スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

寝盗られ願望&第一部定理一七系一

2016-12-24 19:13:45 | 歌・小説
 コキュというのは一般的には寝盗られる亭主ということを意味します。したがってこれは夫婦関係において妻に浮気をされる夫を意味することになります。もっとも,ここでいう夫婦関係というのは必ずしも法律上の婚姻関係を意味する必要はないかもしれません。一定程度以上の恋人に浮気をされる男というのも,コキュに含めていいだろうと思います。
                                     
 亀山郁夫がコキュという場合には,さらに広い範囲を意味しているのは間違いありません。たとえば『貧しき人びと』のマカールはコキュであると亀山は認定しています。ですがマカールとワルワーラの関係は,夫婦ではないというだけでなく,コキュに該当するような恋愛関係にあるわけでもありません。さらにいうとワルワーラが最終的に選択した行動は,確かにマカールとの関係を断つというものであったとはいえますが,普通にいわれる意味において浮気をしたというのとはまったく違っています。なので亀山は,単に浮気をされるというだけでなく,恋愛感情を抱いていて,何らかの関係をもった女から見捨てられるとか,何らかの事情によって関係を断たれてしまうような男はすべからくコキュであるといっていることになります。
 コキュをこのように規定した場合には,僕にとってはコキュらしいコキュとコキュらしくないコキュとに分類されます。意識的にであれ無意識的にであれ,自らがコキュになることを肯定するような意志作用を精神のうちに抱いているのではないかと思えるのがコキュらしいコキュで,そうは思えないのがコキュらしくないコキュです。僕の読解だとマカールはコキュらしくないコキュなのです。ですが『白夜』の主人公はコキュらしいコキュ,少なくともコキュらしいコキュではないだろうかというように感じられるのです。
 そこでこれ以降は,僕にとってコキュらしいコキュが抱いているような意志作用を,寝盗られ願望という語で表現することにします。ドストエフスキーにせよ夏目漱石にせよ,僕にとって最大の面白さはその登場人物の心理描写にあります。ですからコキュであるか否かという状況描写よりも,寝盗られ願望があるかないかという心理描写の方に,僕の興味や関心は傾注してしまうからです。

 第一部定理一四により,神のほかにはいかなる実体も存在し得ません。したがって実体の創造と維持の難易度と,実体の変状affectioである様態modi,modusの創造と維持の難易度を比較するということは,スピノザの哲学では,神を創造しまた維持する難易度と,神から産出されるものを創造しまた維持する難易度を比較するということが,その実在的な意味になります。そしてスピノザの哲学では,原因とは一義的に起成原因causa efficiensを意味します。その原因によってのみ難易度は決定できるのですから,まず各々の起成原因を確認しておきます。
 神の起成原因が何であるかは,第一部定理一七系一で言及されています。
 「この帰結として第一に,神の本性の完全性以外には神を外部あるいは内部から駆って働かせるいかなる原因も存在しない,〈むしろ神は自己の完全性の力のみによって起成原因である,〉ということになる」。
 第一部定義一は,その本質が存在を含むものcujus essentia involvit existentiamのことを自己原因causam suiと定義しています、ですからこの系は神は自己原因であるといっているのと同じです。第一部定理七は実体の本性には存在することが属するということを示していて,これは実体は自己原因であるという意味です。したがって神が自己原因であるということはその定理からも明白だといわなければならないでしょう。ただ,第一部定理七に依拠するのはどちらかといえば形式的なあるいは名目的な論証になるのに対して,第一部定理一七に訴求するならそれがより実在的になるという相違があるだけです。なお,僕が自己原因を起成原因のひとつに含めている点に注意してください。
 一方,第一部定理一五は,神なしには何ものもあり得ないnihil sine Deo esseということを示しています。したがって様態は神なしには存在し得ないことになります。そして第一部定理二五が示しているのは,神は単に様態の存在の起成原因であるだけでなく,様態の本性の起成原因でもあるnon tantum est causa efficiens rerum existentiae, sed etiam essentiaeということです。さらに第一部定理二六は,様態が作用する原因も神であることを示します。要するに様態に関連するあらゆる事柄の起成原因は神であるということになります。他面からいえば,様態の起成原因は様態の外部にあるということです。
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