スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

冗長の理由&相模鉄道

2011-03-20 18:38:45 | 歌・小説
 ドストエフスキーの小説が濃密な理由のひとつとして,登場人物の会話の分量が多いということがあげられるわけですが,それでは人間というのが冗長とも思えるくらいに多くのことを語るその理由としては,どのようなことが考えられるでしょうか。
 世の中には確かにお喋りな人間,また,喋ることが好きな人間というのがいます。しかしそういった人間の話というのは,よく喋るなあと感じることはあっても,冗長であるとはあまり感じないのではないでしょうか。一般的にお喋りな人間というのは,次から次へと主題を変化させながら喋るものですが,僕たちはむしろ,同じテーマについて,あちらこちらの様ざまな角度で語るとき,その語り部について冗長であると感じるものだからです。
 もちろんそのような仕方で,他者に冗長であると感じさせるような語りを人がするとき,その人間がそのように語ることの理由をひとつに限定して考えるということはできません。しかしその大きな理由のひとつとして,人間は自分について,ないしは自分が語っていることについて,それを正しく理解してほしいと強く思うとき,冗長になるのだと僕は考えています。したがって,もしも簡潔なことばで自分の気持ちを伝えることができるならば,この場合には人は冗長にはならないでしょう。つまり,自分が発していることばが正しく自分の気持ちを表現しているということについて,あるいはそれが正しく聞き手に対して伝わっているのかということについて,確信が持てないときほど,人間は冗長になるものだということが,少なくとも一面の真理としていえるのではないだろうかと僕は考えているのです。
 ドストエフスキーの小説でいえば,『カラマーゾフの兄弟』のフョードルのお喋りについては上述のことは必ずしも当てはまっていないかもしれません。しかしたとえば『罪と罰』でラスコーリニコフが長い話をするとき,確かに彼は必死になって自分の気持ち,ないしは思想というものを相手に伝えようと躍起になっているように僕には感じられます。また,もっと典型的なことをいえば,『地下室の手記』の作中の著者が,あれほどの長い手記を書かざるを得なかったのは,やはり同様の思いと,自らが発していることばに対するある種の不信とが,同時に存在していたからではないかと思います。
                         

 この3月10日の夜に,1月に帰国したロスアンゼルスの伯母が来日しました。いつもと同じ飛行機だったと思うのですが,この日は早く飛んだようで,通常よりも1時間ほど早くこちらに到着しました。これがこの日の夜。そして一夜が明け,長く語り継がれるであろう3月11日を迎えたのです。
 この日,僕は旭区の鶴ヶ峰というところにいました。普段の仕事よりも早く着手しましたし,初体験の事柄もあったのでやや心配していたのですが,それもかなりスムーズに消化。このために事前に予測していたよりもずっと早く終了させることができました。もうひとつ,これとは別に,妹の関係でやっておかなければならない買い物が残ってはいましたが,これは帰路の途中でもできる事柄。これ以外には一切の用事がなかったので,まだ午後2時半頃と早い時間ではありましたがそのまま家に戻ることにしたのです。
 鶴ヶ峰から帰る場合には,相模鉄道に乗って横浜まで戻り,そこで乗り換えるということになります。鶴ヶ峰駅のホームへと続くエスカレーターを下っていると,うまいこと快速電車が入線。僕はエスカレーターを駆け下りてその電車に飛び乗りました。10両編成の9両目。これは上り列車で,後ろから2両目ということになります。車内には10人ばかりで,僕は空いた所に腰掛けました。僕が乗ったこの快速は途中の星川駅で停車。ここを後にして天王町,西横浜,平沼橋と通過して,横浜駅寸前というところで停車しました。
 もう10年以上前になるでしょうか,僕は大和市内に勤務していた経験があります。そのときはこの相模鉄道を通勤電車として利用していました。以前に『罪と罰』のラスコーリニコフに対するソーニャのことばを紹介しましたが,あれを読んだのも相模鉄道の車内でした。
                         
 横浜は終点です。電車が入るためにはホームが空いていなければなりません。相模鉄道の場合,発車する方が遅れるのか到着する方が早すぎるのかは分かりませんが,この引き継ぎがあまりスムーズでなく,横浜駅の手前で徐行したり,ときとして赤信号で停止するケースがままあるということは,僕自身のその通勤の経験からよく分かっていました。だからこのときも瞬間はそれだろうと思ったのですが,すぐに違うことが分かりました。停車した電車が激しく揺れ始めたからです。
コメント
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