スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&第二部定理三四

2017-07-06 19:48:48 | 将棋
 湯の山温泉で指された第58期王位戦七番勝負第一局。対戦成績は羽生善治王位が1勝,菅井竜也七段が1勝。
 振駒で羽生王位の先手。先手の指し方に対応する形で後手の角交換三間飛車から向飛車。交換した角を互いに打ち合い,小競り合いはあったものの相穴熊という将棋に。双方が穴熊の金銀を前に繰り出して,穴熊なのに玉頭戦のような珍しい将棋となりました。長いこといい勝負で進み,最後の方は大差になっていたかと思うのですが,どこでその差がついたのかは僕にはよく分かりませんでした。なのでその一因かもしれないところを。
                                     
 先手が☗6五歩と打ち,6四にいた飛車が寄った局面。ここで先手は☗4六銀とぶつけていきました。これは遊んでいる駒を働かせようという意図だったと思います。後手の金も働いているとはいえないので交換するのは悪くない条件ですが,後手から取ると☗同角で先手から取れば☖同桂ですから,後手とすれば取ってもらった方がなお条件がよく,ほかに手段があればそちらを指したいところだと思います。
 ☖8七歩成☗同歩☖8六歩と継ぎ歩をしました。先手は自ら交換を望んだので☗4五銀もあったのではないかと思いますが☗7一銀。後手は☖9三銀と受けました。ここでも先手は金を取らすに☗8六歩と手を戻したので後手は狙いの☖8七歩。今度は☗8二銀不成☖同銀としてから☗8七金と払いました。先手の手順だけみると攻めたり受けたりで,かなり悩んでいる感じも受けます。
 手番の後手は☖6七銀。先手は☗8八金打☖7六銀成☗同金と進めました。ここで後手は☖5六金と交換を避けました。
 先手が銀を使うなら☗5五銀で,この手もあったのではないかと思います。しかし☗6七金と受けました。後手は☗5五銀を避けて☖7三角。この手順が通ったのが後手にとって大きかったのかもしれません。先手は☗8七金寄としましたが☖6七金で後手はこの金を使う目途が立ちました。
                                     
 だから第2図では後手の方がよいのかというと僕にはそうであるとも思えません。ただ第2図以降の攻め合いは後手の方に分があったように思えます。
 菅井七段が先勝。第二局は25日と26日です。

 それでは『スピノザ哲学論攷』の中で実際に議論されている事柄について,僕が重要だと思えることを綴っていくことにします。
 第一章の第三節の中で,第二部定理三四に関する言及があります。まずこの定理Propositioをみておきましょう。
 「我々の中において絶対的なあるいは妥当で完全な観念はすべて真である」。
 河井の論述は,実際にこの定理が何を意味しているのか,あるいは意味することができるのかということと関係しています。ただ,最初にそれを扱うと厄介なことになるので,ここではごく単純に,もし現実的に存在するある人間の精神mens humanaのうちに十全な観念idea adaequataがあるのであれば,それは真の観念idea veraでもあるということを意味しているとしておきます。実際に定理の文章からこのような意味を汲み取ることは合理的であるといえると思うからです。
 もしも一般的に十全な観念なるものが真の観念と等置することができるのであれば,この意味においてこの定理を証明することはそう難しくないと思えます。なぜなら十全な観念と真の観念の相違というのは,もし観念自体を形相的にformaliter把握した場合には,単に観点の相違に帰するということをいうだけで十分であるからです。したがって第二部定義四を参照するだけでもこの定理は証明され得るでしょう。
 ですが実際のスピノザの証明Demonstratioはこれとは異なっています。スピノザはまず,我々の中に妥当で完全な観念があるということを,我々の精神の本性を構成する限りで神のうちに妥当で完全な観念があるということと置き換えます。この置き換え自体には異論はあり得ない筈で,河井もこの置き換えが不可能であるとは一言もいっていません。
 次にスピノザは,第二部定理三二の参照を促します。すなわちすべての観念は神に関係する限りで真omnes ideae, quatenus ad Deum referuntur, veraeであるという定理です。したがって,我々の精神の本性を構成する限りで神のうちに妥当で完全な観念があるならば,その観念は真であるとスピノザは結論しています。
 ところが河井にいわせれば,このような証明方法にはある飛躍が含まれているのです。それは,第二部定理三二でいわれる神と第二部定理三四証明でいわれている神との間にある飛躍です。
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