スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典かしわ記念&自動機械

2016-05-06 19:06:20 | 地方競馬
 昨日の第28回かしわ記念
 ソルテが先手を奪いました。2番手はコパノリッキーとベストウォーリアの併走。その後ろがハッピースプリントとタイムズアローの併走。直後のモーニンまで,発走後の正面では一団。向正面に入るとコパノリッキーが単独の2番手に。少し差が開いてベストウォーリア。また差が開いて外にタイムズアロー,内にハッピースプリントという隊列に。前半の800mは49秒5のミドルペース。
 3コーナーを回るとソルテの半馬身ほど外にコパノリッキーが並んでいきました。3番手もまだ単独でベストウォーリア。これらの後ろにハッピースプリント,サウンドトゥルー,ノンコノユメなど。コーナーの時点でソルテは手が動いていましたがコパノリッキーは持ったまま。直線に入るとコパノリッキーがソルテを交わして抜け出し楽勝。外を回った追い込み馬は届かず,逃げたソルテが3馬身差で2着。3番手を追走のベストウォーリアが1馬身半差で3着。
                              
 優勝したコパノリッキーは昨年のJBCクラシック以来の勝利で大レース6勝目。第26回以来2年ぶりのかしわ記念2勝目。このレースは何らかの理由でモーニンが力を出し切れず,差し脚勝負の馬もペースのわりに控えすぎました。こうなれば能力上位の1頭で,前でレースができるこの馬の出番。競られたときに弱さを見せる面が顕著になりつつありますが,今日のような展開になれば力を出します。したがって今後も展開面が好走できるか否かの最大の鍵になるでしょう。父はゴールドアリュール。祖母の従弟に2002年の大阪杯,2005年の大阪杯と毎日王冠を勝ったサンライズペガサス
                                     
 騎乗した武豊騎手は日曜の天皇賞に続いての大レース制覇。第9回以来19年ぶりのかしわ記念2勝目。管理している村山明調教師は2年ぶりのかしわ記念2勝目。

 観念は無言ではないということは,スピノザの哲学において思惟の主体が存在しない,とりわけ精神は自動機械であるという考え方と強力に結びついているといえます。観念は現実的に存在するなら必然的に何らかの結果を発生させます。これが第一部定理三六からも第一部定理二五系からも明白だと僕は考えるのです。ところで第二部定理一一により,現実的に存在する人間の精神の有は,いくつかの個物の観念によって構成されています。そしてそれらの個物の観念のいずれもが,必然的に原因として何らかの結果を発生させます。そのとき,その結果となるものは第二部定理五から神の思惟の属性の様態でなければなりません。そして第二部公理三により,観念が思惟の様態の第一のものですから,個物の観念から発生する結果はやはり観念です。とくに第二部定理九により,現実的に存在する個物の観念であるということになるでしょう。
 このような思惟作用は,現実的に存在する人間の精神のうちで,必然的に生じなければならないのです。いい換えればそれはその人間の精神の決意とは無関係に生じるし,必然性から外れるなら精神の決意とは無関係に発生することが不可能なのです。要するに精神は主体的に何らかの思惟作用をなし得るというわけではありません。このことはその精神が十全な原因であろうと部分的原因であろうと,いい換えればそれがその精神の能動であろうと受動であろうと同じことです。つまり観念は無言ではないということは,観念は存在するなら必然的にある思惟作用,とくに別の観念を発生させるという意味での認識作用をなすという意味であり,それは個物の観念の集積としてのひとつの個物とみなされる精神は自動的に事物を認識するということに直結するのです。
 『スピノザの方法』では,観念は無言ではないというのは,単に観念が必然的に結果を発生させるという意味だけを有するのでなく,ほかの観念によって発生させられるという点での自動性を有するという意味も含まれているとされています。これは確かにそうだと思います。いい換えればそこには主体の排除ということ以上の意味が含まれているといえるでしょう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする