昨日今日と、病院にいる父を訪ねて看病した。ベッドに横たわった父と話していると、さすがにいろいろな感情が湧き上がって来る。時計を読むのが難しくなって来ている父とやりとりをしていたら、私が子供の頃、まだ時計を読めなかった時のことを思い出した。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月18日 - 21:24
幼稚園の年長さん辺りの年齢から、私は地元のスイミングスクールに通う様になった。毎週水曜夕方の5時が近づくと、おばあちゃんが「そろそろお迎えのバスが来るよ」と教えてくれてバス停へと向かい、1時間くらい水泳をして帰って来ると、だいたい6時50分くらいになっていた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月18日 - 21:25
当時の私の楽しみは、水曜日の夜7時から始まる「ドラゴンボール」のTV放送を見ることだった。スイミングスクールのプールの脇には巨大な時計がかけられていて、その秒針がゆっくりと進んでいたのを覚えている。早くドラゴンボールの続きが見たい私は、それが早く進まないかとやきもきしていた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月18日 - 21:26
まだ幼かった私は、まだ時計の針(この時計盤には数字が振ってなかった)から何時何分と正確な時間を読むことができなかった。ただ、長い秒針が一周すると中くらいの長さの分針が進んで、それにつれて短い針が下の位置から左側に動いて行き、それが1時間と呼ばれる時間なのだと分かった。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月18日 - 21:27
時計の針を読むことが難しくなった父にとっての時間感覚は、幼少期に私が感じた時間感覚に近づいているんじゃないか、そんなことを思った。そしてこの父との貴重な時間を神様がくれた時間だと思って、大切にしたい。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月18日 - 21:41
おそらく田舎に住む多くの子供にとって、時間の感覚は5時になると流れる「夕焼け小焼け」だったと思う。公園で遊んでいても、この曲が流れるとすぐ、走って家に帰ったことを思い出す。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月18日 - 21:42
@awaiwaiwai そう、その感覚です。今の都会の子供たちも、同じ時間や世界観を持って生きているのかな?と疑問に思いました。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月18日 - 21:56