ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

フランス人の心

2017-06-19 14:01:54 | 日記・エッセイ・コラム
フランスの国歌は、
革命のことを歌っている、
と聞く。
近代を開いたと謂う、あのフランス革命である。
その革命により、
人権という言葉が大いに謳われ、
自由と平等が鼓吹された。
それは絶対王政に対する否であり、
意義も意味もあったのだ。
自由とは絶対王政からの自由であり、
奴隷とは言えないまでも、
王の所有物的状態からの解放であり、
平等とは人間としての存在価値に上下は無いということで、
何もかも一緒でなければ駄目という訳ではなく、
謂わば魂の平等であった筈だ。
それがどこかで?曲げられた。
それとも初めから企図されていたのか。
俗に謂われる「自由・平等・友愛」という看板の中で。
今次のごとく観念が一人歩きすれば、
自由と平等は相反するものとなり、もはや矛盾でしかなくなる。
曰く、
自由を徹底すれば違いが明瞭になり平等は無くなる、
平等を徹底すれば違いが押込められ自由は無くなる、
…。
さらに友愛が問題だ。
これは兄弟や仲間内だけのことであり、
ゆえに自由と平等も内々のこととなる。
だから外に対しては平気で非道な植民地支配を行ない、
だから身内(欧米諸国)では覇権争いをするのである。
今もまだ、その看板を下してはいない。
ますます吹聴している。
姿・形を変えて。
耳障りの良い言葉の多くがそれだ。
そこには嘘がある。
私はそう思っている。
むろん多くの市井の欧米人はそれを企図していない。
それは世界を仕切ろうとしている少数の者達である。
為に言葉が利用される。
所謂リベラル的言辞である。
・・・・・
ドイツ哲学は壮大な思弁的体系を指向する。
或るドイツ人は言う。
ゆえにドイツ人は論理的なるを良しとし、だからかすこぶる強情なんだと。
フランス人も言葉を大切にする。
誰の言辞か忘れたが、印象的な言葉がある。
曰く、
フランス語は明晰な言語だと言われるが、
それは違う、
フランス人が言葉を明晰に使うのだ、
と…。
フランス哲学は人間の現実に即してものを考える人間哲学である、
とのことだが、
どちらにしても言葉過多で言葉に囚われるという点では、
ドイツと変わらないようだ。
もとより欧米文明がそうである。
ギリシャ・ローマの時代から。
良い悪いの問題ではない、そういう体質なのだ。
・・・・・
近代を開いたと謂うフランス革命だが、
フランスは為に利用されたような気がする。
革命は手段でそこから…。
いいようにダシに使われたのかも知れない。
自由と平等、さらにそこに友愛を加えたら、
まことに良いダシが取れるようだ。
そんなフランスにも本当の自由を求める人がいる。
日本でも今その人の本が発売されている。
「自由なフランスを取りもどす」だ。
ひょっとして、
マリーヌ・ルペンは日本を目指している、
のか。



ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« ドイツ人の頭 | トップ | 誤訳 »

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。