スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋聖戦&第二部定理三四の飛躍

2017-07-11 19:51:56 | 将棋
 岩室温泉で指された第88期棋聖戦五番勝負第四局。
 羽生善治棋聖の先手で斎藤慎太郎七段の横歩取り。後手が先に駒得する展開になりました。
                                     
 後手が駒得した香車を打った局面。馬もできているのですが,どうもこの局面ではすでに先手が優勢になっていたものと思われます。
 ここから☗3四歩☖同銀☗3八歩と受けるのでは先手が大変なのではないかと思えたのですが,これがいい判断だったことが後に分かります。
 ☖2九飛と打ったのに対して☗1一飛成で駒損を回復。後手は☖3一歩と底歩で受けましたが☗2三歩が軽妙手。成られてはいけないので☖同銀は仕方がありませんが☗3五香が厳しい追撃。
 後手は3三の地点を受けなければいけないのですが駒がないので☖3七香成☗同歩として☖4四桂と打ちました。先手は☗3三香成☖同金としてから☗7九王と引きましたが,これが実質的な決め手だったかもしれません。
 ☖5六桂は3三の金がただ。☖3七馬も☗3九歩と受けられれば☖4八馬を☗同角と取られてしまうので後手は有効な攻めがありません。なので☖3二金と引きましたが3七の地点での交換で入手できた香車を使った☗3五香が炸裂しました。
                                     
 第2図以下も後手はよく粘ったのですが,ちょっと勝ち味の薄い将棋になってしまいました。
                                       
 3勝1敗で羽生棋聖が防衛。第62期,63期,64期,65期,66期,71期,79期,80期,81期,82期,83期,84期,85期,86期,87期に続く十連覇で通算16期目の棋聖です。

 第二部定理三四を論証するときに第二部定理三二を援用することは,第二部定理三二証明の検証からみて,ある飛躍が含まれているということについて,僕は河井に同意します。ただ,僕はここでの飛躍は問題視しません。また,なぜこのような飛躍が成立するのか,他面からいえばこうした飛躍を含む証明にスピノザがなぜ矛盾を感じないのかということについても深く検討しません。
 このうち,ここでの飛躍を問題視しないということにははっきりとした理由があります。ここではスピノザは,絶対に無限absolute infinitumである神Deusについての言及を利用することによって,様態的変状modificatioに様態化した神について説明しています。しかし第一部定理一四系二にあるように,自然のうちに存在するものは神あるいは神の属性attributumであるか,さもなければ様態modiです。そして様態は様態的変状に様態化した神にほかならないのですから,もしある観念ideaについてそれが神と関係づけられる限りで真verumであるなら,それは絶対に無限な神に関係づけられようと様態的変状に様態化した神に関係づけられようと同じことでなければならないと考えるからです。要するに第二部定理三二は,明らかに絶対に無限な神について言及しているとしか考えられないのですが,様態的変状に様態化した神についてもこれと同じことがいえるのでなければ,この定理自体が成立しないと考えるからです。もしそれが成立しないのなら,自然のうちには様態的変状に様態化した神ではないような様態が実在すると主張しなければならないと僕は考えますが,第一部定理一四系二はそれを否定しているというように解するのです。
 ですが,これと関係性は同じでも,比喩的にいうなら方向性が異なっていると思えるような飛躍も『エチカ』にはあると思えるのです。たとえば,自然のうちに存在する個物res singularisは様態的変状に様態化した神であるとしたなら,個物を十全に認識するということは神を十全に認識するということと同じです。だから第五部定理二四は成立しているといえるでしょう。同様に,このゆえに自己というのは,スピノザの哲学においては,十全に認識されるならそれは自己認識ではなく神の認識だと僕は考えるのです。
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