ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

千年恨国

2018-01-15 10:02:56 | 日記・エッセイ・コラム
日本は千年王国である。
千年王国の日本は正月のある国です。
年々再々生まれ替わることができる。
細胞の新陳代謝のように。
神宮の式年遷宮のように。
ご存知のように替わるといっても、
同じものに替わるのです。
同じもので在ろうとすることこそ、
存在の核心であり、
存在の永遠性を担保している。
とはいえ全くの同じではないのです。
そうしようとしても…。
変化もまた常なのです。
それが現実です。
・・・・・
気持ちを入れ替えるということが、
何よりの正月の効用である。
普段はこれがなかなかできない。
きっかけが必要なのです。
このきっかけというのが難しい。
実に難しいのです。
日本にはそれが用意されている。
それが祭りである。
就中、正月祭りなのです。
だから「水に流す」という言葉もある。
これは迷惑をかけられた方の台詞ではある。
こういう言葉があるのが、
日本の歴史・伝統・文化の素晴らしさである。
故に心を新たにして前に進める。
それにこれは言われた方もだが、
むしろ言った方にこそ、である。
そういう心が持てるのが素晴らしいのです。
持てるのが、です。
・・・・・
どこかの国は残念である。
そういう言葉がない。
だから恨みはどこまでも続く。
終りがないのだ。
朴槿恵氏曰く、千年恨国となる。
祭りがない、祭りがないから祈りもない。
祈りがないから、心を新たにできない。
いきおい、恨みだけが残る。
それでも、その恨みに実があればまだいい。
実なきものなら…。
だからである。
昔はよく海外旅行に出かけたものだが、
韓国だけは行ってない。
そもその本性が分かっていたのだ。
昨今もイライラすることばかりで、
情けない限りです。
だがそれ以上にだ、
何とも哀れである。