ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

何でもないこと

2017-03-07 15:26:51 | 日記・エッセイ・コラム
雑事である。
生きるとは雑事である。
食べる、寝る、働く、伴侶を得る、子供をつくり育てる、
そしていづれは帰る、生まれる前にいたところに。
その一つひとつが生きることである。
生きることそのものである。
雑事である。
その間に、
泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだり、
千変万化の万華鏡、
その一つひとつが生きることである。
そも雑事である。
生きるとは。
雑事こそ大事である。
雑事を大事にしてこそである。
そこに命がある。
・・・・・
自然はいつも先生である。
自然は嘘を付かない。
雑事の積み重ねの結果がそこにある。
そこに嘘はない。
有るのは今という結果だけ。
それが自然だ。
人間は嘘を付く。
語る(騙る)のである。
それが習い性となっている。
残念である。
でもどうしても語る(騙る)のである。
畏れを持ってなら良いのだが、
得てして傲慢に語るのである。
理念とか理想とか言って。
・・・・・
天皇・皇后両陛下がヴェトナムをご訪問されていた。
いつも思うのだが、隙がないのである。
そのお振舞とお言葉に。
とりわけ語りに虚飾がないのは脅威的ですらある。
いつも言ってることだが、
まさに「まこと」である。
人が初めて言葉を手にした時のように、
言葉と思いに乖離がないのである。
「まこと」という所以なり。
私のような凡人には、
到底できないことだ。
・・・・・
天皇を政治利用してはいけない、
とはよく言われることだ。
それはその存在が余りに大きいからである。
そして何より政治において。
だから迂闊に触ってはいけない。
慎重の上にも慎重であらねば…。
ちなみに、
シナ○千年の歴史には決してないものだ。
シナに天皇があれば、易姓革命を重ねなくて済んだものを。
過去の良きものを壊さなくて済んだものを。
今後そのような芯が創れるのか。
創れなければ、
今の繁栄もいづれ砂上の楼閣になる、
しかない。
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