都会のたぬき日記・合唱とか料理とか

上京10年目。たまに演奏会を聞きに行ったり、東日本大震災で被災した地域へ歌いにいったり。趣味は料理になりつつある。

そのひとがうたうとき

2007-06-25 00:43:57 | 携帯から
松下耕のね。銀座の山野楽器にあったの。だから買ったの。悪くないの。私は悪くないの。

今日はカンタートの仲間と1ヶ月以上ぶりに再開。
遅くなった単独打ち上げをいたしました。

歌えなかった!悔しい~。それだけが心残りです。


少しは成長してる?

2007-06-14 17:24:08 | 携帯から
昨日部室で楽譜を読んでいたら、2つ下の後輩に発声を見てくれとお願いされました。
引退して約8ヶ月。
この間ひたすら吸収することに努めていたため、誰かに直接指導をするのは久しぶりのことです。

偉そうに考えてる割に、教えることはあまり得意ではありません。
教職の授業を受けて、教師が何かを教えることはある種の洗脳に近いと感じて以来
上の立場であることがはっきりとしている環境で誰かを指導することがすごく怖くなりました。
自分がどう教えるかによって、その子の今後の方向が決まってしまうという責任はとてつもなく重い。
そんなプレッシャーと戦いながら指導をする教職員の方々を心から尊敬します。

合唱にしても、歌う方法は人それぞれで必ずしも正解があるわけではない。(ここで言ってるのは'way'のことね)
私にとって歌い易い方法でも、彼女にはやりにくく、全然違う方法がより合っているかもしれない。
と考えると、迂闊に「こういう発声で歌え!」とは言えないわけで。
でも私が教える以上、私が経験してきたこと以外のことははっきり言えば分からないわけで、結局それを基準に教えるしかないのですね。


なにこのジレンマ。あー難しい。面倒くさい。やめやめ。無理。教えるの無理。


↑これが今までの私の結論。なんつー無責任な。

でも、うん。自分の経験が少しでもヒントになるならと心を入れ替えてみました。
恥じるような方々から教えを請うてきたわけではないのだから(むしろ皆さまとても尊敬出来る素晴らしい人!)
この半年で吸収してきたものを伝えるくらいなら問題ないかなーと。

もともと基礎が出来てる後輩だったので反応も早く、素直に納得してくれて一安心。
「なるほどこういうことだったんですね!」という言葉に嬉しくなりました。
教える喜びはこれかー。

私自身も去年よりスムーズに教えられた気がします。
感覚でしか理解していなかったことを、きちんと相手にも伝わるよう説明出来るようになったかな。

これまでご指導いただいた先生方のおかげです。
改めて、感謝。


詩編

2007-06-04 14:31:19 | 携帯から
鈴木輝昭オンパレードの自分に鬱。

でも買っちゃいました、詩編。橘高校の委嘱曲ですね。
いや後輩がタイフウの楽譜を見たいと言ってたもんですから(責任転嫁)

そういえばこのタイフウを歌った全国大会で、自分の中で初めて橘がナンバーワンになったんだよなぁ…。
素晴らしい演奏でした。


はしかが明けたらじっくり読もう。わくわく。

タリス・スコラーズ@パルテノン多摩

2007-06-04 00:35:53 | 携帯から
本番前にタリスのメンバーがコンビニ袋を持って街を歩いてるのを発見し、一人興奮しましたたぬきです。

一年振りのタリスでした。

ん~相変わらず美しい~。

ポリフォニーばっかり歌って飽きさせないグループなんて日本にいますか!?笑
素晴らしい!!


…ま、私の入ってる合唱団もポリフォニー色強いんで、勉強の意味も兼ねてね。



以下マニアックな話

実は私、タリスはそんなに好きではないのですよ。
これは何人かの知り合いにも話して、そのたびに苦言を呈されるのですが
好きじゃないもんはしょうがない。好みじゃないんだもん。
それでも演奏を聞けば無条件に素晴らしいと思ってしまう。

う~ん、不思議。

ちょっとだけイデアの存在を感じてしまう。
単純な好き嫌いだけで判断してるんじゃないんだなぁと、私の中で思います。

好みの話で音楽を片づけるなら、私は恐らくタリスの演奏を認めることはないでしょう。
でもリアルにあの音に感動しています。
敵ながらあっぱれ!って感覚に近いかなぁ(偉そうだな…)
でも決して「感心はするけど感動はしない」とかいうくだらない話ではないです。
心から尊敬出来る音楽だからなのか…演奏は在るものだということでしょうかね。
タリスは在る演奏をするから、出逢ってしまうのでしょう。

…と、チンプンカンプンなことを考えていましたが
また別の角度から考えると
タリスの歌は、人間だけに向けられたものじゃないからかもしれません。
私たちを通して、もっと違う力に向けられている気がするから…かな。
イギリスは特殊なんだなぁ。
とてもホールで歌ってるようには見えなかったし
生まれる音が献上されてるような錯覚に陥りました。
泣くかと思いました。
これ東京カテドラルで感じた違和感の謎の解決に貢献しそう。
ま、そもそも解決するかが謎ですがね。
今日はちょっとメモ書きみたいな…すいません。

こんなに書いてそれでも好みではないんだから!
なんじゃそりゃ!と自分でもつっこみたくなります!
いや、だからこそ本物かも!(無理やり)
みなさんも好みで判断してると、きっと損をしますよ~!