スピリチュアルとホ・オポノポノで考える社会不安障害(SAD) 対人恐怖症

私は社会不安障害です。
スピリチュアルの霊的哲学から色々なことを学び、さらにオポノポノを通じて知ったことを書きます。

シルバーバーチの霊訓(その2) & 神との対話

2016年09月19日 13時22分50秒 | 日記
本の紹介【シルバーバーチの霊訓】
アン・ドゥーリー編 
近藤 千雄 訳

時として人生が不公平に思えることがあります。
ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら
生涯を暗闇の中を生きているように思えることがあります。
しかしその観方は事実の反面しか見ておりません。
まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。
私はあなた方に較べればはるかに長い年月を生き、
宇宙の摂理の働き具合を遥かに多く見てきましたが、
私はその摂理に絶対的敬意を表します。なぜなら、神の摂理がその通りに
働かなかった例を一つとして知らないからです。こちらへ来た人間が
“自分は両方の世界を体験したが、私は不公平な扱いを受けている”
などと言えるような不当な扱いを受けている例を私は一つも知りません。
神は絶対に誤りを犯しません。もしも誤りを犯すことがあったら宇宙は
明日という日もおぼつかないことになります。
(省略)
せっかちと短気はいけません。せっかくの目的をだいなしにします。
内部から援助してくれる力は静穏な環境を必要とします。
物事には一つの枠、つまりパターン(型)があり、そのパターンに沿って摂理が働きます。
宇宙の大霊も、自ら定められた摂理の枠から外れて働くことはできないのです。
指導と援助を求めるときはそれなりの条件を整えなくてはいけません。
そのためには、それまでの経験を活用しなくてはいけません。
それが魂にとっての唯一の財産なのです。
そして自分に生命を賦与してくれた力がきっと支えてくれるという自信を持つことです。
あなたはその力の一部なのであり、あなたの魂に内在しているのです。
正しい条件さえ整えれば、その神性は、
神からの遺産として、あなたに人生の闘いを生き抜くあらゆる武器を用意してくれます。
せっかちと短気はその自由闊達な神性のほとばしりの障害となるのです。
故にあなた方は常にリラックスし、受身的で穏やかで平静で、しかも奥に自信を秘めた
状態であらねばなりません。その状態にあるかぎり万事がうまくいき、
必要とするもの全てが施されるとの確信をもたなければいけません。
安易な人生からは価値あるものは得られません。困難な人生からのみ得られるのです。
神は決してあなた方を見捨てません。見捨てるのはあなた方の方です。
あなた方が神を見捨てているのです。困難に直面した時、その神の遺産を
結集し、必ず道は開けるのだという自信をもつことです。
不動の信念の持てば道は必ず開かれます。

これはすでに私が何年にもわたって説いてきたことです。真実だからです。
実践してみればそのとおりであることを知ります。物質は霊のしもべです。
霊は物質のしもべではないのです。身体がひとりで呼吸し動いているのではありません。
霊がいなかったら身体は生きておれません。現に、霊が去れば身体は朽ち果てるのみです。
霊性を悟ることは容易なことではありません。もし容易であれば価値はありません。
その道に近道はありません。王道はないのです。各自が自分で努力し、
自分で苦労しなくてはなりません。しかし同時にそれは登るにつれて喜びの増す、
素晴らしい霊的冒険でもあるのです。



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私が苦難という崖っぷちに立たされるような状態にある時、
上に書いてあるような常にリラックスをし、穏やかで平静で自信を…
という精神状態に持っていくのは非常に至難の業だと思いました。
それが出来るのは聖人クラスの人、例えばマザーテレサなど、
全身全霊を神にささげているような方でないと無理ではないかと思うのです。
何度も何度も救われるような奇跡を体験してようやく
全幅の信頼を神にささげることが出来るのではないかと思うのです。

私たちには、まだそのような経験が足りない。
この物質世界の「現実」というものを直視してしまい、
もうこのような状態では駄目なんじゃないかと恐怖におちいってしまう。
神や真理を学んできたことも、すっ飛んで暗闇にいるように感じてしまう。
こんな考え方では駄目だと分かっていながらも、
目の前の問題や現実に引き戻されてしまう。
苦しみから抜け出せないどうしようもない自分に叫びたくなるほどに。

今わかったことは、その状態の自分でも大丈夫だということです。
ただただそんな時は神に祈る。必死に祈る。全身全霊をかけて
この暗闇と思えるようなこの場所から神に叫び求める。
この苦難から脱出させてくださいと。

人生に意味のない苦難を与えられることがないように、
今の苦しみは、その聖なる人生の目的(魂の目的)のためにあるのだと信じて、
必ず見出すことができますように。
だから神よ、助けてください。力を貸してください。
人生の闘いを生き抜くあらゆる武器を私に与えてください。

