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十九首塚とヒガンバナ

2011-10-19 20:14:08 | 山陰・山陽 秋の花旅

 

 豊田市逢妻女川のヒガンバナを堪能し、次に私は、静岡県掛川市のヒガンバナを目指しました。

 ナビは浜松市の北側の三ヶ日を通って約110kmと計算しました。

 今日の最終目的地とすれば時間的にもぴったりです。

 

 日没直前、私は静岡県掛川市大池、JR掛川駅から1.4kmの逆川の岸辺に立っていました。(2011.9.27)

 

               

 

 小型デジカメでフラッシュを使わずに写しましたので、写真は光量不足で白っぽくなりましたが、大池、十九首地区の逆川堤防には篝火を焚いたようなヒガンバナが花を咲かせていました。 

 

 

 今日見てきた愛知県内のヒガンバナ群落と比べると規模は小さく、周囲に雑草も多く見劣りしますが、多分限られた人数のボランティアの方が管理されているのでしょう。

 

 足元の状況が悪い場所ですから、ご苦労も多いことだと思います。

 

 

 

 

 ところで、十九首という地名は変わっています。

 何かありそうだと思い周囲を歩いてみますと、逆川堤防のすぐ横に十九首塚があり、十九首塚の由来が掲示されていました。

 

 「ここは平将門の首級を祀る十九首塚です。将門は承平五年(935年)将門の乱を起こしましたが、翌年平貞盛、藤原秀郷らの討伐軍により滅ぼされました。藤原秀郷は将門をはじめ家臣十九人の首級を持って京に上る途中、この場所で京からの検視の勅使とあい、血洗川で首級を洗い、曲橋の欄干に十九人の首を掛けて検視を受けました。

 首実験のあと首は路傍に捨てられると聞いた藤原秀郷は『死屍に鞭うつは礼に非ず』と言って十九の首を埋葬して供養しました。」という主旨が記載されていました。

 

 尚、この地の掛川という名もこの故事に由来するという説があるそうです。

 

 秋の掛川祭では、平将門を祭る東京・神田明神の祭礼を題材にした舞踊「清元・神田祭」の一場面を人形で表現して、山車の屋台に飾り町内を練り歩くのだそうです。

 

 

 へーそうだったのか! 知らなかった!

 

  掛川のヒガンバナ、最後の最後にインパクトがあるお話と重なりました。

 

 私はもうすっかりお腹一杯の気分で、掛川市内の牛丼屋さんで牛丼をそそくさとお腹へ仕舞うと、自宅を目指して一路、東名高速の車の列の中へと紛れ込んでいったのでした。

 

 

※ 他の記事へは 山陰・山陽 秋の花旅 index をご利用頂くと便利です。

  

  ヒガンバナの名所  ヒガンバナの観察

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