安里屋ゆんたの『マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ』を『また逢いましょう、美しき人よ』と解釈すると、その響きがエリカ・バドゥの"Next Lifetime(来世)"に登場するサビの歌詞「I'll see you in the next lifetime」にとても似て聞こえる。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年7月28日 - 00:19
クリス・マルケルと赤瀬川原平が出会ったら、きっと話が合ったはず。赤瀬川さんはそのレベルでの表現を想定していたために、美術界を半ば去らずを得なかった。本当に残念なこと。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年7月28日 - 00:32
中国の全土を東北から西南にかけて斜線で二分すると、その西北方、長安の方面は華系文化で政治的・理知的・形式的・装飾的、その東南方つまり楚辞のふるさとは夷系文化で、文化的・精神的素朴なシャマニズムが特徴だと金谷治は指摘する。私はこの指摘は不十分だと思うが、興味深い指摘ではある。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年7月28日 - 09:59
呉の国は春秋時代に登場しているけれど、秦以後、郡県制により揚州に設置された郡が呉(いわゆる蘇州)で、この国は天下の亡命者を招致して作った国だったと言う。紀元前2世紀に呉の国に亡命して来た人たちは、一体どこからやって来た人たちなのだろう?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年7月28日 - 09:59
淮南子の天地開闢の説話は日本書紀に引用されていることで有名だけれど、要は日本書紀自体が極めて雑多なのだ。 そして八紘一宇とは、極めて雑多な淮南子を、田中智学が日蓮宗を通じて日本的に解釈してイデオロギー化したものだったと理解できた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年7月28日 - 10:00
淮南の学者は、中央から離れた場所で、儒教と道教の融合を目指したのだろう。これは江戸期に国学を生み出した日本の学者たちの試みと、似ていると言えば似ている。そして魯迅の文学論などは、淮南の折衷と並行している様に感じた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年7月28日 - 10:01
韓非子などの法家思想は強い君主制をベースにしているけれど、逆に儒家の徳治主義は、家族と切り離されることで必然的に性悪論を前提とすることになった、帝国のベースとなる二重化された法治主義のある場所には、成立し難いのだろう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年7月28日 - 10:02
逆に、啓蒙と共和制を突き詰めて行って国民たちが主権者になった結果、その主権者である国民がナポレオンの様な皇帝を生んでしまったというのは、ある意味君主制の正当性を証明しているとも言えるのかもしれない。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年7月28日 - 10:03
宇宙の宇とは、四方上下のこと。宙とは、現在・過去・未来のこと。曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』の8つの玉は、八紘一宇という言葉の根源にある道教のコスモロジーを日本的に解釈したものだと言えるだろう(これが玉砕のルーツでもある)。さらにそれを再解釈したものが、ドラゴンボールだろう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年7月28日 - 10:08
道(タオ)とは自然と人事とをつらぬく深淵な形而上的道理だが、道だけでは世俗に交われない。事は形而下の具体的な事象事物だが、事だけでは自然の化と合一できない。道教とは、事と道という概念を用いて、老荘的な統一の場を打ち出そうとする試みと言える。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年7月28日 - 10:12
淮南子において、「道」と「事」とはすなわち形而上と形而下のこと。大和言葉の「ものごと」が「もの」と「こと」とに分かれて物を指す言葉が生まれる以前には、そこに形而上と形而下、すなわち梵我一如的な重なり合いがあったはず。これが道教の長であった天皇が司った「ま=真」だろう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年7月28日 - 10:13
中国道教は、この「もの」と「こと」、つまり形而上と形而下をサイバネティックスとして捉えることで、両者を交わらないものとして固定化することを拒んだ、ある種のゲシュタルト思考ではないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年7月28日 - 10:14
トリムルティ(三神一体)の背後にあるのは、過去・現在・未来という、今ここに存在する自らの身体の視点から捉えた世界の変化だろう。つまり移り変わる表象を形態化したものがブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァであり、それがインドのみならず印欧語族のケルトにも比較的良い形で保存されたのだろう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年7月28日 - 14:19
大阪に行くとそこに百済を感じ、福井に行くとそこに高句麗を感じる。そして福井から実家の静岡へと帰ってくると、そこに南方・ポリネシアの影響を感じる。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年7月28日 - 14:21
ワタリウムのナムジュン・パイク展。韓国出国時、パスポートナンバーは父が6番、パイクが7番だったと。彼が日本語を喋る映像は初めて見た。会場が狭いので回顧展は二期に分かれている。図録は10月下旬に出ると。これCD付きの吉増剛造展みたいにDVDとかつかないのだろうか。
— naokki (@miumisuzu) 2016年7月28日 - 00:24
ナムジュン・パイクのビデオアート作品は、80年代にもVHSで売られていたけど1本1万くらいしたらしい。といっても他のジャンルでもビデオソフトの標準価格はそれくらいだった。それでも映画ファンは映像を所有できる喜びがあったと。それ以前は映画を所有するなら16ミリフィルムを持つしかない
— naokki (@miumisuzu) 2016年7月28日 - 00:28
(さっきのつづき、)ワタリウム美術館に到着してまもなく、ナムジュンパイクの映像の中のジョン・ケージと対話(らしきもの)をはじめられた吉増さんが印象的でした。昨夜はB&Bの柴田聡子さんのライブ&トークを拝聴したのだけど、そこでもケージが出てきた。
— カニエ・ナハ (@naha_kanie) 2016年7月27日 - 21:37
ワタリウム美術館へ。Nam June Paik展と
— ニイデミノリ (@MINORI_NIIDE) 2016年7月27日 - 03:09
弓指寛治個展「Sur-Vive!」〜8/21
いいものを観た。実物大でぜひ。
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#ワタリウム美術館 #弓指寛治 #ONSUNDAYS pic.twitter.com/BV15nRXNzV
ジョン・ケージにはナバホの血が流れているけれど、ナムジュン・パイク展に展示中の映像作品『ジョン・ケージ賛歌』に登場するケージのお母さんの顔を見ていると、もうほとんどネイティブ・アメリカンの顔をしている。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年7月28日 - 15:53