すると必ずこの苦難から大きな意味を見出すことができます。
全身全霊をかけて祈れば、
必ずこの苦しい現状から、何を学ぶべきかが分かる瞬間があります。
自分は何を人生の目的として生まれてきたのか思い出すのです。
その魂の目的を思い出したとき、今の苦難の意味を理解することができ驚くのです。

こんな苦難を味わうことなければ、一生知らずに無駄に生きてしまうところだった…。
この苦難の中にこそ、私の人生において重要な大きな真実が隠されていたんだ…。

私の魂は、私がこの苦しみの中においてこそ、新たな成長があることを知っていた。
そんな人生設計が組み込まれていたなんてと思うと、驚愕する。
私の単純な視野では、苦難であり闇にしか見えなかったけど、
実は大きな大きな愛と見守りの中にいたことを知る。

神はどんな状況にあっても全てを祝福しなさい、と言っている。
私たちは苦しみのどん底にいる時に、決して自分は
見捨てられた存在だと思ってはいけない。

【神との対話】 著:ニール・ドナルド・ウォッシュ

魂が何を選んでも、あなたがたには限りない可能性が開けている。
あなたがたが限られたものと叫ぶ肉体に宿る魂にはどんなことも可能だ。
ただあなたがたには、魂の課題が理解できないし、魂の意図もわからない。
だから、あらゆるひとと条件を祝福し、感謝しなさい。そうすることで、
神の創造物の完璧さを認め、神への信頼を示しなさい。
神の世界ではいきあたりばったりに起こることは何もないし、偶然もない。
世界は、あなたがたが運命と呼ぶ気まぐれな選択にほんろうされてはいないのだ。
雪の結晶が完璧ならば、あなたがたの人生のすばらしさにも
同じことが言えると思わないか?


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私の人生は完璧に神に支えられていたのだと知りました。
そして、それまでは立ちすくんで動くことも出来ずにいたはずなのに、
人生の目的を思い出すと、自分の内から力が湧きあがるのです。
私はここで止まっていてはいけないと、
乗り越える勇気・力が湧いてくるのです。
負けてはいられないと。

だから必死に神に助けを求めてください。
苦しみという暗闇の中にいると思った時は、全身全霊をかけて祈ることです。
必ずその答えや助けとなるようなことが、いつの間にか、知らぬ間に、色んなかたちで、
(テレビや何かで見た情報だったり、誰かの言葉であったり)
自分のところに必要な情報が完璧なかたちで集まっているのです。
その時点では全く気が付かずにいるのですが。
必死に助けを求めた時に、それらが一瞬のうちに組み立てられるのです。
答えが自分の中からパッとひらめき出てくるのです。
私が求める前に答えはすでに用意されていたことに気が付くのです。
その瞬間に私は見捨てられた存在じゃなかった!とわかるのです。
ずっと手助けがあったことに気がつかなかったことに神に詫びるのです。
ずっと、ずっと見守られていたことに気がつかずに、不安と恐怖におちいってしまっていた。
申し訳なさでいっぱいになるのです。そしてその後は感謝しかありません。

だから諦めないでください。必ず救われます。
信じれば乗り越える力を与えられるのです。
自分の内側から力が湧き出てくるのです。
必ず何らかの手助けがあることを信じてください。
絶対にです。諦めないで必ず信じてください。

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【シルバーバーチの霊訓】

あなた方が直面する悩みごとは私にもよく分かっております。
しかし霊的知識を有する者はそれを正しく運用して、
物的要素に偏らないようにしなければなりません。
霊的要素の方に比重を置かなければいけないということです。
正しい視野に立って考察すれば、焦点が正しく定めれば、日常生活での
心の姿勢さえ正しければ、物的要素に対して最小限度の考慮を払い、
決して偏ることはないでしょう。そうなれば霊的自我が意のままに働いて
あなたを支配し、生活全体を変革せしめるほどの霊力がみなぎり、
ついには物的要素に絶対に動かされない段階にまで到達することでしょう。
永遠なるものを日常の出来事を基準にして判断しても駄目です。
あなた方はとかく日常の精神によって色づけされた判断、
つまり自分を取りまく環境によって判断をくだしがちです。

そしてそれまで成就してきた成果の方は忘れがちですが、
これは物質の中に閉じ込められ、朝目を覚ました瞬間から夜寝るまで
日常的問題に追いまくられているからです。
今と昔を較(くら)べるために過去のページを繙(ひもと)いてごらんなさい。
そこに背後による指導のあとがありありと窺(うかが)えるはずです。
霊的知識に恵まれた者は決して首をうなだれることなく、脇目も振らず
前向きに進めるようでなくてはなりません。背後霊は決して見捨てないことを
ご存知のはずです。人間が神に背を向けることがあっても、神は決して
人間に背を向けることはありません。無限の可能性を秘めたこの大宇宙の
摂理と調和した生活を営んでさえいれば、必要な援助は必ず助かります。
これは決して忘れてはならない大切な真理です。

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