スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

チャボの暴挙&職員の不足

2017-01-06 19:05:36 | NOAH
 僕にとって全日本プロレス時代の大仁田厚は,チャボ・ゲレロにトロフィーでめった打ちにされたレスラーという印象が最も強く残っています。そしてこの一件は今でも結構な謎です。
 プロレスではライバル関係を構築するために試合後に乱闘するということはあります。ですがあの一件はその種の乱闘にしてはやり過ぎのような気がします。大仁田は負傷して欠場することになったのですから,これでは何らかの意味をつける乱闘とはいえません。何らかの事情で大仁田が欠場しなければならなかったので,チャボがわざと負傷させたということは考えられなくないのですが,当時の大仁田にそういう事情があったとも思えないのです。
 だとするとあの行為は,チャボが私的な怒りを爆発させた行為であったように思えます。大仁田の何がチャボを怒らせたかはまた分からないのですが,行為だけの説明なら,こちらの方が僕にはしっくりきます。
 しかし試合後とはいえリング上で私憤を爆発させるというのは,プロとしてはあるまじき行為といえるでしょう。そんなことをすればプロモーターの怒りを買うのが必然で,それ以後はそこで仕事ができなくなるおそれがあります。ところがプロモーターである馬場は,その後もチャボを呼び,大仁田と戦わせているのです。なので単にチャボが私的な怒りを爆発させただけだとも思えないのです。
 馬場がその後もチャボを来日させたという点からみるなら,あれは馬場も合意済みの暴挙であったか,そうでなければチャボが私的な怒りを爆発させたことに合理的な理由があると馬場がみなしたので,プロとしてあるまじきと思えるような暴挙を犯したことについて馬場はチャボを許したかの,どちらかであったのではないかと僕は推測します。ただ,やはりどちらも非合理的な要素を有しています。前者であれば,なぜあのような暴挙を犯すことについて馬場が肯定したのかが謎です。後者であるなら,あれほどの暴挙を犯しても馬場が理由あることと判断するような怒りを,大仁田の何がチャボに対して与えたのかが謎だからです。

 5月21日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後2時から。実はこの日は土曜出勤だったのですが,一種のダブルブッキングになってしまい,作業所の方を休みました。これは異例のことですが,4月の末から5月の初めにかけて月をまたいで渡米していた影響です。作業所の翌月の日程は,前月末に知らされます。なので5月の土曜出勤がいつであるのかということについては,11日に帰国するまで母は把握できていませんでした。一方,ピアノの方は渡米前の段階で,この日にレッスンを行うということが確定していたのです。つまり先約の方を優先した結果,異例の対応ということになりました。
 5月22日,日曜日。母と妹が県民ホールに出掛けました。これはピアノの先生も出演するコンサートがあったためです。前にいったことがあったかもしれませんが,現在の妹のピアノの先生というのは,ピアノ講師自体は副業です。本業は楽器ではなくて歌唱。つまり先生が出演するというのは,演奏するということではなくて歌うということです。正午から午後2時半までという予定になっていました。帰宅したのは午後4時15分すぎ。予定通りに終了してすぐに帰ればこんなに時間が掛かる筈もないので,時間が延長したか,あるいは終了後に先生に会っていたものと思います。
 5月23日,月曜日。妹のショートステイ。これは磯子区の施設を利用しての1泊。ただ,この日は母が送って行きました。ショートステイがある日は荷物が多くなる関係で朝の迎えを依頼していたのですが,このサービスが中止になったからです。年度が替わって4月になってから,施設は職員の不足が深刻化していました。このために送迎というサービスは,緊急のときに,5キロ圏内に限って実施されるということになったのです。作業所ないしは施設と僕の家との距離は5キロも離れてはいませんが,荷物が多いというのは緊急事態ではないため,迎えを要請することはできなくなったのです。僕はこの日は白楽に行ってましたが,午後4時半には帰宅しています。
 5月24日,火曜日。妹が帰る日。前述の事情によりこのときも母が迎えにいきました。

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