スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第四部定理五六系&証言者

2017-02-13 19:21:54 | 哲学
 高慢superbiaおよび自卑abjectioという感情affectusが人間の無能力impotentia,potentiaと正反対の意味で無能力であることを示した第四部定理五六には,ひとつの帰結事項が付されています。それが第四部定理五六系です。
                                     
 「これからきわめて明瞭に帰結されるのは,高慢な人間および自卑的な人間はもろもろの感情に最も多く従属するということである」。
 感情に従属するというのは,受動感情に従属するという意味です。つまり第三部定理五九に示されている能動的な感情はここでは無関係です。要するにこの系Corollariumの意味は,高慢な人間と自卑的な人間ほど働くagereことが少なく,働きを受けるpatiことが多い人間はないということです。
 第四部定義八にあるように,人間にとっての力とは,人間が十全な原因causa adaequataとなること,すなわち能動的に働くことです。高慢な人間と自卑的な人間はこれと真逆の意味で無能なのですから,それだけ働きを受けることが多いというのは自明の理でしょう。したがって第三部諸感情の定義一に示される人間の本性humana naturaが,こうした人の現実的本性actualis essentiaをより多く構成することになります。
 なおまたこの系は,第四部定理五五から帰結させることも可能であると僕は考えます。なぜなら,自分自身について無知である人は,自分自身について理性的に概念するconcipereことができない人であることを意味します。しかるに理性ratioは精神の能動actio Mentisですから,こうした人は精神の能動を発揮することはできず,もっぱら精神の受動に隷属することになるであろうからです。
 そしてこの系は,スピノザが『国家論Tractatus Politicus』で展開した,女は男と同等の権利jusを政治に参加する場面で有するべきではないという見解と反する哲学的見解です。というのもスピノザはその理由を,女は理性的であることができないということに求めていたからです。しかし『エチカ』が示しているのは,最も理性的であることができないのは高慢な人間と自卑的な人間であるということなのです。高慢であったり自卑的であったりすることに男も女も関係ありません。むしろそういう人間こそ政治に参加する権利を有さないのだと主張した方が,たとえ暴論ではあったとしても,哲学と政治論の間の均一性は保たれたでしょう。

 『スピノザの生涯と精神』に訳出されている,フロイデンタールJacob Freudenthalが収集した資料のうちには,ふたつの伝記のほかに,クリスティアン・コルトホルトが1680年に出版した『三人の欺瞞者論De Tribus Impostoribus Magnis』に,息子のセバスティアン・コルトホルトが序文を付して1700年に再販されたその序文と,ピエール・ベールが1695年から1697年にかけて出版し,1702年に改訂版の第三巻として出版した『批判的歴史辞典』のスピノザの項があります。このうち,ベールの著述の中には,セバスティアン・コルトホルトによる序文からの引用があり,セバスティアンは可能な限りスピノザの生涯を調査するためドイツからオランダまで出掛けたという主旨の記述があります。セバスティアンは序文を書くにあたり,逆にベールの改訂前のものと,遺稿集Opera Posthumaに付されたイエレスJarig Jellesによる序文も参考にしたようですが,オランダに行った際にはファン・デル・スぺイクに会って取材しています。スぺイクの名前はイニシャル化されていますが序文の中に出ています。
 したがって,これら四種類の資料のうち,コレルスJohannes Colerusの伝記とセバスティアンの序文とベールの改訂版は,直接的にであれ間接的にであれ,スぺイクの証言が基になっていることになります。これに対して,リュカスJean Maximilien Lucasは伝記を記述するにあたってスぺイクに取材する必要はなかったので,スぺイクの証言が基になって書かれたという部分はないと考えることができます。
 フロイデンタールが,場合によっては親スピノザの立場から書かれたリュカスの伝記の方が,思想的には反スピノザの立場から書かれたコレルスの伝記より信用に値すると判断している理由は,その部分にあります。有体にいえば,フロイデンタールは証言者としてのスぺイクは,あまりあてにならないと考えているのです。そして確かに,スぺイクはあたかも自分の面前でスピノザがシモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesからの資金提供の申し出を断ったかのようにコレルスに話したのだと想定することが可能なので,フロイデンタールのいうことに一理あるとしなければならないでしょう。よってフロイデンタールは,セバスティアンやベールの記述の信憑性も疑っています。
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