穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

強制的臓器摘出手術に猶予期間はあるのか

2018-02-02 08:37:55 | ノーベル文学賞

 いよいよ「私を離さないで」の最終パートです。クローン人間飼育農場のクローンの間でひそかに語られている「うわさ」がある。臓器提供義務が三年間猶予される場合があるというのである。「うわさ」では男女のペアだけに与えられる。その条件はふたりが「まじめな人間で本当に愛し合っている」場合というのである。どうして愛し合っているペアだけなのか。理由はない(小説内では説明されない)。またまじめな人間の判定基準は彼らがヘールシャムの学校で書かされた絵である、というのである。いずれも荒唐無稽なはなしだが、イシグロ氏はそういうのである。説得力はない。

 ヘールシャムはその後世間の風潮があって、閉鎖されてしまった。キャシーとトミーはうわさを確かめて(その特典にあずかろうと)閉鎖された学校の保護官(先生)たちを探し当てて尋ねる。もちろんそんな噂は本当でないと教えられた。

 之によって此れを観るに、クローン牧場の連中は第三の道があるとかすかな希望をいだいていたのである。介護人か提供者になるほかに第三の道があるとすがるように思っていた。これは抵抗でもなく反抗でもなく逃亡でもない。いわば消極的だが合法的な逃げ道があるのではないか、と考えていた。イシグロ氏の前提にかすかな揺れがある。

 この小説にはオチがある。オチがあるのは大衆小説(探偵小説などの)であるが、シリアスな小説にオチがあるのはどうなのか。

 曰く、愛は死を克服する。愛はクローン人間の悲しみを救える。トミーは四回目の「提供」の予後が悪くて死ぬ。しかし、彼の記憶は恋人キャシーの記憶のなかに生きている。うまくまとまりましたでしょうか。

 

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