復旧工事が行われていました。
「偕楽園・梅まつり」は、3月31日まで開かれ、梅は来月中旬以降が見頃 ・・・ とか
*-*
**
※- 鶴(ツル)の北帰行始まる・出水平野(鹿児島県) 2012年01月30日

1月30日− website − : 鹿児島県・出水市の「出水平野」で越冬している鶴(ツル)の北帰行が始まった「ニュース」。
県ツル保護会が「マナヅル」= 198羽の飛び立ちを確認した(昨季より2日早い)。 3月末ごろまで続く。
同市荘の荒崎休遊地では、午前10時前にマナヅル17羽が飛び立ったのを皮切りに、次々と群れが上空へ旋回しながら風に乗り、北西の空へ旅立った。
確認したツル保護監視員の時吉秀次さん(62)は「心配した鳥インフルエンザの発生もなく、北帰行を無事迎えてホッとしている。来季も元気に戻ってきてくれれば」と話した。
今季は過去2番目に多い= 1万3101羽を数え、15季連続の「万羽ヅル」を記録した。
県ツル保護会は、昨季の高病原性鳥インフルエンザ感染を受け、早期発見のため巡回監視員を常設するなど、対応を強化しています
*-*
**
※- 日本一早い「桜祭り」・沖縄 2012年01月21日
1月21日、沖縄本島北部・本部町で、日本一早いとされる恒例の「桜祭り」が始まりました。
標高450メートルの本部町の八重岳では、頂上にかけて植えられた、およそ= 7000本のヒカンザクラの濃いピンク色の花が3分咲きほどに成りました。
日当たりのよい木は、ほぼ満開となっています。
本部町では、21日から日本一早いとされる桜祭りが始まり、地元の人たちが鏡割りをしたあと踊りを披露しました。
21日は、二十四節気の「大寒」と重なりましたが、沖縄本島・北部は日中の気温が20度近くに上がり、訪れた人たちは桜の下で記念写真を撮りながら一足早い春の訪れを楽しんでいます。
主催者によりますと今年は、桜の開花が年明けに冷え込みが続いたため、例年より10日ほど遅いという。
本部町の「桜祭り」は、来月5日まで開かれ、今月末から来月初めにかけて一番の見頃になりそうだと話しています

*-*
**
※- 伝統の「松明(たいまつ)あかし」・福島県須賀川市 2011年11月12日
11月12日、福島県須賀川市の伝統の火祭り、「松明(たいまつ)あかし」が行われました。
今年は放射性物質への不安から、全国から提供を受けた「かや」や「竹」で作られた松明が、復興を願う大きな炎の柱となって夜空を照らしました。
長さ(高さ)10メートル、重さ 3トンもある「大松明」を始め、市内の中学生や高校生が作った松明などが、合わせて22本が運び込まれた。
松明の材料は「かや」や「竹」ですが、市内で採れた「かや」から微量の放射性物質が検出されたために使用をやめ全国22の団体や個人から材料の寄付を受けて祭りの開催にこぎつけました。
「応援頂き、ありがとう」とか「がんばろう福島」などと書かれた垂れ幕が付けられた松明に火がともされると、復興を願う幾筋もの炎の柱となって夜空を照らしました。
「かや」を提供した長野県山ノ内町の布施谷裕泉さんも訪れ「須賀川市の人たちが困っていることを知り、提供しましたが、祭りを見て遣って良かったと思いました。これからも頑張ってほしい」と話していた。
須賀川市の斎藤直昭観光交流課長は「全国からの支援を受けて祭りが出来て、嬉しいです。これを“復興の烽火”に一歩一歩進んで行きたいです」と話していました
[ 「伝統の火祭り」・福島県須賀川市のホームページ ]
http://www.city.sukagawa.fukushima.jp/taimatsu/index.html
**
☆・伝統の「松明(たいまつ)あかし」 HPから
晩秋の夜空を焦がす須賀川の松明あかしが、今年も四百二十年余前を偲びながら開催されます。 今では、須賀川市が全国に誇る伝統行事として、日本三大火祭りの一つにあげられていますが、その歴史は古く、戦国時代のドラマが秘められています
今から四百二十年前、豊臣秀吉が全国統一に向けその勢いを増やそうとしていた矢先、伊達政宗は梁川から勢力を増して、米沢に居城を構え、東北地方を支配しようとしていました。
当時、会津と対立していた二階堂盛義公は、永禄九年、会津芦名家と和睦し、七歳の子 盛隆を人質として会津に送りました。
天正二年、会津城主・芦名盛興の死に伴い、盛隆は乞われて芦名盛隆として会津城主となりました。
その結果、須賀川二階堂とは一心同体となり、二階堂氏は威勢が高まり、二階堂の領地は、岩瀬郡のほか、田村、安積、石川など六十八ヶ村の五万七千石にまでに及ぶようになりました ・・・ 続きは「ホームページ」をお読みください
*-*
**
※- 日光・東照宮で「流鏑馬(やぶさめ)」 2011年10月16日
10月16日、栃木県日光市は木々の紅葉が色づき始めました。
世界遺産・日光東照宮前の表参道で、「流鏑馬(やぶさめ)・神事」が奉納され、東照宮の秋季例大祭が幕を開けた。
前日の雨も上がり、穏やかな陽気の中で心身を鍛錬してきた射手人が参集しました。
日光東照宮の流鏑馬は、毎年、春と秋に行なわれています。
栃木県内の弓の愛好家など12人が「綾藺笠(あやいがさ)」と「物射沓(ものいぐつ)」という昔の狩装束に身を包み、勇ましい武者の出で立ちで馬に跨(またが)り、登場します。
そして、大きな扇がゆっくり回されるのを合図に長さ= 220メートルの馬場に駆け出し、途中の3か所に設けられた= 45センチ四方の的を目がけて、大きな掛け声とともに次々と矢を放つと観客の拍手が沸き上がる。
東照宮は1953年、戦後復興を目指す人々の誇りと自信を取り戻す契機とすることなどを目的に流鏑馬を創設した。
今回は、「3.11・東日本大震災」からの早期復興の祈りも込めて実施されました。
大祭は、17日には午前11時から「百物揃千人武者行列」が行われ、勇壮な時代絵巻が表参道を華やかに彩る
*-*