Volcano Lovers展オープンの直後に見た、Whitney Museumにて開催中のRoni Horn個展「Roni Horn aka Roni Horn」が素晴らしく、久しぶりに展示を見て、心の底から感動した。Guggenheimにて同時期に展示されていたフェリックス・ゴンザレス・トレスとの交流をテーマとしたRoni Hornの作品も展示されていたのだが、こちらも非常に興味深かった。
私は今までも、何度かRoni Hornの作品を見たことがあったのだが、その際には彼女の作品を正確に理解することができなかった。しかし、今回彼女の作品をまとめて見る機会を得たことで、自分自身が「美術」という表現領域において、非常に近いテーマを扱っている作家に久しぶりに出会えた気がして、とても感動したのだった。
しかも、お互いアイスランドを、同時期にNYにて扱っている、とうのも、偶然としては出来過ぎていた。きっとRoniも、日本やアイスランドは、大陸型の近代思考を照射する場所としてはとても適した場所であることに気付いていて、それに気付いた人たちが、ニューヨークという場所で、あたかも交通事故の様に出会った、そんな所だろうか。こういった共時性の様なものは、私を常に解放してくれていたので、ずっと大切にして行きたい。
Roni Hornは、Emily Dickinsonの詩を多く引用しているのだが、ここでDickinsonの詩の2つを紹介しておこうと思う。(こちらのHPからの引用です)
Before I got my eye put out, 私の目が見えなくなってしまう前に
I liked as well to see 目を持っているほかの生き物と同じように
As other creatures that have eyes, 物をよく見ていたい
And know no other way. それ以外の方法は知らない
But were it told to me, to-day, でも、もし今日 私が
That I might have the sky お前に空をやろうと言われたら
For mine, I tell you that my heart このちいちゃな私では
Would split, for size of me. 私の心は裂けてしまうことでしょう
The meadows mine, the mountains mine, -- 牧場も私のもの、山も私のもの
All forests, stintless stars, すべての森も、無限の星も
As much of noon as I could take 限りある私の目の間で
Between my finite eyes. とらえうるだけの昼を
--
A word is dead 言葉が口から出たら
When it is said, もう死んでいると
Some say. ひとは言う
I say it just その日から
Begins to live 生きるのだと
That day. 私は思う
--
Roni Hornに関してまとめて英語文章を書いてみよう、と思ってからも、日々の仕事に追われてしまい、実現できていない。自分なりに考えた言葉を、必死で綴って行きたいと思う。
私は今までも、何度かRoni Hornの作品を見たことがあったのだが、その際には彼女の作品を正確に理解することができなかった。しかし、今回彼女の作品をまとめて見る機会を得たことで、自分自身が「美術」という表現領域において、非常に近いテーマを扱っている作家に久しぶりに出会えた気がして、とても感動したのだった。
しかも、お互いアイスランドを、同時期にNYにて扱っている、とうのも、偶然としては出来過ぎていた。きっとRoniも、日本やアイスランドは、大陸型の近代思考を照射する場所としてはとても適した場所であることに気付いていて、それに気付いた人たちが、ニューヨークという場所で、あたかも交通事故の様に出会った、そんな所だろうか。こういった共時性の様なものは、私を常に解放してくれていたので、ずっと大切にして行きたい。
Roni Hornは、Emily Dickinsonの詩を多く引用しているのだが、ここでDickinsonの詩の2つを紹介しておこうと思う。(こちらのHPからの引用です)
Before I got my eye put out, 私の目が見えなくなってしまう前に
I liked as well to see 目を持っているほかの生き物と同じように
As other creatures that have eyes, 物をよく見ていたい
And know no other way. それ以外の方法は知らない
But were it told to me, to-day, でも、もし今日 私が
That I might have the sky お前に空をやろうと言われたら
For mine, I tell you that my heart このちいちゃな私では
Would split, for size of me. 私の心は裂けてしまうことでしょう
The meadows mine, the mountains mine, -- 牧場も私のもの、山も私のもの
All forests, stintless stars, すべての森も、無限の星も
As much of noon as I could take 限りある私の目の間で
Between my finite eyes. とらえうるだけの昼を
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A word is dead 言葉が口から出たら
When it is said, もう死んでいると
Some say. ひとは言う
I say it just その日から
Begins to live 生きるのだと
That day. 私は思う
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Roni Hornに関してまとめて英語文章を書いてみよう、と思ってからも、日々の仕事に追われてしまい、実現できていない。自分なりに考えた言葉を、必死で綴って行きたいと思う。
これは、二重の意味があるのかも知れませんが、その意味の一つである「自分を消失させる/見出す」(間違っているかな?)ということに適した場所としてのアイスランドは、やはり近代的アイデンティティへの考察と関わりがあるのかもしれません。
また、ビルタさんによればアイスランド人はとても文学を重視しているとのことで、それが長い間広く芸術の領域に影響していたと言っていますね。
「十五少年漂流記」で名高いジュール・ヴェルヌもアイスランドを旅しているようです。
というわけで、ビルタさんの文章はいろいろな知識を与えてくれるので、とても興味深いです!あ、もちろん渡辺さんのブログとシンクロしている点、刺激的です!わたしは英語力の問題で読むのに時間がかかってしまいますが・・・。
Roni Hornがエミリー・ディキンソンを引用していること、知りませんでした。たどればたどるほど、深いですね。Roni Hornの論考、いつかぜひ書いてください。