スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

日刊スポーツ賞黒潮盃&神への知的愛

2017-08-11 20:45:27 | 地方競馬
 名古屋から1頭が遠征してきた第51回黒潮盃。石崎駿騎手が急性腸炎のためオリジナルポイントは酒井忍騎手に変更。
 シェアハッピー,ビエンコビアンコ,オリジナルポイント,キャンドルグラスの4頭が飛び出していきました。コーナーワークでシェアハッピーの逃げになり,半馬身ほどの差でオリジナルポイントが2番手。内を回ったブラウンレガートとキャンドルグラスが並んで3番手。5番手にビエンコビアンコとなり,この後ろはクラトリガー,マルヒロナッツオー,クラキングスの3頭。以下はドリームズライン,サイバーエレキング,カンムルの順で続き,その後ろにミサイルマンとソッサスブレイ。残りの3頭はここまでの集団から離されてぽつんぽつんと追走。最初の800mは50秒1のミドルペース。
 3コーナーを回るとシェアハッピー,キャンドルグラス,クラキングスの3頭が雁行に。ここでも内を回っていたブラウンレガートは,直線の入口でシェアハッピーとキャンドルグラスの間に進路を選択し,ほどなく先頭に立つとあとは後続の追撃を許さず優勝。3頭の競り合いからクラキングスが抜け出ましたが,その外から伸びたカンムルの脚色が優勢で,4馬身差の2着。遅れて外から伸びたソッサスブレイと内を突いたクラトリガーもクラキングスに迫り,この3頭は接戦になるも2馬身半差の3着は外のソッサスブレイ。真中のクラキングスがクビ差の4着で内のクラトリガーがハナ差で5着。
 優勝したブラウンレガートは南関東重賞初勝利。このレースは上昇馬の参戦がなかったので,クラシックで好走した馬たちの上位争いになるだろうと思われました。その中で最も良績を収めていたのがこの馬。強い相手に好走していた馬は,それらが抜けた場合にはそのときほど走れないというケースも競馬ではままあるのですが,実績通りの快勝となりましたから,現南関東3歳馬の中で2番手グループのトップの座は確保したとみていいでしょう。それ以上が望めるかは今後の成長次第だろうと思います。父はディープスカイ
 騎乗した大井の的場文男騎手はサンタアニタトロフィーに続いてのの南関東重賞制覇。黒潮盃は第19回,20回,27回,30回,34回,38回,39回を勝っていて12年ぶりの8勝目。管理している大井の阪本一栄調教師は第38回以来13年ぶりの黒潮盃2勝目。南関東重賞は7勝目。

 絶対に無限absolute infinitumである神Deusを愛することと,様態的変状modificatioに様態化した神,より厳密にいうなら,現実的に存在するある人間という様態的変状に様態化した神を愛することの,どちらが倫理的により有用であるかといえば,他面からいえばどちらが人間の生活に大きな平和を齎すかといえば,後者であるということに,とくに説明の必要はないと思います。現実的に存在する人間に対して神は,絶対に無限な実体としてというより,自然法則lex naturalisすなわち必然性necessitasとして顕現するので,そういう法則を愛することも人間の生活に平和を齎すことは疑い得ないのですが,現実的に存在する人間を愛するということ,いい換えれば現実的に存在する人間同士が愛し合うということの方が,有益性では大きいということは明白だといわざるを得ません。したがって,神を愛するということで,実際には各々の事物を愛するということが意味されているという飛躍が形而上学的にはあるのだとしても,倫理的にはこの飛躍には意味もあるだろうと僕は思うのです。
                                 
 もちろんスピノザが,このような倫理的観点を念頭に置いて第五部定理一五を示しているのだということはできません。ただ,スピノザが神への知的愛Amor Dei intelletualisということを述べる文脈においては,ただ単に絶対に無限である実体substantiaとしての神を知的に愛するということだけが意味されているのではなくて,様態的変状に様態化した神を知的に愛するということも同時に含まれているのだと僕は考えます。つまり,神への知的愛というのは,単に神に対する愛ということだけを意味するのではありません。それと同時に,現実的に存在するほかの人間に対する愛という意味での人間愛ないしは人類愛や,現実的に存在する個物res singularisすべてに対する愛という意味での万物愛というべき愛も含まれているのだと僕は考えているのです。
 ただし,ここで注意しなければならないのは,こうしたことが現実的に存在する人間にとって完全な意味において可能であるということはあり得ないということです。第四部定理四が示すように,現実的に存在する人間が一切の受動passioから免れるということは不可能だからです。人間が常に知的であることは,残念ながらないのです。
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