スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典報知新聞社杯エーデルワイス賞&和解案

2016-10-14 19:29:47 | 地方競馬
 昨晩の第19回エーデルワイス賞
 最初は4頭ほどの併走でしたがそこから単独で抜け出したアップトゥユーの逃げに。チェリースプリング,ハタノオヌール,ポリカの3頭が並んで追走。これらの後ろにピンクドッグウッドでさらにリエノテソーロが追う隊列。最初の600mは34秒9のハイペース。
 3コーナーを回るとハタノオヌールが単独の2番手に。そしてこれを追ってきたのがピンクドッグウッドとリエノテソーロ。とくに手応えがよかったリエノテソーロは直線で一番から前をいく馬たちを一気に交わすとそのまま楽に抜け出して圧勝。逃げ粘ったアップトゥユーが5馬身差で2着。直線でやや伸び脚を欠いたピンクドッグウッドはアタマ差まで迫るも3着。
 優勝したリエノテソーロは8月最終週の新馬を勝つと連闘で挑んだオープンも連勝。今年は北海道勢に抜けた馬が不在でしたので,能力はトップだろうと思われました。問題はその2戦が芝のレースであったことで,ダートがこなせるのかということ。結果的に適性は問題なかったようです。枠が外目になったのもよかったのではないでしょうか。距離が伸びていいタイプのようには思いませんし,砂を被って強いレースが可能なのかもまだ未知です。
                                     
 騎乗した吉田隼人騎手はエーデルワイス賞初勝利。管理している武井亮調教師は開業から2年7か月で重賞初勝利。

 ベールは『批判的歴史辞典』を執筆するにあたり,『三人の欺瞞者論』を参考文献のひとつにしたと記しています。『三人の欺瞞者論』は1680年にクリスティアン・コルトホルトが書いたものです。そしてその息子であるセバスティアン・コルトホルトが加筆した再販が1700年に出版されました。『スピノザの生涯と精神』に一部が訳出されているのはこの再販の方で,ベールが参照したのもこちらです。『批判的歴史辞典』のスピノザの項は第三巻で,これは1702年に出版されているので辻褄が合います。セバスティアンはスピノザの項目を加筆するにあたって,スピノザが死んだときに寄宿していた家主のスぺイクに取材しています。その取材は1699年に行われました。
 コレルスJohannes Colerusがスピノザの伝記を書いた動機として,コレルス自身がスピノザが住んでいた家に間借りするようになったことがあります。これは1705年に出版されたものなので,コレルスがセバスティアンによる再販やベールの著作を参考にしなかったとはいいきれません。ですが,それらには含まれていない具体的な金額が含まれている以上,こちらもコレルス独自の取材によるものだと考えていいでしょう。したがってベールとコルトホルト,そしてコレルスの取材源はいずれもスぺイクであって,スぺイクは生前のスピノザから聞いていた話として,それらを取材者に話したのだと思われます。
 僕はスぺイクが取材者に対して,スピノザに関して真実だけを語ったというようには考えていません。ですがこれらの話は,具体的な金額はともかくとしても,破門の1か月後にフラーフがファン・ローンJoanis van Loonに話した内容と一致しています。したがってシナゴーグの側からスピノザに対して年金を贈るという申し出があったことは史実と思います。
 シナゴーグの指導者たちからみて,おそらくシナゴーグとスピノザとの間には大きな亀裂が発生していたのでしょう。だとすればスピノザを追い出すすなわち破門するか,そうでなければ和解するかのどちらかでなければなりませんでした。そしてまずは年金という形での和解案が提示されたとみるのが妥当であろうと僕は考えています。
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