スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典全日本2歳優駿&第四部定理三六

2017-12-13 20:45:58 | 地方競馬
 第68回全日本2歳優駿。北海道のダモンデが左の前脚を跛行したため競走除外で13頭。
 外の方から押していったサザンヴィグラスがハナへ。逃げて3連勝だったハヤブサマカオーは2番手に控えました。向正面に入るとこの後ろに2馬身ほどの差がつき,3番手にはダークリパルサー。4番手にソイカウボーイ。5番手はハセノパイロ,ハッピーグリン,ビッグスモーキーの3頭。8番手にドンフォルティス。その後ろにリコーワルサーと発馬があまりよくなかったルヴァンスレーヴ。あとの3頭は引き離されました。前半の800mは50秒3のミドルペース。
 3コーナーを回ってマークしていたハヤブサマカオーをサザンヴィグラスがやや引き離すような形で直線に。コーナーで外を捲り上げていたルヴァンスレーヴがその勢いのまま外から内の各馬をすべて差して先頭に。先に動かれ,その後を追う形になったドンフォルティスもよい脚で追い込み,フィニッシュにかけては差を詰めていきましたが届かず,優勝はルヴァンスレーヴ。ドンフォルティスが1馬身差で2着。最内を回り最後に逃げたサザンヴィグラスの外に持ち出す形となったハセノパイロが3馬身差で3着。内を掬われるような形となったダークリパルサーがクビ差の4着。
 優勝したルヴァンスレーヴは8月の新馬戦を7馬身差で圧勝。10月の500万に出走して2馬身半差のレコードで優勝。重賞の勝ち馬もいましたが,能力はむしろこちらが上と考えることができました。川崎コースに対応できるかが最大の課題ではありましたが問題なくクリア。今年はダート路線で能力上位と目される馬がすべて揃ってのレースでしたので,2歳最強とみてよいだろうと思います。圧勝だった新馬戦のときも発馬は悪く,それが今後の課題でしょう。父はシンボリクリスエス。母の父はネオユニヴァースファンシミンファンシーダイナの分枝で4代母は1986年に京成杯と牝馬東京タイムス杯,1987年にエプソムカップと新潟記念とオールカマーを勝ったダイナフェアリー。Le Vent Se Leveはフランス語で風立ちぬ。
                                     
 騎乗したミルコ・デムーロ騎手はマイルチャンピオンシップ以来の大レース制覇。全日本2歳優駿は初勝利。管理している萩原清調教師は2011年の全日本2歳優駿以来の大レース3勝目。6年ぶりの全日本2歳優駿2勝目。

 善bonumの肯定affirmatioおよび悪malumの否定negatioは,人間の現実的本性actualis essentiaであっても,何が善でありまた悪であるかについては,まったく普遍性を有しているわけではありません。各々の人間は,そのときそのときに応じてあるものを肯定ないしは否定するnegareというだけです。一方,第一部定理一六に依拠することによって,自然Naturaの多様性を肯定することは,万人の間で一致します。なぜならこの認識cognitioは理性ratioによる認識であり,第四部定理三五により,人間は理性に従っている限りでは本性naturaが一致するからです。他面からいえば,人間は理性に従っている限りでは,自然の多様性を肯定します。よってその多様性を肯定しないのは,その人間が理性に従っていない,つまり受動状態にあることの証明のようなものなのです。
 さらに善についていうなら,次の第四部定理三六で次のようにいわれています。
 「徳に従う人々の最高の善はすべての人に共通であって,すべての人が等しくこれを楽しむことができる」。
 第四部定義八により,スピノザがいう人間にとっての徳virtutemは,その人間が十全な原因causa adaequataとなることをなす力potentiamを有する限りにおいてのその人間の本性hominis essentia, seu naturaです。Xが十全な原因となってAが生起するというとき,第三部定義二によりAに対してXの能動actioといわれるのです。したがってこの定義Definitioは,人間が能動的である限りにおいてその人間の本性を人間にとっての徳であるといっているのと同じです。しかるに理性は精神の能動actio Mentisですから,理性に従うということと徳に従うということの間に相違があるとすれば,徳に従うということは理性に従うということより広きにわたり得るということであり,理性に従うということが徳に従うということの一部であることは間違いありません。よって,人間は理性に従う限りでは,単にその本性が一致するというだけでなく,何が善であるのかということも共通するのです。いい換えれば何を肯定するaffirmareのかということも一致するのです。
 これらのことから分かるように,人間にとって真の肯定とは理性的な認識による肯定であり,受動的な肯定はその場限りでの肯定にすぎず,後には否定されるかもしれない肯定という意味では,真の肯定とはいえないのです。

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